第二話 「血の議場 五剣将の誓い」
その頃――帝都アイン。ヴァルト。
白大理石の柱が並ぶ謁見の間には、重苦しい空気が満ちていた。
天井の高窓から射し込む光は冬の色を帯び、壁に飾られた戦旗の影を長く落としている。
王座の前には、五剣将と帝国重臣たちが向かい合い、中央に立つ老臣マルキスの声が朗々と響いていた。
「セリーナ・エリュシオン――あの女の命令違反は、帝国軍律においても最も重い罪。
無明砦での敗戦は、まぎれもなく彼女の軽挙妄動が招いたものです。
ゆえに五剣将の地位を剥奪し、生きて戻れば処刑に処すべきと考えます」
彼の言葉は、鋭くも淡々としていた。
だがその瞳の奥には、長年政に携わってきた者特有の、冷たい算盤の光があった。
マルキスは戦功よりも秩序を重んじ、軍規を守らせることで帝国の形を維持してきた。
たとえ有能であろうと、規律を破る者は必ず排除する――それが彼の信念だった。
王の前で、その言葉に呼応するように他の老臣たちも口を開いた。
「全軍の動きを無視して独断で動くなど、許されることではありません」
「敗軍の将は斬る、それが古よりの掟」
「情をかければ軍律は形骸化する」
無機質な言葉が並び、謁見の間の空気はさらに冷えていく。
対して、軍師グレンの声が鋭く割って入った。
深緑の外套を揺らし、彼は一歩前へ出る。
「待て。それではあまりにも短絡だ。
セリーナの行動は確かに命令違反だったが、それは部下を救うためのものだ。
無明砦の防衛は彼女の奮戦なくして一日ともたなかった!」
その横で、五剣将の二人――レオナードとギルベルトの表情は、すでに怒りで限界を迎えていた。
「てめぇら……ッ!」
レオナードが歯を食いしばり、剣の柄に手をかけかける。
金色の瞳は炎のように燃え、足元の大理石の床を軋ませた。
「落ち着け、レオ!」
ラウルが制止する。
隣でギルベルトも息を荒くしながら吠える。
「マルキス、あんた本気で言ってんのか! セリーナは俺らの仲間だぞ!
しかも戦場でどれだけの兵を救ったと思ってやがる!」
マルキスは眉ひとつ動かさず答えた。
「仲間であろうと軍規は軍規だ。私情で裁きを曲げることはできぬ」
その無機質さが、逆に火に油を注いだ。
レオナードは一歩踏み出しかけたところを、ラウルに肩を掴まれ止められる。
「やめろ! 王の前だ!」
「離せラウル!」
「お前がここで暴れたら、それこそセリーナの立場はさらに悪くなる!」
ヴァルドも重い鎧をきしませて前へ出、ギルベルトの腕を押さえる。
「気持ちはわかるが……ここで剣を抜けば、俺たち全員が終わりだ」
謁見の間の空気は、刃物で裂けるような緊張を孕んだまま、王の声を待つ。
長い沈黙の後、皇帝アウルスがゆっくりと口を開いた。
「……マルキスの案を採る」
その言葉が落ちた瞬間、レオナードとギルベルトの胸中で、何かが鈍く音を立てて崩れた。
「……ッざけんな!」
「王よ、それは――!」
二人が同時に叫ぶが、王の表情は変わらない。
「功ある老臣の意見を退けるわけにはいかぬ。それが帝国の政治だ」
軍議は淡々と終結を告げられ、重臣たちは満足げに退出していく。
一方、残されたレオナードとギルベルトは、噴き出す怒りを抑えきれなかった。
「クソが……ッ!」
廊下に出た瞬間、レオナードは近くの甲冑飾りを拳で叩き割った。
ギルベルトは燭台を蹴り飛ばし、炎が床に散った。
「マルキスの野郎……俺がぶっ殺してやる……!」
「先を争うなよ、ギル。首は俺が取る」
その荒々しい空気の中、足音が近づく。
姿を現したのは、長いマントを纏う皇帝アウルスだった。
年若く見えるが、その眼光は帝国の重責を背負う者の覚悟を宿している。
「やめろ、二人とも」
その声は静かだが、逆らえば刃より鋭く感じられる力を帯びていた。
「アウルス陛下……!」
ギルベルトが振り返る。
「王の判断は俺も苦しい。だが、これが政治だ。
戦の結果だけでなく、宮廷の均衡も守らねばならぬ。……
すまない、我慢してくれ」
アウルスは深く頭を下げた。
その仕草に、二人は言葉を失う。
皇帝が臣下に頭を下げるなど、本来ありえないことだった。
「……ほんとうに、申し訳ない」
短くそう告げるアウルスの声音には、偽りがなかった。
レオナードは拳を震わせながら、視線を逸らす。
「……わかってるさ。だが、セリーナを死なせるわけにはいかねぇ」
ギルベルトも低く唸るように応じた。
「何があっても、あいつは俺らが取り戻す」
アウルスは小さく頷き、彼らの肩に手を置いた。
「……無事を祈ろう。それだけは、俺も同じだ」
その夜、帝都の空は月を隠す厚い雲に覆われていた。
レオナードは城壁の上から闇を見つめ、セリーナの笑顔を思い浮かべる。
「待ってろ……必ず迎えに行く」
ギルベルトは鍛錬場で大斧を振り続け、額の汗を拭いもしなかった。
心の奥底で繰り返すのは、同じ言葉――無事でいろ、セリーナ。
帝国の武将たちは、それぞれの場所で、ただひたすらに彼女の生還を願っていた。
政治の檻がどれほど固くとも、その祈りだけは決して縛れなかった。




