第二十一話 【無明砦攻防戦・前編】
北風が唸る蒼月国北方の大地。
ラミス平原での激戦敗北から、わずか十日の月日が流れた。
帝国の猛将たち、レオナード・クレストとギルベルト・アッシュフォードは、勢いに乗じて蒼月国を蹂躙していた。
燃え盛る村々の煙が空に舞い上がり、焼け焦げた大地を踏みしめる足音が戦場の終焉を告げる。
捕らえられた者たちの悲鳴と鎖の響きが、冷たい風に乗って砦の壁にまで届いていた。
「これで二十個目の砦か……はは、拍子抜けだな」
レオナードは肩に担いだ血塗られた大剣を軽く揺らしながら、獰猛な笑みを浮かべた。
「蒼月国も口ほどにもねぇな。ま、奴らの牙はラミス平原で折ってやったからな」
彼の声には、自信と少しの侮蔑が混じっていた。
「だが、まだだ」
ギルベルトは戦斧の刃を石で擦りながら、低く冷徹に言った。
「俺はこの戦で、デュラン野郎に取られた領土分も取り返す。連邦にも蒼月にもな」
ギルベルトの瞳は燃えたぎり、鋭く狙いを定めている。
二人の足取りは重く、それでいて一歩一歩確実に蒼月国の核心へと迫っていた。
その目指す先は、蒼月国の中枢補給路を守る要衝、無明砦。
ここを奪われれば、北方と中央を繋ぐ生命線が断たれ、兵糧も武具も尽きるのは時間の問題だった。
しかし、その無明砦は、過去幾度の侵攻を跳ね返してきた堅牢無比の要塞。
落とすには、数倍の兵力と策謀が必要だと、帝国軍も重々承知していた。
「兵が足りねぇな……」
ギルベルトが吐き捨てるように呟いた。
「なら呼べばいい」
レオナードは軽やかに笑みを浮かべ、伝令兵を呼び寄せる。
「セリーナなら雷槍一本で門を粉砕できる」
伝令は素早く駆け去り、やがて三日後、雷鳴と共に現れたのは五剣将第三位、雷槍のセリーナ・エリュシオンだった。
白銀の鎧に雷光をまとい、彼女は冷たい目で砦を睨みつける。
「まったく……あんた達、突っ走ることしか考えてないわね」
セリーナの声音には呆れが滲んでいた。
「おう、勝ってるうちは進むもんだろ」
レオナードが胸を張って言い返す。
「言っておくけど、私はあんた達の尻拭いじゃないわ」
セリーナの目が鋭く光る。
「……無明砦、落とすわよ」
その凛とした決意に、レオナードもギルベルトもただ頷いた。
◆
蒼月国側、無明砦の厚い石壁の上には三つの影が立っていた。
ユナ。
その手には氷の刃が煌めき、彼女の瞳は炎のように燃えている。
緋羽レンゲ。
猫獣人らしい俊敏な姿勢で、双剣を構えた。
そして国王にして軍師でもある神楽ジン。
冷静に敵の動きを分析し、次の一手を思案していた。
遠方の地平線に揺らめく土煙。
帝国の大軍が三方向から砦を包囲し、数は我らの三倍以上。
「三方向からの包囲とは……」
ジンの声は低く、緊迫している。
「セリーナまで来ているとはな」
レンゲはすぐに前線へ出ることを願ったが、ジンはそれを許さなかった。
「駄目だ、レンゲ。正面突破はあやつらの思う壺だ」
ユナは黙って槍を握り、砦の前線を見据える。
ラミス平原での敗北の記憶と、連れ去られた民たちの苦しみが彼女の心を焼いていた。
◆
帝国軍の攻城は苛烈を極めた。
雷槍のセリーナが放つ雷光は、石壁を穿ち門を揺らす。
レオナードの大剣が鋭く振り下ろされ、戦斧の一撃が城壁を砕く。
だが、無明砦の防衛は簡単には崩れない。
ジンの指揮下で、投石器と弓兵が敵を待ち受け、雨のような反撃を浴びせている。
城門前は屍の山となり、帝国軍の鬨の声が空を震わせる。
三日間の攻防が続き、双方が疲弊しながらも戦いは膠着していた。
◆
そして四日目の夕刻。
ジンの元に密かに忍び込んだ兵士がひざまずいた。
「……申し上げます。砦内に帝国に通じようとした者がおります」
ジンは眉をひそめた。
「裏切り者が、この砦に……」
兵士は震える声で告げた。
「そやつ曰く、金貨三千枚で夜明けに門を開けると」
レンゲが剣に手をかけて咆哮した。
「そんな奴、斬ってしまえ!」
だがジンは冷静に制した。
「待て、レンゲ。逆に利用できるかもしれん」
ユナは鋭くジンを見つめる。
「まさか罠……」
ジンは首を振った。
「いや。まだ判断はつかん。だが、我らも選択を迫られている」
◆
夕陽が砦を赤く染め上げるころ、帝国三将は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
レオナードは分厚い門を指さし、ギルベルトが斧を担ぎ直す。
セリーナは雷光を槍の穂先に纏い、冷たい眼差しで砦を見つめる。
「夜明けまでには決着をつける」
三人の視線は固く、無明砦の門へ向けられていた。
帝国軍の勢いは留まることを知らず、レオナードとギルベルトは勝利の余韻に浸りながらも、まだ油断はしなかった。
「ここまで来たら、もう無敵だ」
ギルベルトが低く呟く。
「だが、ジンがいる限りな……」
レオナードが苦い笑みを浮かべる。
二人は激戦を繰り返してきたジンに対して、密かに警戒していた。
その目には、自らの力と策をもって必ずや蒼月国を制圧しようという強い意志が宿っている。
「そろそろ、あいつの策が見えてくる頃だな」
ギルベルトは斧を握り直し、戦いの余韻に浸ることなく、次の一手を考えていた。
「戦いはまだ終わっていない」
帝国軍の旗が夕暮れの風に揺れる中、無明砦攻防戦の火蓋は切って落とされようとしていた。




