落ちこぼれ
3 落ちこぼれ
武田の本国では、慌ただしく武者が領内を走り回っていた。
足軽の人足集めである。
先の砥石城攻略戦で思わぬ大敗を喫した甲斐衆は
足軽の人足不足に陥っていたのだ。
とにかく役に立ちそうな若者を集めて来いというお触れに、若武者は血眼になって駆けずり回っていたのだ。
そして数日後、武田の館のある古府中に集められた農民は三千人…
よくもこんなに集めて来たものだと思えたが、中にはまだ少年のような童や中年の域に達した者まで含まれていた。
「これより足軽としての採用試験を行う! 皆、戦国最強の武田の足軽として選ばれるのじゃ!精一杯励むのじゃ!」
足軽大将として名をはせる原美濃守が号令をかけた。
科目は戦場をどれだけ早く走り抜けるかの徒走、
目標に石を投げつける石つぶて、
槍で藁人形を突く槍さばき、
そしていち早く陣形を組むための統率訓練などである。
武田家の重臣や若手将校が居並ぶ中、少人数に分けられた農民がそれぞれの科目をこなしていく。
最優秀者を選ぶわけでは無い。
そこそこ科目をこなせれば、皆採用というものである。
とにかく員数合わせ…どれだけ鍛えるかは採用してからの事だ。
ほぼ全員を採用するつもりで行った試験であるが、
落ちこぼれも数人出てしまった。
いや、落ちこぼれと言っても並外れた片端といったほうがいい。
ある部門では、並外れた才能を示すのに他の部門がまるでだめなのである。
一人は春日井村の新兵衛。
貧しい猟師の次男坊であったので、家には弓も無ければ槍もない。
仕方が無いから石を投げた。
獣が通るであろう道の傍らにジッとしゃがみ込み、獲物が来るのを待つ。
二刻も三刻も動かずにいる事もあった。
新兵衛の得意はその耳の良さである。
獲物が近ずく音を素早く察知して、悟られないように身を隠した。
そして石つぶての距離に獲物が入るや、ビシュっと
投石…ものの見事に眉間にぶち当てるのである。
採用試験でも、新兵衛の放った石つぶては百発百中!
重臣たちも居並ぶ農民たちも目を見張ったが、その後がいけない。
徒走では、どうしたことか牛のように遅い。
焦った担当武者が尻に鞭を浴びせてしまったほどである。
ジッとしているのは得意なのだが、あまり走ったことが無いゆえ、完全に足が鈍ってしまっているのであろう。
わらを突く槍さばきも走り込めないのだから
他の者が槍をついて退出しているのに、まだ藁人形にたどり着いてない有様である。
当然隊列を組むのはもってのほか…
あまりに滑稽なので鞭を振った担当武者も思わず吹き出してしまったほどだ。
石投げはすごいものがあるが行軍もままならぬでは如何ともしがたい。
不採用第一号になってしまった。
そしてもう一人、竜ヶ崎村の権助。
彼は笛吹川の上流で漁を営む漁師の出である。
河原の石を飛び伝いながらマスに槍を射かけるのを得意としていた。
その技は非凡なものがある。
権助の放つ槍はことごとく魚の腹を突き通した。
採用試験でも槍さばきでは目を見張ったのだが…
実は権助、頭が悪い…いや頭の病気といったほうがよい。
槍さばきでも藁人形に突撃するのはいいが、槍を投げてしまうのである。
当時は槍は投げるものでは無い。
槍しか持たない足軽が、真っ先に槍を投げてしまったら後は丸腰になってしまう。
槍さばき試験では何度言っても槍を投げてしまうのである。
何度怒られてもダメ…頭の病気は失語症のようで言われた事も三歩歩くと忘れてしまう。
徒走はまぁまぁだが投石は石を投げるという行為が分からないらしい。
性格は良くいつも陽気なのだが、ものが理解できないのであれば足手まといになりかねない。
残念ながら不採用となった。
そしてもう一人、勝沼村の佐吉ももったいない能力の不採用者となるところだった。
佐吉は幼い頃から野山を走り回っていたおかげで、徒走は滅法早い。
まるで鹿にも劣らない俊敏な動きで障害物も巧みにかわしながら全力で走り抜けるのだ。
重臣たちも身を乗り出して感嘆のため息をついた。
石投げも槍さばきも上手いというほどでは無いが
無難にこなす。
しかし全てを差し引いても群を抜く素早っこさは
採用者随一であった。
が、重大な欠点があった。
耳が聞こえないのである。
いや、全く聞こえないわけではない…耳元で怒鳴ればかすかに聞こえるのだ。
佐吉の父親も武田の足軽をやっていたが、少々乱暴者で、酒を飲ませるとタチが悪い…
佐吉はよく平手でビンタをされていた。
そのせいで鼓膜が破れてしまったのかもしれない。
いつの間にかほとんど聞こえなくなってしまった。
普段の農作業だけならまだ大丈夫だったろうが、
こと軍事となると命令や号令は聞こえないと話にならない。
今回の採用でも肩を叩かれないと何も反応出来なかった。
「さて如何なものだろうか」
採用試験とは名ばかりの全員を足軽にする行事ではあったが、どうしても無理だと思われるものが三人でた。
三人程度なら特に問題もないわけだが、三人がよりによって一面だけに秀でるという、ちょっと勿体無いと思わせる者たちだった。
「三人で一人前なら凄い足軽になるでござるなぁ」と冗談とも本気とも思われる戯言で笑いも起こった。
原美濃守が諸将を見回していると武将らの端に座っていた初鹿野伝右衛門が膝を向けて一礼した。
「申し上げます。問題の佐吉でございますが、某に頂けないでございましょうや。佐吉は我が郷のものでして小さい頃より見知っておる者…
親父も我が家の足軽をしておりました。粗暴な親のせいで佐吉もあんな体になってしまいましたが、いつかは世話をやいてやりたいと思っていたところでござる。
耳は不自由なれど伝達の方法を考えれば十分役に立つのではないかと思いまする。」
初鹿野伝右衛門は晴信の嫡男、義信の馬廻りをしていた。
義信を守る中級将校として数々の戦功を上げている者である。
拙者もと膝を突き出す者がいた。
重臣の高坂弾正昌信である。
「新兵衛を頂きとうござる」
皆が、おぅと驚きの声を上げて昌信に注目した。
「拙者は川中島の守将に任じられた身…敵をいち早く見つけ出して守りを固めねばなりませぬ。
新兵衛の耳は最前線において、きっとお味方の役に立つことでしょう」
あの足で最前線では死ねと言っているような者だぞ!と横槍が入ってドッと笑いが起こったが
昌信もその時はその時!誰ぞに担がぜて
逃げさせましょうぞと切り返した。
また皆がドッと吹き出す。
実はそこもともと名乗り出た者がいた。
鉄砲隊を預かる土屋昌次である。
「権助でござるが、槍を放っては天下一品!もしやかなり目が良いのかもしれませぬ。槍は放ってしまっては丸裸になってしまいますが、鉄砲の弾ならいくら放っても構いませぬ」
またドッと笑いが起こった。
そうか、それほど言うのなら任せても構わぬと思うが、お館様、如何でしょうや?
という重臣の問いに、「良かろう、そちらに任せる」と晴信が言った。
武田の強さはここにある。
家臣団のいろいろな意見を聞いて主君が裁可を下すのである。
結果、最高ではなく最良の選択ができるのが武田の底力であった。
採用試験以来、落ちこぼれ三人衆は出身地は違えどすっかり仲良くなった。
行軍では三人が三様に出遅れる。
新兵衛はまったく追いつけず、権助はあらぬ方向に歩き出す。
佐吉は命令が聞こえず右往左往するばかり.
他が秀でているだけにまったくもったいない事だった。
三人は訓練の合間をみては落ち合うようになった。
最初のうちはお互いを励ましあったり至らない所を練習しあったりしていたが、その内遊びだけになった。
笛吹川で権助が取ったヤマメや山野で新兵衛が捕獲した野うさぎなどを焼いて食べたりした。
武田の訓練はことさら厳しいが、三人にとっては無くてはならない息抜きだったのだ。
三人は自分らの訓練のことも話題にした。
そんな時、いつも無口な佐吉が長舌になる。
組頭の初鹿野伝右衛門を褒め称えるのだ。
「初鹿野様は本当に良いお方じゃ!耳の遠いおらに
手振り身振りでいろいろ教えてくれるんじゃ!
それどころか手の振り方でとっさの合図まで作ってくれおる。」
新兵衛と権助は、また始まったと苦笑いをするのだが、佐吉はよっぽど伝右衛門を尊敬しているのだろう…無口な佐吉がこれ程までに長舌になるのだからと聞いてやっている。
「最近はな、武田ご子息であらせられる義信様の馬番を仰せつかったんじゃぞ〜
これも皆初鹿野様のお陰なんじゃ〜」
佐吉はどうじゃと言わんばかりに胸を反らした。
「それはとんでもねぇ出世じゃないかぁ!
わしの所もな…」と権助が繋いだ。
「おまえは目が良さそうだから鉄砲を撃ってみろと言うんじゃ。凄い音がして初めはびっくらこいたが、よう当たるんじゃ!面白うてたまらんのじゃ」
「そりゃ権助が上手いからじゃ」
新兵衛が口を挟む。
「ただな…わしはお頭が弱くてな…何度言われても弾込めが出来ん」
権助は普通の人間と違う。
失語症のおかげでどうしても複雑な手順が呑み込めないのだ。
「土屋様はこんなおらに小姓を二人つけて下さっただ。そいつらが弾込めをして、わしに鉄砲を渡すんじゃ。わしはそれを的に向かって打つだけじゃ!
楽なもんじゃわい」
そう言って権助はカタカタ笑った。
元来、頭は悪いが陽気な男である…悪びれもせずへらへらしている。
新兵衛はどうなんじゃという投げかけに、新兵衛の顔が曇った。
佐吉がアッと驚いた顔で新兵衛を凝視した。
「どういたんじゃその痣は‼︎」
衣服の間から覗いた足は打撲のために青むくれしていた。
「大したことはないズラ…どうせ役に立たない足じゃ…ただでさえ遅い足がもう少し遅くなっただけだからの」
新兵衛は目だけを笑わせて見せた。
新兵衛の所属する組頭は春日吉左衛門と言った。
彼は新兵衛の愚鈍な動きに殊さらきつく当たっていたのである。
行軍に遅れる新兵衛に、もっと早く歩かんかいと足に鞭を振るっていたのだ。
「なんてひどい事をするだ!」
権助は怒りで立ち上がったが、新兵衛は
「わしが悪いんじゃ…わしが遅いばっかりに
皆んなに迷惑をかけておる。組頭が怒るのも無理は無いんじゃ。しかしな…他の同僚がわしをいじめようとすると春日様が間に入って、いじめる奴らを戒めてくれる。それだけは救いじゃ」
新兵衛の上司、春日吉左衛門は愚鈍な新兵衛に殊更辛くあたった。
その足が悪いんじゃとばかりに、どうしても動かぬ足に体罰を与えていた。
確かに新兵衛の耳の良さと石投げの妙技に惚れ込んだ高坂弾正昌信であったが、それを預かった組頭の吉左衛門としては、たまったもんじゃ無い。
一人の粗相が全体の生き死にに関わる事だってある。
新兵衛に辛く当たるのも無理はなかった。
しかし吉左衛門も意地悪な人間では無い。
組の事を思えばこそであって、悪意ある同僚のいじめには厳罰をもって臨んだのである。
一喜一憂した三人の寄合であったが、戦国乱世の世はいつまでも楽しみを貪る暇を与えなかった。
甲斐の国も越後勢との戦いが激化し、川中島を預ける高坂弾正昌信が援軍を要請してきたのである。
晴信は古府中に残る高坂隊の全軍と幾ばくかの援軍をつけて川中島に派遣したのである。
今宵がしばしの別れという事で、いつもの河原に三人が集った。
何時ものように新兵衛が最後に現れたが、手には瓢箪がぶら下がっていた。
「新兵衛、どうしたのじゃ?その瓢箪は?」
「これか?どうせいつものように落ちこぼれが集まるんじゃろという事で、最後の別れをしてこいと酒を手渡してくれたんじゃ」
「今まで辛く当たったのもお前が死なない為じゃ、許せよ。お前は絶対に死なせぬからなとも言ってくれただよ。」
「そうか、春日様も案外意地の悪い方では無かったのかの」
権助は言いながらも、久しぶりの酒じゃと目を輝かせた。
明日の出陣もあって新兵衛は控えめだが、権助と佐吉は大いに飲んではしゃいだ。
酒も回って二人は大イビキで寝入った頃、
新兵衛は二人を起こさぬよう立ち上がった。
「さらばじゃ、権助、佐吉、わしは最前線に行く…
わしの足の遅さでは、生きては帰れぬだろう。
わしの分まで長生きしてくれ」
新兵衛は二人に礼を言うと闇夜に消えていった。
翌朝、二人は新兵衛がすでに出立したのに気付いて
大慌てで街道に向かった。
すでに長蛇の列を作って川中島に出陣してゆく中に新兵衛の姿を見つけた。
荷駄隊の荷駄車にちょこんと座っている新兵衛…
行軍の速さには付いていけないと組頭が配慮したのかも知れぬ。
新兵衛の申し訳なさそうな顔が印象的だった。