第一話 ロア=デル三国会戦、開戦
ロア=デル――三国の国境が交差する峡谷地帯に築かれた交易都市。
古くは平和の象徴と呼ばれ、各国の商人や旅人が行き交う中立の地だった。
しかし今、その空気は血と鉄の匂いに塗り潰されつつあった。
「――報告! 連邦軍、北東丘陵より展開開始! 規模、およそ二万!」
「西方より帝国騎兵突入! 前衛、すでに市街地に接触!」
濃霧に包まれた城壁内。伝令たちが次々と駆け込み、指揮所は怒号と足音で満ちていた。
地図の上に置かれた赤と青の駒が刻一刻と動き、中央の蒼月の駒が三方向から迫られていく。
「三方向から同時進軍……これが“三国会戦”か」
地図を見つめながら、セイリオンが低く呟く。
「この街を制する者が、戦争の“初動”を握る。だからこそ――各国とも獲りに来ている」
ジンは黙って蒼月刀の柄を握り締めた。
まだ刀身は抜かれていない。だが、その瞳にはすでに戦場を覚悟する光が宿っていた。
「リョウカ、シン。ユナ、頼む」
「任せとけ、暴れてやるぜ!」シンが歯を剥き、拳を鳴らす。
「絶対に、誰も死なせない。私はそのために戦う」ユナの声は静かだが揺るがない。
「ジンが前を切り拓くなら……私たちは、後ろを守るだけよ」リョウカが淡く笑う。
その言葉にジンは小さく頷いた。
「なら行こう。この街を、死地にはさせない」
北東――連邦軍陣
「カイラン峡谷を蒼月が奪還し、帝国が激昂。結果、私たちが矢面に立たされる……」
深紅の戦装を纏うカトレア・グリモワール将軍は、馬上から戦列を見渡した。
背後には魔導砲陣と機動歩兵隊、その背に連邦の紋章旗がはためく。
「つまり――ここで負けるわけにはいかない」
瞳は冷徹、だがその奥には信念が燃えていた。
「敵は蒼月、そして帝国……だが“本命”は――あなたよ、神楽ジン」
彼女の指示で魔導砲が一斉に火を噴く。青白い光弾が霧を裂き、北門周辺の石壁に炸裂。
爆炎と瓦礫が宙に舞い、守兵が弾き飛ばされる。
西方――帝国軍陣
「敵は二つ。だが、狙うは一つだ」
重装鎧を纏った巨躯、ヴァン=ドルグ将軍が笑う。
「この戦場を最も混沌に染める奴は誰だと思う? 俺じゃねぇ――蒼月のジンだ」
突撃ラッパが鳴り響き、帝国の騎竜隊が石畳を震わせて進む。
鉄蹄が地面を砕き、竜の咆哮が市街地に響き渡る。
その先頭で、ヴァンの斧が血を求めるように光を反射していた。
「殺す。名を知られる英雄になる前にな……クク、今夜の晩餐は“蒼月の刃”だ!」
やがて、戦場の構図は鮮明となる。
■帝国軍:西から重装歩兵と騎竜戦列による突入。
■リュミエル軍:北東より魔導砲陣と機動兵団が進軍。
■蒼月軍:中央市街に防衛線を構築し、ジンを中心に遊撃戦を展開。
三つの軍勢が、一つの都市で火花を散らす。
「報告! 連邦の紅蓮女将、北門で味方と交戦中!」
「帝国のヴァン将軍、西区に侵入! 民間人も巻き込まれている!」
選択は一瞬だった。
どちらを助ける? 誰を守る? 誰と刃を交える?
「私が北へ行くわ」ユナが一歩前に出る。
「なら俺は西だ!」シンが叫ぶ。
「民間人を巻き込む奴は許さねぇ。ヴァンとかいう狂犬、俺が黙らせる!」
「ジン、君は中央に残れ」セイリオンが鋭く告げる。
「今の君は戦場の象徴だ。動きすぎれば全体が崩れる。情報と指揮――それは君にしかできない」
ジンは強く頷いた。
「……わかった。全体を見ながら、必要な場所に刃を届ける。それが、“蒼月の刃”の役目だ」
直後、轟音が空を裂く。
帝国の火薬魔導砲が中央区を直撃し、爆炎と衝撃波が石畳を弾き飛ばす。
瓦礫が雨のように降り注ぎ、悲鳴と怒号が入り混じる。
その混乱に乗じて、連邦の魔導機兵が制御を失い、暴走した機体が味方兵士を踏み潰す。
「避けろォォッ!」
叫びとともにジンは蒼月刀を抜く。
蒼白の刃が霧の中で閃き、暴走機兵の脚部関節を一刀で断つ。
機体は轟音と共に崩れ、辛うじて周囲の兵たちを救った。
「まだだ……!」ジンは息を荒げつつも前を見る。
次の瞬間、帝国騎竜隊が路地を突破し、中央広場に突入。
竜の巨口が火炎を吐き、木造家屋が一瞬で炎に包まれる。
ジンは踏み込み、蒼月刀で竜の首筋を斜めに裂く。
鱗が飛び、竜が苦悶の咆哮を上げて崩れ落ちた。
「――これ以上、好きにはさせない」
しかし、その時だった。
空が影に覆われる。
ジンは反射的に見上げた。
そこにあったのは翼竜でも魔獣でもない。
黒鉄の巨翼を広げ、都市上空を覆い尽くす、禍々しき人型の巨影。
「帝国の禁忌兵器……《黒翼騎神(バル=グラド)》……!」
セイリオンの声が震えた。
その巨躯が翼を一振りすると、暴風と共に瓦礫が吹き飛び、兵も民も区別なく巻き上げられる。
ジンは刃を構え直し、唇を固く結んだ。
――全てはまだ、始まりに過ぎなかった。




