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34 入れ替わりの魔女


 目の前に、アイリス姉さまが居る。


 まだ、生きて目の前にアイリス姉さまが。


 そう思うと、私の心は急浮上し、同時に、手のひらサイズに変えられた姉さまが、雲のような生き物に握られているその光景が、私の脳みその血管を引きち切らんばかりに苛立たせてくる。


「ヴィ、ヴィヴィ……」

「アイリス姉さま、帰りますよ」

『私が彼女を放スと思っテいるのカい』

「返してもらいに来ました」


 私は気持ちの赴くままに、近くにある椅子を右手で素早く投擲する。

 けれども、椅子は、私が狙った雲のような生き物に衝突する前に、その体積を大きく縮めて、床に落ちてしまった。


 椅子だけではない。


 小物、本、割れたカップに破損した扉の破片。

 ありとあらゆるものを投げつけだけれども、全て小さい玩具のような姿になり、そのまま床に吸い込まれていってしまう。


 私が眉をひそめたところで、意外なところから声が上がった。

 アイリス姉さまである。


「ヴィヴィ! あなた、何をするのよ! 私にも当てる気なの!?」

「大丈夫です、姉さま」


 青い顔で叫ぶアイリス姉さまは、小さくなっていても可愛い。小さくなっているので、余計に可愛らしい。

 それはそれとして、姉さまがあまりにも不安そうにしているので、それもそうかと、私は渾身の笑みを浮かべる。


「もし姉さまが死んだら、私も後を追いますから」


 アイリス姉さまは、私の覚悟を受け止めてくれたようだ。

 白い顔でガクガクと震えているのは、自分の窮地と魔女の恐ろしさを理解したからだろう。


 早く助けてあげなければ。


「待て、ヴィオレッタ!」


 睨み合う雲と私、ほか数名の膠着した空間に、割って入るように駆け込んできたのは、護衛を引き連れたメルヒオールだった。


 ちなみに、マイケルはおそらくまだ馬車にいることだろう。

 最後に見た時は、走り出す私を追おうとして、周りの護衛達とミゲルに「危険だから兄上はここにいてください!」と取り押さえられていた。


 メルヒオールがそれとなく私達の馬車に同乗し、兄を囮に二番手に駆けつけてきたのと比べると、なかなか要領が悪いことである。


「ヴィオレッタ、待つんだ! アイリス様を保護するまでは、強硬な姿勢は良くない!」

『よウやく、ヤっと、話がわカる人間が現れまシたか』

「貴殿の目的はなんだ。私はこの国の第三王子メルヒオール、話によっては、貴殿の希望に沿うよう取り図ることも」

『私はアイリス=フォン=ヴィンセントの子がホシい』

「――ヴィオレッタ、あいつをどうにか無力化できないか!?」


 舌の根も乾かぬうちに縋ってくるメルヒオールに、私は雲とアイリス姉さまから目を離さずに思考する。


 私は魔女ではない。

 教育を施されたことはなく、魔法の授業も、アイリス姉さまの後ろで見てきただけ。

 あとは、()()()()()()を度々受けてきた程度。


 だからそう、使えるものは、人類の教養レベルの魔法、魔力で殴る身体強化、そして、低級の入れ替わり魔法だけなのだ。

 とても魔女に対抗できるものではない。


 そして、この場で最もよくないことは、このまま雲にアイリス姉さまを連れ去られてしまうこと。

 相手は今、私達を舐めているから、このように会話をしているだけで、少しでも警戒させたならば、その姿をくらませてしまうことだろう。


 そして、アイリス姉様は、魔女のおもちゃになってしまう。


 私が唇を噛んだところで、壁際に下がっている紐を持った茶髪の女が叫んだ。


「ちょ、ちょっと待ちなさい! この紐の先が見えないの! あなたの――分、個体? 子ども? ええと、もう一人の魔女ヒルヴィスは、私が捕えてるのよ!」


 その言葉に、雲の足元で、机に潰され、縄で拘束された男がビクリと身を捩る。

 私が意に介さないでいると、雲は大きなその目をニタリと細めた。


『ケイトの弟子は、身の丈だけは分かっていルようでスね』


 ゆらゆらとアイリス姉さまを握る手を揺らしながら、雲は、魔女は、告げてくる。


『我が分個体程度に、アイリス=フォン=ヴィンセント以上の価値があルと?』


 しくしくと机の下の男が泣き出し、壁際の女は絶句している。


「サヴィちゃまに似た女、下がりなさい」

「似た女ってなによ!? 本人でしょうが!」

「アイリス姉さまをこんな目に合わせたのは、サヴィちゃま本人で?」

「サヴィちゃまに似た女ですことよ!!!」

「メルヒー」


 私の呼びかけに、メルヒオールがピクリと反応する。


「アイリス姉さまがどんな姿になっても、助けてあげてほしい」

「……それはだめだ、ヴィオレッタ」


 雲から目を離さないまま、メルヒオールが私の肩に手をかける。

 私がなにをしようとしているのか、おおよそ検討がついているのだろう。


 やはりメルヒーオールは心の友である。


『魔女でモない、人でモない、半端者のお前が、私かラ、アイリス=フォン=ヴィンセントを奪い返セると?』


 ニタリと目を細める雲に、私は不快感で思わず顔を歪める。


 この雲は一体、何を見ているのだ。

 ちゃんと目がついているのか。


「私は人間です」


 頭上で、ギョッと目を剥く気配がする。


 頭上だけじゃない。


 視界の中で、メルヒオールに肩を掴まれている()()()()()が、驚いた様子で、()を見ている。


『お、お前、オマえ、おマエ! 私のアイリス=フォン=ヴィンセントを!!』

「アイリス姉さまは、私のものですよ」


 そう告げた後、私は大きく口を開ける。


 それは命を絶つために。

 アイリス姉さまを、私だけのものにするために。


 視界の中で金の髪が揺れて、ああ、アイリス姉さまの髪だと、そう思う。



 そう、私があの日、見た色。



 十年前のあの庭で、私を求めて話しかけてきた、初めての人間。



 キラキラしたまぶしい服を着ていた小さな女の子の、あの淡い水色の瞳を最後に見ることができないのは、少しだけ、心残りで――。










『決断が早すぎる』


 全身がしびれているかのように動かない。


 魂が、何者かに縛られているのだ。


 他者の魂に魔力の鎖をかけて、自分の魂と繋げてしまう魔法。

 私では、相手の不意を突くか、同意を得なえれば成し得ないそれ。


 ――入れ替わりの魔女の起こす奇跡の余波。


『なぜ、何故、ナゼだ! 何故おマエが、この場に来らレるのですカ!』


 頭上で悲鳴のような声が上がり、その場に居る誰しもが動けない中、優雅な尾を振りながら視界の中心に躍り出てきたのは、艶やかな黒い毛が美しい猫――ミゲルズ=スーパー=キューティフル=ゴージャス=シルク=フローリア=ブラックだ。

 金色の瞳がチャーミングな、成猫の長毛種の黒猫ちゃん。


 しかし、その瞳の奥にある意思は、彼女自身のものではなく、魔女であれば、私達ケイトの系譜の者(家族)に近づく魔女であれば、それを見逃すことはない。


『――ケイトフランチェスクアレシュリビェナ=レイ!!』


『その名で呼ばれるのは久しぶりだ。なあ、ルナよ』


 きらきらと輝く金色の目を細める黒猫に、雲のような生き物は、歯を――そう、口と歯があるのだ――をギリリと食いしばる。


『私の娘達に手を出して、ただで済むと思っているのかな?』


 そう、ミゲルの飼い猫フローラちゃんの中に存在しているのは、入れ代わりの魔女の魂。


 魔女の世界での刑により、十八年前から眠りについている侍女ケイトの体の持ち主――ケイトフランチェスクアレシュリビェナ=レイである。


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