13 王太子様の様子はやはりおかしい
少し騒がしい様子の王宮の中、私は次の日の昼下がりも、中庭で本を読んでいた。
「またそこで本を読んでいるのですか」
今日、私の元に現れたのはミゲルだ。
ダークブロンドの髪に、勝気な顔立ちが特徴的な、この国の第二王子である。
メルヒオールと違って、その美しい顔に浮かぶのは、しぶい表情だ。
眉根を寄せて、なんとも話かけづらそうにしながら、こちらに近寄ってくる。
「ごきげんよう、ミゲル殿下。よかったら、そちらへどうぞ」
「そんな、時間は……」
「……?」
「いえ。では、失礼いたします」
視線をさ迷わせながらも、ミゲルは私に指し示された向かいの席につく。
侍女が紅茶を用意したので、この王子は紅茶派なのだなとそれをぼんやりと眺めた。
「今日から王太子妃としての授業が始まったと聞きました」
「よくご存じですね」
「異国の言葉での授業は難しいでしょう。我が国が王族に求める水準は高いと思いますし」
「楽しい時間でしたよ」
「……そうですか? それならばよかったのですが」
つまらなさそうにしている目の前の男に、私は内心笑ってしまう。
この男は、前回話をしたときのことを根に持っているのだ。
信望する兄を貶め、兄を最も知る人物が自分ではないと知らしめた私に、わだかまりを抱いている。
だから、私が順風満帆にすごしているのが癪に障るのだろう。
とはいえ、彼はそのわだかまりがあるにもかかわらず、何か私に話したいことがあるらしい。
ミゲルは視線をさまよわせた後、ようやく決心したようなそぶりで私に尋ねてきた。
「つかぬことをお聞きしたいですが」
「はい」
「……黒いもの、を、見かけませんでしたか?」
私が今日も今日とて黒装束なミゲルを凝視すると、「私ではありません」とミゲルは即座に答えた。
私が今日も今日とて黒装束に身を包む自分の体の方を見ると、「あなたでもありません」と返事が返って来たので、ならまあいいかとミゲルに視線を戻す。
「何かお探しなのですか?」
「そうです。今も使用人達に頼んで、探してもらっていて」
「落としものでしょうか」
「落としもの、というよりは、逃げ出した、というか」
「……ああ、もしかして」
「何かご存じなのですか!?」
わたしが右手の人差し指をあごにあてながら、焦らすようにそう言うと、ミゲルが真正面から食いついてきた。
素直なことだ。
あまり素直すぎるのも、食指が沸かない。
それに、こんなにまっすぐで、王族の一人としてやっていけるのだろうか。
「『可愛いにゃんにゃん、あの黒い女は一体何なんだよ?』」
「!?」
私の言葉に、ミゲルは真っ白になった顔でこちらを見た。
おや。
ちょっとだけ、心臓がトクンと鳴ったような気がする。
メルヒオールの言うとおりなのかも。
ミゲルも割と、美味しそうな王子さまなのかもしれない。
「『兄上のことを一番知っているのは俺のはずなのに、俺は兄上の一番のはずなのに、兄上を理解しているのは俺のはずなのに』」
「な、なっ、何っ……」
「『にゃんにゃんお前が居ないと俺はもうだめかもしれない……ああっ、つれないそぶりはやめてく』」
「――なんでお前が、知ってるんだ!」
真っ赤な顔で立ち上がったミゲルを、私が上目遣いで見ると、私の膝に眠っていた黒い猫が目を覚ましたのか、伸びをして、私の胸にしなやかな動きでじゃれついてきた。
長毛種で、金色の瞳がチャーミングな成猫の黒猫である。
黒いドレスに同化していたため、ミゲルは気が付かなかったのだろう。
彼の愛猫が私にすり寄っている様子を見て、真っ赤な顔で口をハクハクさせている。
「かわいい子ですね。とても色々なことを話してくれました」
「なっ……なんで……っ」
「あなたはとてもキュートな主人で大大大好きですが、おなかに顔を埋めて吸われるのには困っているらしいですよ?」
ね、と膝に居る黒猫の首元をくすぐるようになでると、黒猫はゴロゴロと喉を鳴らして目を細めている。
脳内がショートしたのか、ミゲルが震えながら立ち尽くしていると、またしても声がかかった。
「何をしているんだ」
割と大きな声だったので思わず振り向くと、そこにはマイケルがいた。
走ってきたのか、少し髪が乱れているし、息も荒い。
しかし、表情はキラキラしい王子さまのもので、 昨日の昼下がりに声をかけてきたときよりも穏やかな様子である。
実は、この第一王子さま、昨日の午後あたりから、最近私の周りを何度も通りがかってくるのだ。
よくわからないけれども、何か心配ごとがあるらしい。
どこかのタイミングで、その悩みをほじくり返してやらねばならないなと、私は内心ほくそ笑む。
「ミゲル殿下と二人でお茶をしていました。マイクもよかったらどうぞ」
「マイク!?」
「では遠慮なく座らせてもらおう」
「あ、兄上。この女……いや、ヴィオレッタ様と、その、愛称で呼ぶ仲なのですか」
「そうだ。彼女は私の婚約者になるからな」
「兄上の婚約者に!?」
「どうしたミゲル。お前、彼女を自分の婚約者にしたいのか」
マイケルの顔は、キラキラと輝いている。
みんなに見せる、いつもの王子さまスマイルである。
しかし、目が笑っていない。
気配が黒くとげとげしい。
兄の威圧的な気配に気がついているのだろう、ミゲルは青ざめた顔で立ち尽くしていた。
ミゲルの顔から、(こんな兄は知らない)という衝撃が手に取るように感じ取れ、私はまた少し、トクンと心臓が高鳴るのを感じる。
しかし、私がその心臓の高鳴りをかみしめる前に、動き出したものが居た。
私の膝に座っていた黒猫である。
「あっ、だめよ。もう、すぐに甘えるんだから……っ」
かわいいミゲルの黒猫が、私の肉ばかりついた胸元を、フニフニと両手で押し始めたのだ。
確か、猫が両手で柔らかいものを押すのは小さい頃にミルクを飲むときの仕草で、甘えたい気持ちが全開になったときに癖としてやってしまうものだと聞いている。
理由を知るとそのままやらせてあげたい気もするけれども、居心地が悪いし、私の貴族服は布の節約のため襟ぐりが大きく開いているので、あまり押されると胸がこぼれ出てしまうかもしれない。
私は、本人達から聞く『猫のイイところ』を抑えた撫でテクニックを駆使し、黒猫を撫でまわして、わたしの胸から彼女の気をそらす。
すると、黒猫は降参したように、私の膝の上でちらりとおなかを見せてきた。
「こら、だめでしょう? こういうことをするなら、私の膝から出て行ってもらいますよ」
「にゃっ」
「もう。ね、ミゲル殿下。この子、とても甘え上手で困ってしまいますよね」
そう言いながら顔を上げると、そこには真っ赤な顔をしてこちらを凝視している二人の王子さまがいた。
二人とも、本当にどうしたのだろうか。
なんというか、表情があまりにもそっくりで、顔つきはそこまで似ていないものの、ああ兄弟なんだなあと二人を展示物のように見比べてしまう。
「あの?」
「……! わ、私はこれで失礼します! 猫を返してもらいましょう!」
「いいですよ。ほら、どうぞ」
私が黒猫を抱えて立ち上がり、そっとミゲルに差し出すと、ミゲルはなぜか固まってしまった。
背の高い彼は、斜め上から、私の肉々しい胸元に抱えられている猫を凝視している。
ミゲルの黒猫は成猫なので、割と重い。
早く受け取ってくれないと、本より重いものをあまり持たない私の腕がプルプルしてしまうのだけど。
不満げに上目遣いで見つめると、ミゲルがごくりと唾を飲み込んだ音がする。
結局、横から不自然な動きで割って入ったマイケルが無理やり黒猫を私から奪い、ミゲルに猫を渡して、彼をこの場から追い返してしまった。
重かったので助かったとお礼を言うと、マイケルは「ああいうのはいつでも私を頼ってください」と笑顔で答えてくれた。
目が笑っていない気がするけれども、まあ面倒くさいので放置でいいだろう。
「ところで、マイケル殿下は何か私に御用があったのですか?」
「え?」
「何度も私の近くを往復していらっしゃったから」
なんの気なしにそう言うと、愕然とした碧い瞳が返って来た。
心臓が、トクンと鳴るのを感じる。
あれは彼が無意識にやっていたことだったのか。
そしてどうやら、これは彼の心を斜め後ろから貫く刃になったらしい。
しっかりと捕まえた上で、問い詰めなければ。
私はするりと彼の左腕に絡みつき、その手の指に右手の指を絡める。
ビクリと体を震わせた彼に、私は身を寄せながら、にっこりと毒のない笑みを浮かべた。
「もしかして、同じことを誰かにされましたか」
「……っ、わ、私、は……」
「私は、嬉しいですよ」
青ざめていく彼に、つい頬が紅潮してしまう。
なるほど、彼はきっと、嬉しくなかったのだろう。
怖くて、恐ろしくて、それなのに自分も同じことをしてしまって、怖がられたのではないかと青ざめて、逆の立場から考えて、自分がかつて相手にやったことの重みを思い知って。
それが、目の前で繰り広げられている。
アイリス姉さまと同じ碧い瞳が、暗く染まっていく。
こんなに愉しいことが、他にあるだろうか。
「いいですよ」
「何、が」
「もっともっと、私に、執着してください」
そうして、メロメロになってくれたら、もっと嬉しい。
そう伝える前に、マイケルは変な声を上げて走って逃げてしまった。
どうやらやりすぎたらしい。
もしかしたら、アイリス姉さまみたいに、本当に一週間、口をきいてくれないかもしれない。
(そうしたら、メルヒーに案内役を頼もう)
マイケルが口をきいてくれないと困るのだが、やってしまったことは仕方がないのだ。
私は席に戻り、本を読み始めた。
今日読んでいる本は、私の母の部屋から勝手に持ってきた本である。
色々と便利なことが書いていあるので、何かと重宝しているのだ。






