第八話 奪われた要衝、カイラン峡谷
カイラン峡谷は、蒼月国西部とリュミエル連邦北部、そしてグランディア帝国南西の三国国境地帯に存在する、戦略的な要衝である。険しい山々に囲まれたその地を制する者は、西方防衛と交易路を掌握することができる。
だが、今――そのカイラン峡谷が、敵の手に落ちた。
「詳細を説明しろ!」
怒気を抑えきれぬ声で神楽陣が命じると、伝令の青年は息を荒くしながら口を開く。
「西方の守備隊は……帝国の将、ヴァルド・ディーゼルの軍により包囲され、三日三晩の激戦の末、壊滅。峡谷の砦もすでに……」
「馬鹿な……あの要塞は簡単に落ちるはずがない!」
烈炎カンロウが拳を握り締め、歯を食いしばる。
「ヴァルド……五剣将の《黒鉄防壁陣》か。攻めよりも守りを得意とする将だったが……」
軍師セイリオンが低く唸る。
「おそらくギルベルトの敗北を想定した囮作戦だった。彼を囮にしてまで、峡谷を取るという覚悟か」
「ギルベルトは捨て駒だった……と?」
雷迅リョウカが眉をひそめる。
「いえ、ギルベルトほどの将を囮にするとは考えにくい。恐らく彼自身がその役を買って出たのでしょう。五剣将の一角を使うことさえ、彼らには戦略の一部に過ぎない」
「……最低だな。兵も、将も、使い捨てかよ」
銀牙シンが唾を吐き捨てるように呟いた。
「峡谷を取り戻さねば、帝国軍はそのまま蒼月の中枢へ侵攻してくる」
セイリオンが冷静に告げる。
だが、その直後――
「一つ提案がある」
静かに言葉を発したのは、天将七傑・鎧黒ユズハンだった。
「敵は今、要衝の掌握に集中している。我らが動くべきは、峡谷そのものではない」
「……ふむ。どこを狙う?」
「逆手を取る。敵の補給線――その中継地《バスラン谷》を叩く。峡谷奪還よりも先に、連中の動脈を断ち切るべきだ」
「いい案だ……!」
神楽陣が立ち上がり、拳を握った。
「よし、全軍に通達せよ! 三日後、バスラン谷を急襲する! ただし――」
陣の瞳が鋭く光る。
「今度こそ、軍師の意見を最優先とする。」
部屋の空気が、静かに引き締まる。
緋羽レンゲが、陣の傍らに立ち、そっと囁いた。
「……やっと、あんたも『将』の顔になったわね」
陣は小さく笑った。
――その笑顔の裏に、痛みがあった。
誰よりも仲間の死を背負い、誰よりも敵を憎んでいる、その覚悟。
「みんなのためにも、次こそ……勝つぞ」
静かに、彼らの心に火が灯った。