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川中島決戦 名もなき英雄たち  作者: 山脇 和夫
8/16

典厩信繁

海津城内

城内は上に下にの大騒ぎになっていた。

夜がしらじらと明るくなってきたが濃霧が完全に視界を妨げている。

すると突然、犀川大砦方面で銃声が多数鳴り響いた。

そして危険をしらす法螺貝や太鼓の音が鳴り響いている。

もしや、大砦合戦が始まったか!

各将が次々と登城して信繁の回りに参集してきた。

「やはり来たか!嫌な予感が的中してしまったが、よりによってお館様が出陣している所にとは!」馬場信春は地団駄を踏んで悔しがる。

「いや、此度のことはお館様も見込んでのことではござらんか…

その証拠にもしやの時の対策もしっかりと言い付けられておる。

我らはそれに従って行動を起こすべきじゃ!」

信繁は冷静に説いた。

「いやいや各々殿、早うござるな。遅ればせながら勘助めも参上つかまつった。

諸侯が眉間に皺を寄せて事態を見守っている中、

半ば笑みを浮かべながら近寄ってくる山本勘助に信春は切れた!

「元はと言えば貴様の甘言でお館様が窮地に立たされておるのだろうが!

それを貴様は…」

今にも胸ぐらに摑みかかろうとする信春に

信繁が割って入って制した。

「今は仲間割れをしている時ではござらん。

一刻も早くお館様を救出する事だ。

重臣たちが議論を交わしている中、犀川からの使者が早馬に乗って場内に駆け込んで来た。

「申し上げます!越後勢の先鋒、濃霧に乗じて犀川を渡り切ってござります。その戦力は霧のため不明なれど、斥候程度ではなく大部隊の模様!」

敵の規模がわからなかった…

ある程度なら犀川大砦だけでも十分防げるはずだからだ。

重臣たちも考えあぐねていると、第二の使者が血相を変えて転がり込んで来た。

「申し上げます!越後勢、全力を持って犀川を渡河しております!第一の柵に殺到、抜かれつつある模様!」

なに!一同目を剥いた。

一刻の猶予もない…皆、副将の信繁に視線が集中した。

「先の軍議で決まった通り、此度は危機でもあるが、越後との戦いに終止符を打つ好機でもある。

越後勢が全軍で渡河したとあれば、退却では今一度犀川を渡らねば帰れぬ。

そこに武田の主力が展開できれば、越後勢を犀川で挟撃し一網打尽にする事ができる。

一刻も早く千曲川を渡って犀川対岸に軍を展開できるかが鍵じゃ。

それまではお館様のいる大砦が包囲されるのを防がねばならぬ。」信繁はそう告げると一同に沙汰を言い渡した。

「馬場殿は我が主力を持って北上…千曲川の渡しを渡河して犀川対岸にに軍を展開せよ!退路を断たれた越後勢を犀川にて挟撃、殲滅する。

別働隊は、信繁が率いて犀川大砦に急行、包囲されるのを防ぐと共に本陣と合流加勢いたす。

海津城にあっては城代高坂殿が防備、万が一の

後詰めとなす!」

一同はこと得たりとばかりに頷いた。


「儂も出陣いたす!」と嫡男義信が前に出た。

「父の危機とあっては、この武田家の行く末を預かる義信が行かぜばなんとする!」

これには叔父である信繁も困った様子を見せたが

今度は高坂が義信を諌めた。

「武田家にあっては義信様は大事な身…それにまだお若い。此度のような激戦にあっては、万が一の事もござります。ここは拙者とともに城の守りを密にする事…これも立派に武田家のお働きと考えます。」

「まぁまぁ、良いではござらぬか!若も父上の火急の危機と見て取った事!

若が直々に救援に来たと知っては殿もお喜びになるであろう!」

勘助はまたも信玄のことを殿と呼んだ。

勘助にとってのお館様はあくまでも信虎…

なんとも歯痒いと諸将は思う。

義信も今回はなかなか引かなかった。

信繁も仕方なく「ならば若、決して儂の側から離れぬようお願いいたす。」

義信もコクリと頷いた。

「不肖、この勘助めも同行いたそう!若は拙者がお守り申す。脚が不自由なるも杖を槍に持ち替えて、越後勢をバッタバッタと蹴散らしてご覧に入れようぞ!」

信繁は一瞬、厄介ものでも見るような目で勘助を見たが、今は一刻の猶予もならぬ時…諸将に下知を下すと各自一斉に配置について行った。


馬場信春はすでに集まった武田主力を率いて

搦め手門から出撃した。

その数一万…一刻も早く千曲川を渡り犀川対岸に到達しなくてはならない。

全軍駆け足で城を後にする。

砂塵がもうもうと舞い上がる。

信繁の救援隊も川中島に向く大手門から出撃して行く。

本来なら大列を組みながらの進軍が善だが、こちらも越後勢が包囲の輪を作り上げる前に到達しなければならない。

先ずは退路を確保するため騎馬に乗る五十数騎が先行する事にした。

その後を足軽数千が駆け足で追いすがる。

騎馬隊は信繁を先頭に山本勘助や嫡男義信、そして彼を守る初鹿野伝右衛門の直属部隊が従っていたが、ただひとり徒士であるはずなのに馬のような速さで追いすがる者がいた。

佐吉である。

彼は初鹿野伝右衛門の部隊に属していたが、下賤の身であるので馬に乗れない。

しかし馬さながらの脚力は十分騎馬隊に追従できた。

幼い頃、父親の折檻のせいで耳が聞こえなくなってしまったが、伝右衛門が並外れた足の速さに目を付けた。

いずれ何かの役に立つかもしれないと部下にしたが、なに分耳が聞こえない弱点は如何ともしがたい。

そこで伝右衛門も一計を案じ、手の動きで言葉を伝えられるよう考えた。

佐吉もカタワの自分を拾ってくれた伝右衛門に恩義を感じ一生懸命覚えた。

二人の間には師従を超えた絆があった。

佐吉には伝右衛門のために命をかけて戦う使命があると同時に、伝右衛門の部隊が義信の護衛を請け負う限り、義信の命を守る義務がある。

今回の出撃で義信が出陣したため、たとえ徒士であっても参陣しなくてはならなかった。

佐吉は一生懸命走った。


濃霧はまだ晴れないが、すでに相当の激戦が繰り広げられている事は空気の波動でよく分かる。

なおも進めば人の怒号や馬のいななきも直に聞き及ぶようになって来た。

川中島はもう直ぐのはずだった。


はやる気持ちの信繁ら騎馬衆の前に、突然数十騎の騎馬武者が霧の中から湧いて出た!

お互いギョッとして立ち止まるが、近侍衆が「旗印は…大根」と告げる。

敵である。しかも上杉家最強の柿崎影家の旗印である。

お互い一瞬怯んだが、やる事は一つ駆逐あるのみである。

信繁も供のものに突撃を命じるとともに槍を突き立てて突進した。

影家の兵も槍を突き立てて突入してくる。

両者入り乱れての合戦となった。

敵も同数程度である。

信繁としてはここは負けられない。

敵を退散させて川中島への道としたかった。

越後勢もそうはさせじと必死に戦いを挑む。

双方に死傷者が多数に上ったが、武田方の気力が優ったのか、越後勢がジリジリと押され始め

やがて遁走にかかった。


「若、いまが好機ぞ!追撃して手柄を立てられよ!」

義信の横で槍を振るっていた山本勘助が督戦した。

義信は一瞬ひるみ、叔父の信繁の姿を探した。

この場の主将は信繁である。

彼の指示を待ちたかった。

「ええぃ、何をしておる!このままでは逃げられてしまいますぞい。ここで手柄を立てておけば信玄公もお目に高いはず!不肖勘助めもお力沿い致し、一躍を担う所存なりぃ!」

勘助は間髪入れず追撃するように促した。

義信も意を決して、「皆の者!いざ追撃じゃ!」

配下に下知を振るった。

義信を守る初鹿野伝右衛門は何か背筋に寒いものを感じたが、主君の命令では逆らえない。

意を決して突撃に移った。

佐吉も義信の手綱をギュッと握りしめて先導に立つ。


「典厩様!若殿の隊が突撃に移りまする!」

越後勢の前衛部隊を退けた信繁は部隊を纏めていたが、配下の知らせにギョッとなった。

「まずい!誰か若を止めさせよ!」

釣り野伏せである。

経験豊かな武将なら、直ぐそれと見破るので、あまり効果のない古来からの戦術だが経験浅いものなら引っかかるかもしれない。

釣り野伏せとは戦っていた前衛が遁走に移ったと見せかけて、敵を誘い込む戦術である。

誘い込んだ敵を後方で待ち構える主隊によって側面から攻撃し、後退した前衛もとって返す。

三方から攻撃された敵はほぼ全滅という容赦ない戦術である。

しかし、前衛の後退は絶妙なタイミングを要し、不自然であればすぐばれてしまう。

前衛指揮官の采配が肝といえた。


義信の経験不足からであろうか。

釣り野伏せに引っかかってしまったと見た信繁は動揺した。

後方から必死の駆け足で武田騎馬隊に追いすがる足軽の軍勢も、あと四半里と迫って来ている。

彼等が後詰めをしてくれれば越後勢に包囲される事も無かろうと踏んだ信繁は、義信隊を追い掛けることにした。

もとより、義信は武田家嫡男である。

何を置いても見捨てるわけにはいかなかった。

信繁隊は全速で義信隊を追った。


「ぬははは!まんまと罠にかかりやがったか」

柿崎影家は舌なめずりした。

「これより武田の背腹を突く。皆の者突撃じゃ!」

背を低くして物陰に隠れていた柿崎隊が槍を突き立てて突進して来た。

義信は初めて敵の罠にかかった事に気付いたがもう遅い。

大いに狼狽したが、ここで敗れれば武田の負けが決まる。

混戦になっては馬上にいるのは危険である。

義信隊は全員下馬して防戦の体制をとった。

信繁隊も駆けつけたが、すでに大乱戦になっていた。

柿崎隊の容赦ない突撃に一人また一人と打たれていく。

このままでは後続の足軽隊が到着するまで持ちこたえられそうになかった。

「義信殿!ここは我らが引き受け申した。活路を開けますゆえ、急ぎ海津城にお引きくだされ」

義信は困惑しながらも皆を置いて行くことは出来ぬと拒んだ。

信繁は義信の手をぎゅっと握って、落ち着いた表情で語り始めた。

「そなたは将来、武田の家を継ぐ身…甲斐の民数万の命を守って行かねばなりませぬ。信玄公は私が命をかけてお助け申す。この戦が終わったら、父上をしっかりお助けし、甲斐の国と武田家を盛り立てていただきたい。分かってくださるか?」

義信はコクリと力無くうなづいた。

信繁は初鹿野伝右衛門に向き直ると、

「よいか!若君を城までお守りしろ!きつく申し付けたぞ!」

ははっ!伝右衛門は頷き、彼の部隊に乗馬を命じた。

「よし!全部隊はこれより退路を確保する!全軍突撃じゃ!」

信繁は先頭をきって右翼側の敵に突っかかって行った。

皆もその後を追う。

激戦であった。皆鬼神の如く槍を突きまくった。

さすがの越後勢も後退を余儀なくされる。

それ、今じゃ!義信隊は間隙を縫って脱出にかかる。

柿崎影家もそれが武田の嫡男義信と悟り逃してなるものかと後詰めを投入する。

せっかく隙をつけたと思ったが、再度包囲しかかっている。

山本勘助が儂にお任せを!と数騎を連れてとって返した。

「やーやーやー、我こそは武田家一の家臣にして知恵袋!山本勘助であるぅ!上杉謙信公に一太刀を浴びせる所存んで戦さ場に馳せ参じ申した!!

謙信公は何処や!謙信公は何処や!」

と叫びながら霧が未だ立ち込める戦場にとって返した。

槍と槍がかち合う音と阿鼻叫喚が響き渡る。

勘助は我が身を犠牲にして義信を守ろうとしたのか…


越後勢の追撃は厳しかった。

残された義信隊も一人二人と数を減らして行く。初鹿野伝右衛門は佐吉の頭を叩いて耳元で怒鳴った。

「よいか!そちは若様をお守りして一目散に海津のお城を目指せ!手綱を決して離してはならぬぞ。ここは儂がしっかり持ちこたえるゆえ、脇見をするな、後ろを振り返るな!まっすぐ城を見据えて走りに走るのじゃ!」

佐吉は耳が遠い。

聞こえないと行っても過言ではない。

それ故に伝右衛門とは手話まで作って意思伝達の練習までしたのだ。

しかしこの時は、どうしたことか伝右衛門の言ったことが全て理解できた。

心の声を聞いたと行ったほうがいいのか…

佐吉はコクリと頷いた。

佐吉は伝右衛門との永遠の別れとなることも悟った。

義信を乗せた馬の手綱をギュッと握り締めると

一目散に走り出した。

佐吉の足は早い。時にして馬をも引きずるようにして城に向かって走った。

佐吉の心には義信はない…有るのは伝右衛門の安否だった。

状況からして今生の別れは間違いない…

しかし佐吉にとってはここまで育ててくれた伝右衛門との別れほど辛いものはなかった。

佐吉は止まらぬ泪を流しながら走りに走った。

時として涙で前が見えなくなっても拭うことなく駆け抜けた。

伝右衛門への感謝であった。

いつ海津城の城門を潜り抜けたのだろう…

義信の周りに従者が取り付き、本丸へと運び込んで行った。

佐吉はそれを見届けると、櫓に駆け上がった。

今まさに駆け抜けた戦場が砂塵で濛々と煙っている。

佐吉は「伝右衛門さま〜伝右衛門さま〜」と名を呼びながら剛泣きした。

一方義信は本丸に担ぎ上げられたが、

憔悴しきった様子で戦場を見下ろしていた。

自分の軽率な行動で幾ばくの家来が亡くなったのか…おじの信繁や勘助の生死は幾ばくなりか…

正気の抜けた義信の脳裏には悪夢としか映らないようであった。


信繁隊は終焉の様相を呈していた。

相手が越後最強の柿崎隊であったのが不運だったのかもしれない。

後詰めの足軽隊が到着する前に殲滅戦へと移行していた。

ほぼ同胞を失った信繁の眼前に現れたのは柿崎影家だった。

「そこに居られるのは武田の副将 典厩信繁殿とお見受けいたす。

我は謙信公譜代の家臣、柿崎影家と申す。よくここまで善戦され申したが、武運もここまで…儂が引導をくれもうそう。

いざ勝負じゃ!」

越後勢は一斉に道を開ける。

信繁も共のものを一斉に引かせると口上を挙げた。

「我は武田信玄の弟にして副将格の武田信繁と申す。此度の越後の戦いぶり、あっぱれでござる!

しかし武田はこのような事で屈服することはござらぬ。この川中島は武田が預かる地となり申した。ならば川中島の領民の平和は武田の責任を持って成し遂げられるはず…越後勢は旧領主村上義清の懇願によって、この地で血を流すはめになり申した。川中島の領民にとって越後の大義は無し!

そうそうに兵を納めて引くが良い!」

信繁の口上は長かったが、影家もそれに答える形となった。

「元はと言えば信州まで侵略の牙を向けた武田に罪があるというもの…この地を奪われた村上殿の無念を我らが変わって晴らそうと言うのが大義じゃ。我らは謙信公の御意志を全うするためにこの地に馳せ参じ申した。

さっさとこの地を受け渡し、無益な戦いを終わらせるのが最善の策と申すもの…」

お互いに長い口上を述べあった。

お互いが大義のため、正義のために立ち上がった戦いであった。

「いざ参らん!」

「受けて立とうぞ!」

両者は槍を正眼に構えた。

えい!と信繁が槍を突けば、影家が応じる。

影家が槍を振り下ろせば信繁が払う。

六手七手と突きの応酬となった。

両者とも幾多の戦塵を潜り抜けてきた強者である。

早々に決着が付かないのも当然であったが

信繁の脳裏には義信の安否があった。

たとえここで影家に勝利しても、残った武田の兵は僅かである。

全滅は免れぬだろう。

ならば、一刻でも時を稼いで義信への追撃が及ばないところまで逃がしたい。

しかし戦さ場において雑念は不要である。

そんな信繁の心様を影家は見逃さなかった。

何度目かの組み合いで隙を見つけた影家が力一杯体当たりを食らわした。

よろめく信繁に覆いかぶさった影家は信繁の兜をグイと引き上げる。

兜の緒が首をぐいぐい締め上げる。

く、苦しい…

影家に覆い被さられているので身動きが取れない。

信繁は意識が次第に薄れて行くのを感じた。

力を失ったのを見て取った影家は脇差を抜き、信繁の首に当て力を込めた。

勝負はあった。

残った武田の兵たちも刀を抜き、改めて立ち向かうも完全に制圧されるのに時は要さなかった。

柿崎影家は信繁の首級を高々と上げ勝ち鬨をあげる。

ようやく足軽隊が到着するも、すでに勝敗が決している戦場には飛び込まず防備の陣を引く。

信繁隊の副将格を任せられた下部三十郎は信繁の仇とばかりに戦場に飛び込めば、本来の目的である信玄の救出及び退路の確保が難しいと判断して

守りに徹する構えを見せた。

眼前で大将が討ち取られるのを見れば、仇を討ちたい気持ちにかられるのが本性だが、

武田の将兵はよく鍛錬されていた。

整然と防備を引き詰めた武田勢に柿崎隊が襲いかかるが、なかなか抜くことが出来ない。

武田本陣を包囲するという本来の目的は、信繁ら多くの将兵の犠牲によって頓挫の様相を呈していた。



一方、馬場信春の率いる千曲川渡河隊も、思い通りに進撃できないでいる。

千曲川にも比較的浅い『渡し』というところがある。

浅いといっても腿まではしっかり潜ってしまうほどだが、渡渉するにはここしか無い。

馬場隊は渡しから一気に千曲川の対岸に出ようと押し寄せたが、越後勢も防備のため甘粕隊一千を配置して陣を敷いて待ち構えていた。

浅いといっても腿まで浸かれば身動きもままならない。

流れも急であるので身構えることすら叶わない状態だった。

そこへ甘粕隊の矢弾がたっぷり注がれたのだ。

渡河を急ぐ馬場隊はバタバタと討ち取られていく。

一度バランスを崩せば容赦なく濁流に呑まれていく。

信春は焦った。

犀川ではお館様はじめ、守備隊が謙信の猛攻を必死に防いでいる。

総崩れになる前になんとしてでも犀川対岸に進出して越後勢の退路を断たなければならない。

「弓隊前へ!!」

信春は弓隊を千曲川に前進させた。

損害は覚悟の上!お互いに弓矢の応酬になるが、敵にも損害を与えられる。

越後勢の攻撃が怯んだ間をみて騎馬隊を突撃させる策である。

対岸に渡り切れれば数に物をいわせて一気に押し切れる。

ここは時との勝負!信春はここが勝敗の要とばかりに惜しまず部隊を投入し続けた。

その甲斐あって徐々に河川の中程から対岸にかけて、一部が渡りつつあるが

清やかな千曲川は、渡し以降の下流は真っ赤に染め上げられていた。

そして多くの将兵の亡骸が流れて行く。

本来なら

闇雲に突進出せるは愚の骨頂…信春には到底受け入れられない策ではある。

信春は心の中で手を合わせて、すまないと懇願した。


一方甘粕隊もここがこの戦の正念場と心得ている。しかし必死の防戦ながら十倍の敵を防ぎ切れるものではない。

時間稼ぎができるのなら…本陣から勝利の勝どきが上がるまでなら…という思いはある。

しかし武田の存亡をまさにこの千曲川渡河にかける信春の気迫の方が上回った。

もう少し粘り強く、全滅も覚悟で守り切ったら

甲越の勝敗は違ったものとなったであろう。

甘粕隊は渡河を許してしまった時点で、頃良しと

部隊の撤収に移った。

馬場隊はそんな越後勢の敗走を追うこともなく

謙信の本営があった犀川の渡しに向かって一目散に部隊を走らせた。

今は陣形がと言っている場合ではない。

犀川の渡しに武田の旗が見えればいい…そして越後勢が退路を断たれつつある事を悟らせればいい。

馬場信春は全軍を走りに走らせた。

自らも先頭に立ち、越後勢が気づくように法螺太鼓、鐘を打ち鳴らせながら走らせた。


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