相棒-1
前回のあらすじ。
米IT企業アナリシス社は国防総省と連携し、莫大な利益を上げる代わりに、国防総省からの干渉に悩まされ始める。それに対し一部上層部は反発し、特殊作戦部隊「黒羊」を設立。それらに対処していた。
「黒羊」に所属するダリウス・クルーガーは、国防総省で行われているという極秘計画の調査を命じられる。
【1】
板とコンクリートで作られた迷路。いつ来ても、ここはそんな印象を受ける。ダリウスが居るのは黒羊が所有する屋内訓練施設である。アナリシス社の傘下にある警備会社の建物を借りているのだ。
この訓練施設では、標的に人型のロボットを使っており、姿や挙動は人そのものである。そのため、実弾を使えない代わりに実践的な訓練ができる。
現在、施設を使っているのは一人だけのようだ。ダリウスは監視兼座学部屋に行き、訓練を行っている者の映像を呼び出す。
痩躯の白人男性が拳銃を構えて、移動している。マーブ・エイマーズ。軍属時代からの部下であり、唯一無二の親友で暗号名はカウボーイ。
標的には、すべて頭か心臓に2発ずつ撃ち込まれている。しかも、連射であり、弾着は非常に近い。
その難易度設定を見ると、最高難易度になっていて、ダリウスは苦笑する。敵兵士は異様な反応速度で攻撃を繰り出してくるし、脅威の耐久度を誇る。
ゴールの手前、敵の足音を聴いたマーブは素早く遮蔽物に身を隠す。咄嗟に持っている拳銃を確認するが、弾がない。
二人の兵士がマーブに近づいてくる。幸い、まだ兵士はマーブには気づいていないが、お互いの間は二メートルもなく、敵兵士は突撃銃を装備していた。
マーブはナイフを抜き、足音を聴く。こつこつ、と少しずつ音が近づいてくる。
二人の兵士は、少し距離を取り、死角をカバーしながら移動している。二人の距離が絶妙に離れているため、ナイフで二人を殺すのは至難の業だ。
一体どうするのだろう、とダリウスは思った。近くの一人に飛び掛かるのと同時にナイフでも投げるというのだろうか。
考えている間に、一人がマーブの横に来る。
マーブは飛び出し、一瞬で兵士の位置関係を把握。ナイフで近くに居た一人の喉を切り裂き、身体を盾にしながら、横に移動。その間、数秒の早業。
もう一人の兵士が咄嗟に銃を構え、撃つ。
マーブは盾にした兵士から銃を奪い、撃つ。
銃声がし、マーブの頬を弾がかすめる。
お互いが発砲したタイミングは同じであった。だが、敵兵士だけがのけぞって倒れる。
大した度胸だった。一瞬でも迷いがあれば成功しなかっただろう。
訓練を終える光が付く。
ダリウスは部屋を出て、マーブの元へ向かう。
「流石だな」ダリウスは、マーブに声をかけ、近づく。
マーブは顔をくしゃりとさせ、微笑む。痩躯で、頬がこけたその姿は、痩せた犬を連想させる。
「いつから見ていたんです?」マーブは照れ隠しに、クルーカットの赤髪を撫でる。
「最後の方だけだ。しかし、休日なのに偉いもんだ」
「暇なんです」
「飲みに行くぞ。付き合え」ダリウスは店の名前を言う。
マーブは、緊急の連絡であるということを悟り、「分かりました」
「俺はオフィスに戻って片づけをする。先に行っていてくれ」
マーブは頷き、店へ向かった。
【2】
ダリウスは自分のオフィスに戻り、私物を整理していた。ふとファイリングされた写真を見つける。
写真には幼児と女性。若いダリウスが二人と並んで映っているものもある。
「懐かしい。いつのだっけな、これ」
写真を見ると、当時の記憶が色鮮やかに蘇り始めた。
乾いた銃声、砂埃のいがらっぽさ、我が子の柔らかい匂いと感触、暗闇の中での仲間の息づかい、愛した人の顔、殺した相手の表情、仲間が発した今際の言葉、くぐもった銃声。
殺された仲間も、殺した相手も脳裏から離れない。殺した理由や、なぜ、命令に従おうとしたのかも正確に思い出せる。しかし、その罪には、その行為がもたらした事には、対峙できていない。
ダリウスもかつてアナリシス社で心的外傷後ストレス障害の治療を受けた。生体データを利用したメンタルケア、それが有効であると国防総省は発表しているし、自殺率は下がったというデータもある。しかし、疑問の声もあるのも事実だ。
治療と称した記憶の改ざん、事実の隠ぺいは容易であり、それができるのがアナリシス社だ。
ダリウスは、〝例の件〟について思い出していた。
数年前、国防総省は、生体データ分析システムの改良を依頼してきた。このシステムはAnalysisの元になったシステムで主に兵士のメンタルケアに使用されていた。
アナリシス社はAnalysisに心理療法と連動する機能を追加した「Analysis・Cure」を国防総省に提案し、開発が始まった。この一件が社内で波紋を呼び、大きな問題へと発展していくことになる。
Analysis・Cureは開発時に多少のトラブルはあったものの問題なく完成し、米軍で運用が始まった。しかし、運用が始まって数か月後、アナリシス社に匿名である情報提供が行われたことで事態は急変する。
『国防総省はAnalysis・Cureで収集したデータを不正に取得し、本来の目的以外で使用しており、それには危険な研究も含まれている』
この一文と添付された研究内容を見たアナリシス社幹部は国防総省に説明を求めたが、国防総省は否認するのみ。告発文に確たる証拠もなかったため、稼働中のシステムを止めることもできず、事態はうやむやのまま終結することとなる。
この一件は社内の派閥間の対立を激化させることとなった。「推進派」と「保守派」と呼ばれる派閥の対立である。「推進派」は国防総省の天下り幹部を中核としており、国防総省の指示で危険な橋を渡ってでも利益を得ようという考えが強い。対して「保守派」は既得権益を守るべく「推進派」の動きを国防総省からの干渉と称して強く反発している。
元々、Analysis・Cureの開発には社内では大きな反発があり、それを行ったのも「保守派」だった。彼らは国防総省と関わることでアナリシス社のブランドイメージが悪くなることや経営資産が分散してしまうことを危惧していた。
「保守派」は黒羊に過剰な武力と権限を持たせ、かつ様々なルートから資金調達を行い、〝例の件〟の類似案件を汚い手を使ってでも潰すようになる。
今年中にも米国プライバシー保護法(ADPPA)が成立しようとしている。〈オルタナ計画〉が〝例の件〟の類似案件だとしたら、確実に米国プライバシー保護法に抵触する。
保守派は、俺たちに何をさせようとしているのだろう。米国プライバシー保護法の成立を使って、推進派の勢力を削ぐつもりか? 〈オルタナ計画〉は今まで調査を進めてきた〝例の件〟の類似案件の中でも最もスキャンダルの匂いが強い気がした。
保守派は、この作戦で勝負をつける気なのか?
ダリウスは考えるのを止め、私物の整理に戻った。
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