第十七話 「雷と光、そして魔将(後編)」
雷鳴と、閃光のごとき光柱が、暗雲に覆われた山間の戦場を切り裂いた。
谷底には古代の石造りの遺跡が広がり、砕けた柱や崩れた壁が無数の死角を作っている。その中心部――かつて祭壇だったと思しき円形広場に、青黒い紋様が淡く揺らめいていた。
――魔封陣《衰命の環》。
結界に踏み込んだ者の生命力をじわじわと奪い、筋肉の反応を鈍らせる術式だ。外からはただの泥地にしか見えないが、一歩足を踏み入れれば、重りを背負わされたかのような倦怠感が全身を苛む。
その陣の中央に、漆黒の軍馬から飛び降りた影が立っていた。
鎧の隙間から漂う瘴気のような圧力。握る剣は蒼穹を映したかのような青銀色の刃――蒼穹剣。
魔将デュラン。その赤黒い瞳は血の色を帯び、まるで獲物を見つけた獣のように爛々と輝いている。
「……来たな、天を裂く魔将」
雷槌《轟天》を肩に担いだザラッド・ヴォルケーンは、唇の端を獰猛に歪めた。
しかし、その背筋には薄い冷や汗が伝っていた。相手が罠に嵌まったというのに、気圧される感覚を抑えられない。
「ザラッド・ヴォルケーン……そして光の巫女ルミナ・セリスか」
デュランの声は低く、だが戦場全体に響くほどの圧を帯びていた。
「面白い……小細工ではない、本物の戦意を感じるぞ!」
「口だけ達者な奴にゃ興味ねぇ! てめぇの首、雷鳴でかち割ってやる!」
ザラッドは踏み込みと同時に跳躍した。
雷鳴のような咆哮と共に、巨槌が天から振り下ろされる。落下点で空気が圧縮され、土砂が吹き飛んだ。
直撃――しかしデュランは半身をずらし、刃で槌を受け止めた。
金属が悲鳴を上げ、火花が弾ける。ザラッドの足元の石畳が衝撃で粉砕され、衝撃波が周囲に走った。
「ッ……この手応え……!」
ザラッドは驚愕した。魔封陣にかかっているはずの相手が、この重量を片手で止めるなど――常識外れもいいところだ。
「遅いッ!」
デュランは槌を押し返し、ザラッドの巨体を数歩後退させた。
その隙を狙い、背後から光が奔る。
「《煌天閃葬》!」
ルミナ・セリスの光の剣から七条の光刃が放たれ、矢のようにデュランを包囲する。
切り裂くような輝きに、帝国の兵ならば瞬時に灰と化すだろう。
だが――蒼穹剣が一閃。
刃が空を裂いた瞬間、光刃は一つ残らず叩き落とされ、白い閃光が砕けて地に消えた。
「く……やっぱり効きが浅い」
ルミナは奥歯を噛み締めた。魔封陣の効果で速度が落ちているのは確かだ。だがその剣速は、依然として人間の反応の限界を超えている。
「この程度の小細工で……俺を止められると思ったかァッ!」
デュランの剣が弾丸のように突き出され、ザラッドの胸を狙う。
ザラッドはとっさに槌を盾代わりに構えるが、衝撃が腕を貫き、感覚が痺れる。
「まだだッ!」
巨槌を横薙ぎに振り、土煙を巻き上げる。
だが、デュランは土煙の中から影のように抜け出し、背後に回り込んでいた。
「《影走り・鬼影穿突》!」
三方向に残像を走らせ、全てから同時に斬撃が襲う。
ルミナは瞬時に光壁を三枚展開し、防御に入った。
――一撃、二撃、三撃。壁がひび割れ、四撃目で粉々に砕け散る。
「終わりだァッ!」
狙いはザラッドの心臓。
だがルミナは迷わなかった。自らの身体を盾にし、光の剣を叩きつけて軌道を逸らす。
刃はザラッドの脇腹に深々と突き刺さった。
「ぐ……あああッ!」
雷鳴が悲鳴に変わり、ザラッドの膝が崩れ落ちる。
「……まだ……立てる……!」
血を吐きながらも、彼は立ち上がろうとした。
ルミナは必死に肩を貸し、結界外へ後退する。
「立つのは後! 死んだら意味ない!」
背後で、デュランの咆哮が轟く。
「逃がすかあああああッ!」
彼もまた結界の影響を受け、呼吸が荒くなっていたが、足取りは依然として重く鋭い。
ルミナは振り返りざま、光の剣を高く掲げる。
「――《白輝衝》!」
爆発的な光が戦場を白に染め、視界を完全に奪った。
「今よ!」
二人は瓦礫の陰へと飛び込み、谷の出口へ駆ける。
ザラッドは肩で息をしながら、血に濡れた拳を握り締めた。
「……次は……勝つ……必ず……!」
結界の中央では、デュランが一人立ち尽くしていた。
膝をつくことはなかったが、肩で荒く息をし、剣先がわずかに地を擦る。
それでもその瞳の輝きは衰えず、むしろ獲物を逃がした獣のように燃え上がっていた。
その後、魔将デュランは休む間もなく追撃を再開し、連邦軍の防衛線を粉砕。わずか十日でリュミエル連邦領の一割を奪い取る大戦果を挙げる。
丘の上から戦場を見下ろすルミナは、煙と血の匂いを含んだ風に顔をしかめた。
(……あれが、天を裂く魔将……)
ザラッドの呼吸音が背後から聞こえる。
生きて帰れたのは奇跡に近い――そう認めざるを得ない一戦だった。




