37 クリスタという女(前半)
クリスタは自分の親を知らない。
物心ついた頃からそうだった。
サラサラの金色の髪、大きな目、淡い水色の瞳に、美しい顔立ちは、幼い頃から変わらない。
幼い頃から記憶力のいい彼女は、幼すぎて言葉が話せない彼女に、孤児院の院長が「あなたのご両親は、きっとどこかの高貴な方なんでしょうね」と口癖のように呟いていたことを覚えている。
世の中の子ども達は、どうやら、父と母の下で育つらしい。
孤児院の家族は、そのことについて知っていたけれど、それに自ら触れることはほとんどなかった。
けれども、『お母さん』が自分だけのものではないことに、とても不満を持っていて、いつだって先生は取り合いだったし、他の先生達に八つ当たりをしたり、いたずらをして先生達を試すような真似をしたり、片親が面会に来る子にいやがらせが起こることもあった。
けれどもクリスタは、別にそのことについて、何も思わなかった。
クリスタの世界には、ケイトがいたからだ。
「ケイト、おはよー!」
「クリスタ、おはよ~」
ケイトはこの孤児院の家族の一人だ。
柔らかい茶色の髪、長いまつ毛と琥珀色の瞳が素敵な、おっとりしているのに一緒にいるとなんだかドキドキする、不思議な女の子である。
クリスタとケイトは、同じ年に、赤子の状態で孤児院に引き取られたので、一応同じ年ということになっている。
けれども、クリスタのほうが平均よりも少し背が高くて、ケイトは平均よりも少し背が低くて、小さくていつもニコニコ笑っているケイトを見ていると、クリスタはいつも、胸が締め付けられるような、不思議な幸福感を感じるのだ。
クリスタにとって、ケイトは守ってあげたい存在かと聞かれると、それは少し違う気がする。
ケイトはふわふわした穏やかな性格をしているけれども、とても賢かった。
勉強は一度聞くだけですべて覚えてしまうし、先生達や家族の顔色をうかがうことも得意で、守ってあげるどころか、ケイトにそれとなく守ってもらうことも多かった。
その日は、いつもクリスタを目の敵にしてくる女教師の虫の居所が悪かったらしく、いつもどおり挨拶をしようとしたクリスタをケイトが止めた。
視界に入らないようにやり過ごしていると、廊下の一角で、その女教師にぶたれている家族が居て、クリスタはため息をつく。
あの女教師は機嫌が悪いと、因縁をつけて子どもを殴るのだ。院長にそれを言うかどうか悩んでいるが、七歳のクリスタとケイトの言葉を信じてもらえるかどうかわからないし、下手に口を出してこの孤児院に居場所がなくなるのは困るので、クリスタもケイトもどうしたらしいか、判断しかねていた。
「それにしても、ケイトは本当に頭がいいよね。私はいつも、あんまり考えずに行動しちゃう」
「クリスタだって、成績は私と並んで一番じゃない~」
「私は努力してるの。ケイトに置いていかれたくないもん」
「ふふふ。私はクリスタのそういうところ、素敵だと思うわ~」
「そういうところ?」
「人のいいところを、沢山見つけられるところと~、努力を惜しまないところ~?」
ニコニコほほ笑んでいるケイトに、クリスタが嬉しくなって、思わず抱き着いてしまう。
クリスタがそうして抱き着くと、ケイトはいつでも嬉しそうに受け入れてくれて、それだけでクリスタは幸せだった。
しかし、クリスタは自覚していなかったのだ。
クリスタとケイトの二人が、あまりにも美しく、見る者の心を奪っていることを知らなかった。
孤児院の家族達に対しては、それでもなんとかなっていた。
クリスタが、家族のこともなんだかんだ好きだったからだ。
いつだってクリスタは、家族全員のことを『クリスタにとっての同率二番目』として大事にしていた。
彼女の『一番』であるケイトは添え物のようにクリスタの隣にいつも連れ立っており、特別に美しく、『クリスタの一番であることの納得感』を周囲に与え、他の家族の『自分が一番になりたい』という欲望を抑えてくれる。
また、クリスタは自分の親を知らず、親と連絡を取り続けているような『ずるい』存在ではなかった。
そして、『男』に奪い合われるには、クリスタ達はまだ幼い。
この絶妙なバランスが、クリスタとケイトの、家族内での平穏を維持していた。
ただ、家族の外の者はそうはいかない。
孤児院の活動の中で外に出かけるたびに、クリスタは人目を惹いた。ケイトもだ。
町の子供達に執着され、大人達に目の色を変えられ、商人達に引き取りたいとの声をかけられ、あわや誘拐されかけたこともある。
そういった厄介ごとからは、基本的に、ケイトがクリスタを守っていた。
厄介ごとに巻き込まれそうになるたびに、ケイトがそれとなく孤児院の教師を頼ったり、それとなく家族の陰に隠れるようにクリスタを誘導して、事なきを得ていたのだ。
また、クリスタとケイトを守っていた者がもう一人いた。
彼女達が所属する孤児院の院長メアリーである。
院長メアリーは、クリスタ達の突出した美しさに、常に悩んでいた。
クリスタ達が街で活動をするたびに、引き取りたいという声が孤児院に殺到していたのだ。
クリスタとケイトに舞い込む引き取りの申し出は、そのほとんどが『家族として迎える』準備ができていない、下心満載のものだった。
もしかしたらそういった意図ではないかもしれないと考えられるものも、ほんの数件存在した。しかしそれも、今は平和な家族、しかし明らかに一家の父親が乗り気で、妻が渋っているような状況で、クリスタとケイトを送り込むことで、家族の崩壊の可能性が高いような案件ばかりだった。
仕方なく、メアリーは、院長権限で全ての申し込みを断ることにした。
実はこの当時、メアリーは、貴族の末端である男爵の申し出すら、断っていた。
当時、孤児院の後ろ盾が盤石であったからこそ、できたことである。
そうして、十歳まで、クリスタとケイトは、平穏に生きながらえていた。
しかしそれでも、彼女達にふりかかる不幸をすべて振り払うことはできなかった。
ケイトが、致死性の流行病にかかったのである。
~✿~✿~✿~
「ケイト! ケイト!」
高熱にうなされ、意識が混濁しているケイトに、クリスタは必死に取りすがる。
しかし、やってきた医師達に引きはがされ、全身を消毒され、それ以降、ケイトの部屋には入れてもらえなかった。
「クリスタ」
「院長先生!」
やってきたメアリー院長に、クリスタは泣きながら抱き着く。
「ケイトは!? ケイトは、どうなるの? 治る?」
「……薬が、足りていないの」
震えるクリスタに、院長は膝をついて、目線を合わせた。
「多分、ケイトに薬は回ってこない。覚悟が必要よ」
目の前が真っ暗になる。
そこから、院長が何を言ったのか、クリスタには認識できなかった。
ケイトが居なくなる?
クリスタの目の前から、ケイトが。
世界が崩壊したような、足元から崩れていくような感覚を覚える。
クリスタはケイトの部屋に入れてもらえない。
流行病で亡くなったなら、きっともう、顔を見ることすらできない。
さっき見た、熱にうなされているケイトが、クリスタの瞳に映る彼女の最後なのか。
クリスタがこれまで生きてきたのは、ケイトが居たからなのに。
「薬を」
それだけ呟くと、クリスタは走り出した。
院長メアリーの制止の声が聞こえた気がしたけれども、クリスタの脳までは届かない。
家族の中で一番足が速いと言われたクリスタは、その自慢の足で、孤児院を飛び出す。
孤児院は街から少し離れた場所、少し小高くなった山とも言えない森の中にあった。
街道を行くと、少し遠回りになる。
だから、クリスタは迷うことなく、真っすぐに街を目指して、森を突っ切っていく。
だんだんと方向があっているのか自信がなくなっていき、それでも、下って行っているから多分大丈夫と念じて、クリスタは走り続ける。
枝に服をかけてしまったり、足を傷つけたりしながらも、足を止めずに走って走って走って。
「わっ、女の子だ!」
「どうしてこんなところに!?」
走っている途中で、小さな湖のある場所に出る。
そこには、釣りをしていると思しき街の男達がいた。
息を切らして、声が出ないクリスタに、男達は寄ってくる。
「どこから来た?」
「西から来たのか……あるのは孤児院か?」
「なんでここに?」
息が落ち着いたところで、顔を上げて、「街はどっちですか」と尋ねる。
しかし、男達はごくりと息を呑むだけで、答えてくれない。
「友達が……、流行、病、で。薬を……街はどちらですか」
言い募るクリスタに、三人の男達は顔を見合わせた後、下卑た笑いを浮かべた。
「そうか……君は孤児院の出なのか」
すっと背筋が凍るような、嫌な予感がして、クリスタは身を引く。
男達は、妙に優しそうな笑みを浮かべていた。
でも、なぜかその笑顔が怖い。
「街の方向なら、教えてあげるよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
「そのかわり、少しここでお話をしていかないか」
「い、急いでいるんです」
「そうか。じゃあこちらも、すぐに済ませないとな」
手を伸ばしてくる男達が怖くて、クリスタは慌てて距離を取った。
すると、男達が勢いよく近づいてきたので、手にしていた小石を投げつけて、彼らがひるんだ隙に、クリスタは再び走り出す。
「おい、逃がすな!」
「あんな上玉、見たことねえぞ!」
クリスタは森の中に駆け込み、逃げるための行動をとる。
男達よりも身軽に、小回りを利かせ、障害物をよけ、走って走って走って。
そうして走りながら、クリスタは悔しくてしかたがなかった。
さっき、小石を手に持っていたのは、いつもそうするようにケイトが教えてくれたからだ。
『一人で動くときは~、ぶつけられるものを持ってなきゃだめよ~』
『どうして?』
『危ないから~。世の中には、色んな獣がいるの~』
森の中の走り方を考えだしてくれたのも、ケイト。
男達よりも足が遅いはずのクリスタが、今も追いつかれないでいるのは、全部全部ケイトのおかげで。
いつだってクリスタは、ケイトに守られているのだ。
(私も、ケイトを助けたいのに)
力がほしい。
ケイトと二人で、幸せに生きていくための力が欲しい。
いや、そこまでのことは望まない。
ただ、ケイトを、私のケイトを助ける力が——。
「あっ」
体が宙に浮いた瞬間、クリスタは自分がミスをしたことに気が付いた。
追っ手ばかりを気にしていて、前をみていなかった。
小さな崖に、身を投じてしまった己を認識した時には、既にどうしようもなくて。
(そっか、私は、ここで終わるんだ)
だけど、それはそれで、悪くはないのかもしれない。
あの子と一緒の場所に行くことができるなら、それで。
「ケイト」
それは、返事を求めてのものではなかった。
最後に発する言葉を選んだ、ただそれだけ。
けれどもその瞬間、予想外のことが起きた。
『——私を呼んだのか』
それは、白くまばゆい、鳥の形をしたなにかだった。
でも、鳥じゃないことはわかる。
だって、羽ばたいていない。それなのに、宙に浮いて、クリスタを胴体で受け止め、こちらを物珍しそうに見ている。
「……!?」
『私を呼んだのか、と、聞いている』
「……!!?」
『言葉は、伝わっているはずだ。回線がずれているのか? いや、合っているはずである。おかしい』
白い鳥は、無機質な声でまくしたてた後、紫色の瞳をきゅるりと動かし、不思議そうにクリスタを見つめてきた。
がくがくと震えているクリスタを見て、しばらく考えた後、背後に聞こえる男達の声に気が付き、視線を崖の上に向ける。
『お前を探している者がいるようだ。なるほど、あれらに引き渡せばよいのか』
「やめてください」
『うん?』
「ここは怖いから、地面に降ろしてください」
『地面に降ろしたら、お前の肉はその衝撃で崩壊し、生命活動が停止する』
「ここから放り投げるのではなく!? ゆっくりと、地面に降ろしてください」
クリスタは、必死に白い鳥につかまりながら、緊張で言葉を詰まらせながらも、必死にお願いを重ねる。
口を利かないととんでもないことになると悟ったのだ。
白い鳥が彼女の指示どおりに、ゆっくりと崖下の地面まで降り立ったので、クリスタはようやく、地に足をつけ、その場でへたり込んだ。
『人間は二足歩行するのではないのか』
「……。あなたは、なに?」
『私は魔女だ。自ら人と交流することは禁じられている』
「……魔女」
『しかし、お前は私の名を知っていた。既に交流は成っている。成っているものを受け入れることは、私の罪にならないはずだ。それに、お前が私の名を知っている理由を解き明かすことは、魔女としての責務である。私は悪くない』
その理屈は、どうだろうか。
怪訝な顔をしたクリスタに、白い鳥は、スッと顔を逸らしている。
そのあからさまなごまかしに、肩の力が抜けたクリスタは、ようやく、まともに息をできたような気がした。
そして、己がここにいる理由を思い出す。
「魔女、さまは、なんでもできるんですか」
『名前で呼ばないのか』
「えっ?」
『……』
「……ケイトは、魔法を、沢山使えるの? 例えば……わ、私の友達を、治すとか」
声が震えて、思わず胸元を抑える。
ここで、できないと言われたら。
『私は入れ替わりの魔女である。人体の治療は専門ではない』
「……」
『見てみないと、わからない』
「助けてくれませんか」
クリスタは、頭を下げた。
地面に擦りつくくらいに、頭を下げて、懇願する。
「なんでもします。私を何に使ってくださっても、かまいません。私のケイトを助けて」
『……ケイト?』
「なんでもします!」
泣きながら訴えるクリスタに、白い鳥はしばらく、目をさまよわせた後、クリスタに頷いた。
再び白い鳥に乗った彼女は、瞬く間に孤児院へとたどり着く。
院長メアリーは、傷だらけのクリスタと、クリスタよりも大きな鳥の形をした発光体に驚きながらも、叫んだ。
「クリスタ、どこに行っていたの!? ケイトは、もう……!」
サッと血の気が引き、次いで、無我夢中でケイトの部屋へと走る。
部屋から出てきた医師達は、クリスタの顔を見ると顔を横に振った。
そして、彼女が部屋に入ろうとしても、入れてくれないのだ。
『邪魔だ』
その一言で、医師達はその場で動けなくなった。
廊下の先から、白い鳥がゆったりと歩いてくる。
きっとこれは、彼の魔法の力なのだろう。
そのおかげで、ようやくクリスタは、部屋の中に駆け込むことができた。
ケイトは、目を閉じて、寝台に横たわっていた。
ただ、それだけのように見えた。
顔も赤らんでいて、ただ眠っているだけとしか思えない。
それなのに、息をしていないのだ。
人口呼吸をしようとしたクリスタを、院長のメアリーが羽交い絞めにする。
「離して!」
「クリスタ、待ちなさい! 感染症なのよ、器具を通さずに触ってはだめ」
「ケイトが! 今ならまだ、助かるかもしれないのに!」
「ケイトは、もう……」
「離して!!」
『魂がまだ、残っている』
その言葉に、クリスタとメアリーは動きを止める。
『私は入れ替わりの魔女である。体と魂を分離し、操ることができる』
「……ケイト」
『クリスタ。私の名を知るお前に、問おう。お前は、この体を望むのか。それとも、魂を望むのか』
「——すべてを」
迷いのないクリスタに、白い鳥は目を見開く。
「私は、彼女の見た目で、彼女の中身で、変わらずにいてくれるケイトと共にありたい」
白い鳥は、思案するように首を傾げた。
長い間そうしていた彼は、ゆっくりと頷く。
『わかった』
それは、奇跡の光景だった。
虹色にきらめく光が、二人のケイトの体を包み込み、横わたる彼女の中から、何かが白い鳥に吸い込まれていく。
そして、白い鳥の体は、ゆっくりと溶けていき、ふと、人の姿を取った。
それは、ケイトだ。
クリスタのよく知る、ケイト。
美しいかんばせ、柔らかい雰囲気、背が低くて、まだ十歳なのに発育のいい体は、クリスタが知っているケイトのもの。
けれども、その髪は黒く、瞳は紫色に輝いている。
そのまま床に崩れ落ちた彼女に、クリスタは慌てて駆け寄った。
院長のメアリーも、それを止めなかった。
むしろ、メアリーは、室外で動けないでいる医師達に、なにが起こったのかが見えないように、慌てて扉を閉める。
布一つまとわない彼女に、ぼろぼろになった自分の上着をかけたクリスタは、息を凝らしながらケイトの様子を見つめた。
声をかけるのも、怖かった。
だって、返事がなかったら。
「……クリスタ?」
びくりと震えたクリスタの頬に、手を当てたのは、間違いなくケイトだった。
クリスタの、クリスタだけの、大事な大事なケイト。
「また泣いているの~? クリスタは泣き虫さんだわ~」
ふわりと笑ったケイトに、クリスタはこらえることなく、わんわん泣いた。
泣いて泣いて、言葉を発することもできないクリスタを、ケイトは起き上がって、よしよしと抱きしめてくれる。
そして、起き上がったケイトはふと、寝台を見た。
そこに横たわっているのは、ケイトだ。
柔らかい茶色の髪をした、ケイト。
「あら~。お葬式をしなきゃ~」
ケイトがのんきにそんなことを言うので、クリスタは目を丸くし、院長のメアリーは失神しそうな顔をしながら、「そうね……」と呟いた。
クリスタの答え次第では、ケイトの魂はクリスタの中に入っていました。





