第九話 炎撃の谷、バスラン急襲
バスラン谷――それは蒼月国とグランディア帝国を隔てる峻険な峡谷であり、古来より“戦場の喉元”と呼ばれてきた要地である。もしここを制することができれば、補給線は我々のものとなり、戦局は一変する。
ジンの作戦は単純明快だった。奇襲によってこの谷を制し、グランディアの進軍路を断つ。
そして、その任を担うのは烈炎・カンロウ。
「どうやら、燃やす時が来たようだな」
陽光を背に、炎をまとう豪胆なクマの獣人が立ち上がる。全身を覆う武具は煤け、何度も戦火をくぐった証を残している。その手には、紅蓮を灯す大斧――《焔豪刃》。
「バスラン谷は狭いッス。火を回せば一網打尽!」
銀牙シンが笑いながら言う。
「火計は両刃の剣だ。味方が飲まれぬよう、展開には注意してくれ」
レンゲが静かに忠告を入れる。
「任せな。俺の炎は、仲間は焼かねぇ」
その言葉を最後に、奇襲部隊はバスラン谷へ向けて出発した。
* * *
夜明け前の冷気が谷間を満たしていた。敵陣の拠点は、峡谷中腹の岩棚に築かれた簡易要塞。その防備は堅くないが、急峻な地形が障壁となる。
そこで、カンロウは谷の上部に火矢隊を配置。下流に配置した部隊が囮となって敵を引きつけた瞬間、合図の狼煙が上がる。
「いけえええッ!」
炎の雨が夜空を焦がし、乾いた木々と物資に引火する。風に乗って炎は加速し、たちまち谷全体を赤く染め上げた。
「何事だ!? 火だっ、火計だっ!!」
敵将が叫ぶ間もなく、蒼月の突撃隊が左右から一斉に突撃。
「燃えろォォォォォ!!」
カンロウの斧が火焔を纏い、敵陣を一刀両断にしてゆく。
敵兵の悲鳴、炎の唸り、鉄と肉が裂ける音――それらが谷の静寂を切り裂く。カンロウはまるで灼熱の神の如く、烈火を従えながら谷を駆け抜けていった。
「カンロウ将軍、敵の補給庫、完全に炎上しました!」
「よし、すぐに引き上げるぞ! 燃えカスの上に立つ気はねぇ」
この作戦により、グランディア帝国の前線補給は致命的な打撃を受けた。
* * *
蒼月の牙・作戦室。
「カンロウの作戦、成功したな」
ジンは笑みを浮かべながら地図に印をつける。
「敵の進軍速度、三割は落ちるでしょう」
セイリオンが眼鏡を押し上げながら分析する。
「……だが、これは奴らにとっても宣戦布告と同義。次は総力で来るかもしれん」
「来るなら来い。その時は、俺たちの牙を見せてやるだけだ」
ジンの瞳は、燃えるような覚悟に満ちていた。