第二話:迫害の村
それは、乾いた血の匂いだった。
風に乗って漂ってきたそれを、ユナが真っ先に察知する。
「……焼かれている」
彼女の耳がピクリと揺れる。目を細め、陣に一瞥をくれる。
「近くに集落がある。急ごう」
陣は頷き、彼女の後に続いた。まだこの世界の地理も事情も知らない。だが、ユナの直感に迷いはないと分かっていた。
◆
草を踏み分け、低木の合間を抜けた先に、それはあった。
亜人の集落。だが、静寂は異常なほどに重く、焚き火も、子どもの声も、何もない。
家々の扉は閉ざされ、かすかに燻る黒煙だけが“暴力”の残滓を物語っていた。
「ここは……?」
「このあたりでは比較的大きな村のはずだ。交易にも携わり、農も狩りもできる。……帝国に目をつけられる理由は十分にある」
ユナの声音には怒りが滲む。
その時、奥から老いた獣人――犬獣族の長老が姿を現した。背を曲げ、片脚を引きずっている。
「そなたら……外からの者か。ならば、早く去れ。ここに“希望”などない」
「何があった?」
ユナが問うと、男は疲れた目を細め、しばらく沈黙ののち、口を開いた。
「帝国の徴収部隊が来たのだ。人も、食糧も、女も……すべて奪っていった。抵抗すれば皆殺し。それが“現実”じゃ」
「戦おうとは思わなかったのか?」
陣の問いに、老人は首を振る。
「戦った者は……もう、この世にはおらん。わしも、息子も、孫も……」
乾いた土にしみるように、言葉が落ちる。
ジンは拳を握りしめた。
◆
夜――
村の広場に集まった少数の住民と共に、ジンとユナは状況を整理していた。
兵の規模はおそらく三十。だが精鋭ではない。徴収部隊にありがちな“脅し”が主な任務と見られる。
「やろうと思えば、奪われたものを取り返せる」
ジンの声に、村人たちはどこか諦めた顔を見せた。
「無理だ……武器もない、腕もない……第一、勝って何になる? また帝国が報復に来るだけだ」
「そうかもしれない。けど――」
ジンは立ち上がり、皆を見回した。
「奪われたままでいいのか? 誰かが、立ち上がらなきゃ、いつまで経っても何も変わらない」
「……お前に何が分かる」
一人の若者が吐き捨てるように言う。
「お前は“よそ者”だ。ここで生まれ育ったわけでもねぇ。痛みも、怒りも知らねぇだろ」
ジンは黙って、その視線を真正面から受け止めた。
「分からないかもしれない。……でも、それでも一緒に怒ることはできる。戦おうと思うことはできる」
沈黙が流れた。
その時、一人の少女が手を挙げた。猫獣人の細身の剣士、レンゲだった。
「……私、戦う。兄も、母さんも連れていかれた。私は、見てるだけなんてもう嫌だ」
その声に、また一人、また一人と立ち上がる者が現れる。
雷鳳の血を引く女戦士、リョウカはあきれたように笑いながら言った。
「やれやれ、じゃあ私もやるわよ。どうせ、黙って見てるのは性に合わないし」
最後に、巨体の虎獣人――ガロウが無言で頷いた。
ジンは小さく、安堵の息を吐く。
「ありがとう。じゃあ、始めようか――反撃を」
◆
夜明け前。ジンの指示のもと、数人の志願兵と共に村外れに罠を仕掛け、物陰に身を潜める。
帝国の徴収部隊が戻ってくるのを待っていた。
――やがて、遠くから蹄の音。
帝国の兵が油断した様子で荷車を引いて近づいてくる。
リーダー格の兵士は笑いながら言う。
「ちっ、昨日の怯えた顔は見ものだったな。今度は娘をもう数人いただこうか」
その瞬間だった。
――バンッ!
土煙が舞い、仕掛けた爆音罠が炸裂。兵の隊列が乱れる。
「今だ! 突撃っ!」
ジンの号令に、レンゲが跳び込み、リョウカの雷撃が閃き、ガロウが鉄槌のような拳で敵を砕く。
ユナの氷刃が空を裂き、兵の武器を吹き飛ばす。
混乱に乗じ、ジンは背後から指揮官を急襲。
練習用の剣を取り上げ、その喉元に突きつけた。
「……奪われたもの、返してもらおうか」
兵士は震え、全員が武装解除。略奪された村人たちも無事に解放された。
◆
勝利の後、村には歓声が満ちた。
だが、ジンの顔に浮かんでいたのは笑みではなかった。
「これで、帝国が黙って引き下がるとは思えない。今のは……始まりに過ぎない」
ユナがそっと肩を並べる。
「ならば、戦うしかない。我らが生き延びるために」
レンゲ、リョウカ、ガロウ――
あの夜立ち上がった者たちは、やがて「七傑」と呼ばれる存在の一部となる。
だが今はまだ、小さな火種にすぎない。
それでも、ジンの胸に宿る炎は確かだった。
「……蒼月が昇る。今、この闇夜に」
こうして、希望という名の刃が、帝国の圧政に向けて抜かれた。




