第二十五話 後編【雷と獣王】
砦の中庭。
夜明け前の蒼い闇を裂くように、セリーナ・エリュシオンは雷槍を構えた。
その穂先から迸る稲光が石畳を焦がし、空気を焼く匂いが立ち込める。
彼女の瞳には恐れはなく、ただ、守るべきものを守るという鋼の覚悟だけが宿っていた。
砦の門がわずかに開き、黒衣の影が滑り込む。
神楽ジン、ユナ、レンゲ――帝国を脅かす三つの影。
ジンが口角をわずかに上げ、低く呟く。
「やはり来たか……セリーナ・エリュシオン」
背後でレンゲが足を止めず、視線を遠くへ向ける。
「レオナードとギルベルト……こっちは私が追う」
セリーナは雷槍を握り直し、立ちはだかった。
「行かせは……しない!」
しかし、レンゲの動きは疾風のようだった。
双剣が月光を反射し、影はあっという間に通路の闇へと消えていく。
セリーナが雷槍を振りかざしたその瞬間、ジンの蒼月刀《真顕》が間に割り込んだ。
火花が散り、雷と刃の金属音が夜を裂く。
「お前の相手は、俺たちだ」
ジンの声と同時に、背後でユナの魔法陣が輝きを放つ。
青白い氷紋が地面に広がり、空気が一瞬で冷え込む。
「セリーナ、下がる気はなさそうね……」ユナの声には静かな決意が宿っていた。
戦いが始まった。
雷槍が薙ぎ払われるたび、石畳が砕け、閃光が闇を裂く。
ジンは刃で受け流しながらも、一歩ずつ間合いを詰める。
横から飛来する氷の槍が雷槍の進路を逸らし、その隙をジンが斬り込む――しかし、セリーナは後退せず、雷鳴と共に反撃を放った。
「……っ、速い!」
ユナの額に汗が滲む。魔法陣を維持しながらの援護は、並の集中力では耐えられない。
それでも彼女は、ジンが一瞬でも無防備になることを許さなかった。
セリーナは攻撃を受けるたびに後退するどころか、稲光の中でさらに動きが研ぎ澄まされていく。
(……私が倒れれば、全て終わる)
その覚悟が、常人の限界を越える力を呼び覚ましていた。
そして――その瞬間は訪れた。
雷槍が天に掲げられ、砦の上空に巨大な雷雲が渦を巻く。
「雷霆――降臨ッ!」
轟音と共に、幾十もの雷柱が中庭に降り注ぐ。
石畳が爆ぜ、熱と衝撃で視界が真白に塗り潰された。
ユナが魔法陣を展開して氷壁を張るが、雷が砕き、迸る閃光が二人を焼く。
ジンは膝をつき、肩で息をする――圧倒的だった。
しかし、ジンは顔を上げた。
その瞳は黄金に輝き、周囲の空気が獣の咆哮のように震える。
「……獣王の血脈……!」
その声は低く唸り、全身から迸る力が空気を押し返す。
瞬間、地を蹴ったジンの姿が掻き消える。
次に見えたのは、雷槍を防御に構えるセリーナと、その槍ごと叩き割るジンの一撃だった。
衝撃が全身を襲い、セリーナの身体が吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、瓦礫の中で動かなくなる。
ジンは立ったまま、ゆっくりと膝を折った。
覚醒の代償――全身の力が抜け、動けなくなる。
ユナが駆け寄り、氷のように冷たい手でジンの頬を支えた。
「ジン……無茶しすぎよ!」
声は震えていた。
ジンが弱っている姿を見るのは、彼女にとって初めてだった。
「……大丈夫だ」かすれた声が返るが、その目は閉じかけている。
ユナは唇を噛み、ジンの首元に顔を埋める。
その姿は、戦場での冷徹さとはかけ離れ、ひどく人間らしかった。
彼女の鼓動が、ジンの胸元に伝わる。
――それが、ただの仲間への心配以上のものだと、ユナ自身が一番よく分かっていた。
夜明けの光が、静かに砦の瓦礫を照らし始めていた。




