第十九話 「ラミス平原の戦い・前編」
数週間にわたる険悪な睨み合いの果てに、帝国本国からの増援部隊がついに蒼月国南部の戦線に到着した。
その先頭に立つのは、リュミエル連邦の誇る雷槍の名手、セリーナ・エリュシオン。だが、彼女が前線に立つことはなかった。
「……二人が攻めているのに、何で守りに回らされるんだ?」
セリーナは眉をひそめた。
彼女の後ろに整然と並ぶ補充兵たちの列は、まるで蒼月の大地を覆い尽くすようだった。
その列の背後には、揺るぎない皇帝アウルス・ヴェルディアの命令があった。
「セリーナはこの戦いの要、守りに回れ。攻めは二人の猛将に任せる」
その命令は明確で、揺るがなかった。
「……分かってるわよ。命令なら仕方ない」
冷静な口調で答えたものの、内心では不満がくすぶっていた。
彼女の心は、戦場の中心で雷槍を振るいたいと願いながらも、戦略家たちの指示を尊重する大人の武人としての矜持も持ち合わせていた。
「今は耐える時……」
セリーナは深く息を吸い込み、整列した兵たちに声をかける。
「皆、私がここにいる限り、この守備線は必ず守り抜く」
背後の森に視線を向けると、夜露に濡れた葉がかすかに揺れている。
そこに潜む敵の影は、まだ見えぬが決して侮れない。
一方、蒼月国の領内、戦況のカギを握る交通の要衝「ラミス平原」。
ここを抜かれれば首都の防衛は脆くなる。
その広大な草原に、先陣を張る蒼月の将は二人。
一人は氷の刃を操る女将軍、ユナ。氷槍の如き凍てつく刃を自在に繰り出し、冷徹かつ厳格な指揮官だ。
もう一人は、天将七傑のひとり、緋羽レンゲ。鋭い紅い瞳が怒りと執念を燃やし、獣の如き俊敏な剣技で敵を翻弄する。
二人の視線は、はるか遠くに見える帝国軍の大群と、その中に屹立する二人の猛将へと向けられていた。
「……あれがレオナードとギルベルトか」
ユナの声は冷静だが、氷の刃のように鋭い。
「デュランの件……帝国はあんな怪物に土地まで与えた。許せない」
隣のレンゲは怒りを隠すことなく吐き捨てる。
ユナは冷静に頷いた。
「だからと言って、無闇に突っ走っては駄目よ。あの二人は帝国の中でも屈指の猛将」
「わかってる。でも、抑えられるかは別問題……」
言葉の間にも、遠方から地鳴りが迫ってくる。
帝国軍の槍列が整然と進み、その背後からレオナードの大剣が陽光を反射し、ギルベルトの戦斧が風を切る。
「蒼月の女どもか! 面白ぇ、先に切り刻ませてもらうぜ!」
レオナードの咆哮が草原に轟いた。
彼の大剣は一振りごとに地をえぐり、衝撃波が前衛の兵を吹き飛ばす。
その勢いはまるで獅子の如く獰猛だった。
ユナはまるで月影のごとく俊敏に斬撃を受け流す。
氷の刃が煌めき、氷槍の月刃形は青白い残光を残しながら大剣の腹を掠めた。
「やるじゃねぇか!」
レオナードはわずかに顔を歪めたが、すぐに笑みを戻す。
ユナは冷静に相手の攻撃の癖を見極める。
「斬撃は重い。隙も大きい。だが、一撃で仕留められる力だ」
一方、レンゲはギルベルトと対峙していた。
彼は戦斧を横薙ぎに振るい、荒々しい攻撃を仕掛けてくる。
「その目……殺意しかねぇな。嫌いじゃねぇ!」
ギルベルトの声に乗せられ、レンゲは跳躍し、素早く斬撃を連続で叩き込む。
彼女の細身の剣は雷の魔力を帯び、鋭く閃く。
しかし、ギルベルトの戦斧は鎧を破壊するための重装武器。何度も打ち合ううちに、レンゲの腕は痺れ、体力も削られていく。
「チッ……!」
レンゲは歯を食いしばり、叫んだ。
「もう終わりか?」
ギルベルトは笑みを浮かべながら攻撃を続ける。
戦場は瞬く間に熱気を帯び、四人の剣戟と兵士の叫び声が入り混じった激流となる。
ユナはレオナードの重い一撃を氷の刃で弾き返すが、衝撃のせいで足が草原にめり込む。
レンゲは速度で押し切ろうとするが、ギルベルトの一撃は執拗で、逃げ場を次々と奪っていく。
やがて、二人は互いに視線を交わした。息が荒く、汗が頬を伝う。
「持たないかもしれない……」
ユナが小さく呟いた。
「でも、今は引けない」
レンゲが返す。
怒りが二人の判断を鈍らせている。後退よりも、今は一矢報いることが優先だと心が叫んでいた。
「行くよ、レンゲ!」
ユナの声は固く、決意に満ちていた。
「任せて!」
レンゲは鋭い眼光で応じた。
二人は蒼い残光と紅の閃きをまとい、帝国軍の中央へと突き進んだ。
その突撃は、戦場の流れを変えた。
兵たちは鋭い切り込みに動揺し、槍列の整然とした列も一瞬崩れた。
ユナの氷の刃は冷気をまとい、触れた敵兵は凍てつき動きを鈍らせる。
レンゲは魔力を宿した双剣で猛攻をかける。
雷鳴の轟音と共に、敵兵は倒れ伏した。
「くそっ……!」
ギルベルトは怒りを露わにし、斧を振り回した。
一撃がレンゲの肩を捕らえ、深い傷を負わせる。
だがレンゲは血をぬぐい払い、なおも攻撃の手を緩めなかった。
「まだだ……まだ終わらせるわけにはいかない!」
戦場は烈火のごとく燃え上がり、四人の武将は己の全てを賭けて刃を交わす。
ユナは氷槍の冷気を操り、刃を連続で放ち敵の動きを封じる。
レンゲは魔力を纏った双剣で敵を翻弄し、ギルベルトの攻撃をかわしながら反撃を繰り出す。
だが、帝国の猛将たちは一歩も引く気配を見せなかった。
互いに刃を交わすたび、汗と血が入り混じる。
戦場の風は、戦の悲鳴を運び続けていた。
時間は過ぎ、戦況は膠着状態へと移る。
ユナとレンゲは背中を合わせ、敵の攻撃を防ぎつつ撤退の機会をうかがう。
「レンゲ、撤退のタイミングを見極めて」
ユナが静かに告げる。
「分かってる。まだ踏ん張る」
レンゲは歯を食いしばった。
だが、二人の表情には焦りがにじんでいた。
「ここで倒れたら、蒼月は終わり……」
二人は、未来のために戦い続ける決意を固めた。
ラミス平原の戦いは、まだ終わらない。
激しい火花を散らしながら、命の限りを尽くす戦士たちの姿が、青空の下に刻まれていった。




