第三話:蒼月組、誕生
村を襲った帝国軍を退けて数日。
かすかに立ちこめていた絶望の霧は、静かに晴れつつあった。
焼かれた畑に緑が戻り、怯えていた子どもたちが笑うようになった。
だがその一方で――村を取り巻く空気は変わっていた。
「次はもっと大きな軍勢が来る。奴らが報復に来るのは時間の問題だ」
村の広場で、ジンは地面に描いた地図を囲んで言った。
それは彼が過去の戦史書から得た知識をもとに、現地の地形を再構成したものだった。
「いまこのまま皆でここに立て籠もれば、今度は本当に“全滅”する。だからこそ、こちらから動くべきだ」
「逃げる……ってことか?」
「違う。『備える』ってことだよ」
◆
その日の夕刻。
ジンはユナと共に村の集会所へと足を運んだ。
「話がある。これからの戦い方についてだ」
集まったのは、前回の戦いで共に戦った者たちと、新たに志願した村人たち。
その中には、負傷者に付き添っていた若い獣人の少女も、農具を武器に変えようとする老兵もいた。
「帝国に立ち向かうには、寄せ集めでは勝てない。だから、俺たちは“部隊”になる必要がある」
その言葉に、場の空気がざわめいた。
「部隊……?」
「そう。明確な指揮系統と役割分担、情報伝達、補給線、そして何より“意志”の統一だ」
「意志……」
リョウカが、いたずらっぽく笑う。
「意志なんて、そんな堅苦しいもんじゃないわよ。あたしたち、もう“やるしかない”でしょ?」
「ふん、言葉はいらん」
ガロウがどっしりと腕を組みながら言う。
「お前が指揮するなら、俺は従う。それだけだ」
レンゲも、小さく頷いた。
「私も……あの人に、ついていくって決めたから」
彼らの視線を正面から受け止め、ジンは静かに頷いた。
「……ありがとう。だったら、ここに誓おう。俺たちは、ただの寄せ集めじゃない。“未来を勝ち取るための軍”になる」
ユナがその場に立ち、宣言した。
「この部隊は、すべての亜人に開かれた場所とする。人の枠も、血の違いも、力の有無も問わない。ただ――志ある者のみがここに立て」
その言葉に、誰かがぽつりとつぶやいた。
「じゃあ、名前は?」
「名前?」
「その……俺たちが何者なのか、示すものだよ。旗印ってやつ」
ジンはしばし沈黙し、空を見上げた。
その空には、真円の月が白く輝いていた。
戦火に染まらぬその光だけが、静かに地を照らしている。
「――“蒼月”。そう呼ばれる月が、俺の世界にはある」
「蒼月……?」
「戦乱に沈んだ夜空を、ただ静かに照らし続けた月。誰もがそれを見上げて、帰る場所を思い出した」
そして、ゆっくりと告げる。
「俺たちの名前は――蒼月組。
光なき戦場で、誰かを導く月となる」
しんとした沈黙の中で、レンゲが小さく口にした。
「……綺麗な名前」
ユナが目を細める。
「それでいい。静かに、しかし決して揺るがぬ意志。まさしく、蒼き月だ」
リョウカが嬉々として叫ぶ。
「いいじゃない! 蒼月組! うん、なんかちょっとかっこいいかも!」
◆
こうして、異世界グランディア大陸の片隅に、ひとつの“名もなき軍”が誕生した。
後に「戦乱の変革者」「獣王の牙」「叛逆の光」と呼ばれるその存在――
その始まりは、小さな村の片隅、焚き火の灯りの下だった。
ジンはまだ知らない。
この蒼月組が、やがて三国の均衡を揺るがし、伝説となることを。
夜が明ける頃、焚き火の光もやや落ち着き、森に静けさが戻っていた。
ジンは薪をくべながら、ユナの話の続きを促した。
「——つまり、蒼月組は元々、ユナさんが独自に作った“非公式の亜人救援組織”だったんだな」
「そう。族長会議からは除名され、名簿からも外された。ただ……私にとっては、家族のような仲間を守るための場所だった」
ユナの声は穏やかだったが、その瞳には燃えるような決意が宿っていた。
「力なき者を見捨てるのは、戦士ではない。たとえそれが、誰に否定されようとね」
「……強いな、ユナさんは」
ジンは率直にそう言った。
彼女のような人間が、差別と迫害の中でも諦めずに立ち上がっていたからこそ、この世界には希望がある——そう思えた。
「でも、俺はまだ何もできてない。命を救ってもらって、ここに来て、話を聞いて……それだけだ」
そう言ったジンに、ユナは静かに首を振った。
「……あなたは、来た。それだけで、変わる」
「え?」
「……私は、ずっと孤独だった。反逆者としても、族長としても。……でも、あなたが来てから、何かが変わり始めてる」
彼女は焚き火を見つめながら、続けた。
「あなたの視線には、諦めがなかった。あの日、あなたが村を守るために剣を取ったとき、私は確信したの」
「あなたなら、この時代を変えられるかもしれない。いや——変えてほしい」
ジンの胸の奥に、何かが静かに火を灯した。
彼女の言葉は、重かった。
だが同時に、それは信頼という名の光だった。
「……そんなに言われると、後には引けないな」
ジンは立ち上がると、剣を腰に収めた。
「だったら——俺も、この“蒼月組”の一員として、共に戦わせてほしい」
焚き火の明かりが、彼の決意を照らしていた。
ユナは微笑むと、静かに右拳を突き出す。
「——歓迎する、ジン=カグラ。ようこそ、“蒼月組”へ」
ジンも拳を合わせた。
その音が、夜明けの森に、確かに響いた。
こうして、蒼月組は真の意味で新たなスタートを切ったのだった。
そして——この出会いが、やがて七つの星と一柱の将を呼び、歴史を塗り替える戦記の始まりとなる。




