表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
川中島決戦 名もなき英雄たち  作者: 山脇 和夫
3/16

甲斐の虎

甲斐の虎

越後で陣触れが発せられたころ、甲斐の古府中では

信玄の出陣祈願が行われていた。

すでに弟の信繁を大将に先発隊を川中島に派遣している。

此度は信玄自らが率いた本軍が甲斐を出立しようとしていた。

出陣を前に、晴信は仏門に帰依して信玄と名を改めた。

そして信玄の横にはこの時より身に纏う諏訪法性の鎧兜が燦然と輝いていた。

本殿前には風林火山や諏訪法性の軍旗がたなびき、

歴戦練磨の武将たちが控える。

社の外には整然と立ち並ぶ軍団が雲霞のごとく控えていた。

今回は北条氏政の要請による出陣だが、信玄には川中島の領有権を盤石のものとする腹づもりもあった。

越後には多数の間者を忍ばせているが、謙信と国人たちの軋轢も報告に上がっている。

毎年のように川中島には越後の援軍を得た村上義清の軍勢が小競り合いを仕掛けてくるが、

数年前に海津城を、そして昨年は犀川に念願の大砦を築くに至った。

この時点で義清の軍勢を完全に跳ね返す力を得たのである。

しかし今回は上杉謙信自らが大軍を集めて攻めかかってくるとのこと…

この軍勢をも退けることが出来れば、越後勢は謙信への信頼を失い、瓦解することであろう。

そうすれば余勢をかって善光寺平までをも手中に収めることが出来る。

もし謙信が追いこまれているのであれば、必ず決戦を挑んでくるであろう。その時はこちらも要塞を盾に全力を持って阻止すればいい。

あるいはこちらの陣容に恐れをなして引くのもよし…

それこそ越後は自壊の道を歩むだろう。

信玄はここまで読んでいた。

謙信との一戦はこれを最後としたい…と信玄は思う。


川中島まで武田軍が侵攻したのは5年前…

武田晴信(のちの信玄)は甲斐国内を統一すると

隣国信濃への侵攻を開始した。

まずは諏訪に勢力を張る諏訪頼重を滅ぼし

信濃の国主、小笠原長時を一蹴した。

さらに佐久方面の豪族を切り従え、

北信濃の強豪、村上義清を苦戦の末うち破り

豊穣の地川中島に達したのである。

晴信はこの良地を直轄地として腹心の高坂昌信に託したのである。

しかしここに思わぬ強敵と立ち向かうことになってしまった。

越後の長尾景虎(のちの謙信)である。

村上義清の助っ人として南下してきたが、越後勢のあまりの強さに流石の武田軍も醜酸を味わった。

しかし直轄領として安定した運営をするには

何としても外圧を跳ね飛ばさなければならない。

晴信はここに城を築き砦を作って越後の侵入を許さない鉄壁の防衛戦を張ったのである。

実は武田晴信の関心事は信州南部に移っていた。

肥沃な土壌はもとより三河に続く道は温暖な気候と、海という海外貿易の道としても絶対に欲しいところであった。

最近尾張において、織田信長という新興勢力が台頭しつつある。

南蛮貿易から得る膨大な利益と新兵器となる火縄銃で急速に力をつけているという。

晴信としても、何の益もない越後との戦いに終止符を打って、一刻も早く南進政策に切り替えたかったのである。


ここ数年来、信玄には自称軍師という妙な男が付き従っている。

ある日ひょっこりと甲斐古府中の館に現れたかと思うと、信玄の父信虎からの書状を携えてきたのだ。

書状を要約すれば、この男を信虎の助言だと思って

重きをおくようにとのこと…

このような場合はまず疑ってかかるものだ。

早速駿府に隠とん生活を送る信虎に重臣板垣信方を

派遣した。

板垣の報告では、確かに儂の分身だと思って重要するようにとの仰せである。

この男、容姿がちと奇怪である。

片目は刀槍の跡であろう大きな傷が目を塞ぎ、しかも片足は不自由にて平時は杖を、合戦となれば槍を杖代わりにひょこひょこ歩く。

しかし一度口を開けば、恐ろしく弁がたった。

板垣の報告にも、その特異な風貌を伝えているので

まず間違いではないであろう。

名を山本勘助と言った。

実は信玄、まだ青年期の頃、家臣らと結託して父信虎を追放したことがある。

武田家は元来甲斐国の国主であったが、力を失い、領内は乱れきっていた。

しかし信虎が国主になると天性の戦上手の才で瞬く間に国人たちを切り従え、一代にして国を統一したのだ。

しかしせっかくの才を持ち合わせていたにも関わらず性格は凶暴で疑い深い。

結局は家臣からの信認が薄かった。

家臣団は嫡男晴信を当主に押し上げる算段をしたが

これでは謀反になる。

しかし晴信も家臣らの気持ちをよく理解して

信虎を引退という形で駿河に幽閉した。

おかげで家臣団は反逆の汚名を着ることなくすみ、

晴信への信頼と結束を誓ったのであった。


晴信も武田家のためとはいえ、後ろめたい気持ちはあったのだろう…

信虎からの頼むと言われたことは無下には断れなかった。

山本勘助を近くに置くことを了承したのである。


この男、若い頃より諸国を歩き回り見聞を広げてきたらしい。

その甲斐あってか国の盛衰や地勢、

国人や豪族の仲不仲など、良くぞここまで調べ上げたものだと感心するほどである。

自分の立身の為なのか、それとも何処ぞの大名の密偵としてなのか、肝心なところではニヤリと笑いはぐらかした。

どうもこの男の得意は戦ではなく、人の心に忍び込む事であるらしい。

武田が佐久へ侵攻する折、勘助は佐久の小豪族らを得意の弁舌で凋落し、瞬く間に佐久一帯を落として見せた。

家臣団の中でも新参者とはいえ、その功績は大きい。

得意の弁舌も手伝って瞬く間に武田家臣団の中心的存在に食い込んでしまった。

しかし、そんな勘助を快く思わない者もいる。

御親類衆の穴山信君は元よりだが、重臣の高坂弾正昌信や馬場信春らである。

この男、いつかは功を焦って取り返しのつかない事をするのでは無いか?

はたまた、余りにも晴信に取り入る姿に何か得体の知れないものを感じ取ったのだ。


しかしその危惧は現実のものとなった。

佐久を手中に収めたのは自分の手柄とばかりに

余勢をかって村上義清の小県郡を攻めとるよう進言したのだ。

村上義清は北信濃を抑える戦国大名で強敵である。

しかし義清を滅ぼせば、広大で肥沃な北信の地は

武田のものとなる。

北信の経営を安定化するためには、いつかは戦わねばならぬ相手でもあった。

「今が好機!」と押したのが勘助であった。

しかし北信の玄関口である砥石城攻略にかかった武田軍だか、晴信自らも命を失いかねない手痛い大敗

を喫してしまったのだ。

世に言う『砥石崩れ』である。

この戦いで、重臣の中でも重きをなす横田高松を失い、将兵も千とも二千とも言われる大損害を被ってしまったのだ。

高坂や馬場は、それ見たことかと憤ったが、勘助はけろっとした態度で「戦いはこれからでござるよ」とうそぶいた。

結局砥石城は、信濃衆から武田に寝返った真田幸隆が慢心で油断した義清の留守を狙って謀略で攻め落とした。

それ以降、村上勢を各所で撃破しつつ北上…

ついに豊穣の地、川中島に至ったのである。

「まるで甲斐国のようじゃ」晴信は思った。

周りをぐるっと山に囲まれているが、広大な盆地には千曲川と犀川によるデルタ地帯を構成している。

地形からすると度々水害を被る危険があるが、それゆえ肥沃な土壌を形成することにもなる。

水害なら甲斐の国同様、堤を作って防げば良い…

晴信は川中島を気に入った。

ここを直轄地として治めたい…

晴信は重臣の中でも信頼厚い高坂弾正昌信にこの地を治めるよう言い渡したのであった。

甲斐武田の足跡が川中島に踏まれた第一歩であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ