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蠅の王 2

【3】


 ダリウスは頷き、キーボードを叩く。


『代替の精神についてのおおよその概要については理解できた。しかし、我々が手に入れていた情報の一部は補完できたが、詳細が抜けている部分もある』


 ダリウスは嘘を付き、詳細を話させることにした。


 メアリは目に見えて動揺し、「分かった。私が知っている事であれば協力できる」


『まず、誤帰属を発生させるために生体データを集めたと言っていたが、具体的にはどのような環境で、どのように収集した情報なのか説明しろ』


「先ほど、退役軍人を集めていた理由について話したけれど、話していないことがある」メアリは己を罰するように唇を噛む。


『嘘を付かなければ何もしない』


 メアリは微かに息を吐くと、早口に話し出した。


「計画では、セイバー社の関連企業、例えばオメガセキュリティ社などで実験を行ったのだけど、それも理由がある。第一段階、つまり軍事訓練を行う間は、参加者は徹底的に行動が規制された状態で生活していた。理由は二つある。一つ目は、意識的経験に上らない知覚刺激がどのくらい行動に影響を与えるかを調べる為」


『少し待て』ダリウスはメアリが話そうとするのを制する。


 ロバートが、ダリウスのパソコン画面に資料を送る。


 イデオモーター効果。ある知覚的刺激(単語、文章等)によって、無意識に感情や行動が影響を受ける心理効果。


 ダリウスは資料を読み、


『老人を連想させるような単語を認識できない秒数で知覚しただけで、歩き方が遅くなってしまうような心理的現象か?』


「そう、具体的には、公正とか適切と言った言葉やそれらを連想する文章、映像、音楽を無意識で知覚させ、それが個人に与える影響を変数が少ない環境で記録する必要があった」


 メアリは少し、間を置き、


「二つ目は認知経験がどのように生じるか、つまり物事に対し自動的に湧き上がる思考と、それを生み出す既有知識のネットワーク(スキーマ)の情報を収集するため」


 ダリウスは、マーブと尋問をどのように進めるか話そうとした。しかし、メアリは何か聞く前に話し始める。


「物事に対し、どのように帰属や解釈が行われているかを生体データ分析で推測するの。先ほどの例で言えば、何かが公平であるという感情を兵士に対して帰属させる必要がある訳だけど、個人によって原因を帰属する対象の優先順位が違うし、解釈の仕方も異なるから」


 メアリは息をつき、


「誤帰属は、本当の原因を認識できないことで生じる。つまり個々人の帰属の優先順位や解釈の方法を調べることで、どうすれば本当の原因ではない物に注意を惹かせられるか分かる。これにはパーソナライズ広告によって集められた情報も利用していた」


 二人は虚を突かれたが、メアリの生体データからは嘘の兆候は確認できなかった。


「薬物の影響が思ったより大きいな」ダリウスは歯噛みしながらもキーボードを叩く。


『それらの情報を収集するためには変数が少ない環境下で生活させる必要があったのか』少しずつ尋問のペースを乱され始めているのをダリウスは感じていた。


『少し、待て』


 ダリウスはマーブと尋問の仕方について相談を始める。しかし―


「まだ話していないことがあるのだけれど……」


 ダリウスが尋問を止めたのをどう感じたのか不明だが、メアリが震える声で言う。


 ダリウスとマーブは視線を交わし、「続けるか」


『情報を整理していただけだ。続けて良いぞ』


「軍事訓練は第一段階と言ったけれど、第二段階は企業でのインターンシップで、これは行動規制が少ない環境で行われた」


『なぜ?』


「第二段階は変数が多い状況下で行動を分析し、行動に影響を与えた知覚刺激を逆算する方法を編み出すために行っていたから」


 ダリウスはマーブと数分、何を話したのかを整理した後、


『つまり第一段階の目的は、知覚刺激が無意識に影響を与えている状態での行動パターンを記録すること。そして、その行動パターンが第二段階、つまり変数が多い状況下で生じた際に、何が原因でそれが起きたのか分析すれば、知覚刺激の代替として利用できる「何か』を見つけられるという事か?」


「そういうこと。第一段階では無意識に感情や認知、行動に影響を与えた際の行動パターンを特定し、第二段階では行動パターンから無意識に感情や認知、行動に影響を与える要素を逆算した」


『それらを使い、誤帰属を引き起こすことで意思決定を捻じ曲げたのか』


「そう。ただ、これは全員がこの第一段階、第二段階を経ている訳ではなくて、この実験自体は何回も行われているから、過去に得られたデータを元に、少ない情報から代替の精神を発動させられるかの研究もしたわ」


 メアリは微かに逡巡し、


「今回からは第二段階はAnalysis・Cureを用いたレベルでの……つまり行動規制が行われていると本人は分からない環境下で代替の精神を使う研究にシフトした」


 ダリウスは頭に手を当て、大きく息を吐いた。日常には実験室にはない膨大な数の変数がある。だからこそ、代替の精神を日常で使用するのは無理だと思ったが、Analysis・Cureの行動規制がそれを可能にするとメアリは言っているのだ。


 人の生活パターンはGoogleのフィルターバブルやAnalysisの行動規制を用いるまでもなく、ほぼ固定化されている。その状態で、予想外の変数を限りなく減らす行動規制を行えば、行動や心理状態はかなりの精度で予測可能となるだろう。


 ダリウスは一端、尋問を中断しようとした。しかし―


「現状では知覚情報の取得がないと正確に代替の精神を発動するのは難しい。でも、知覚情報の取得は広がりを見せているし―」メアリはダリウスが訊く前に話し始めていた。もはや、自分が話したいかのようだった。


 マーブが掠れた声で、「話を中断させますか?」


「いや、続けさせよう」


 ダリウスは震えながら拳を握りしめていた。メアリはまるで告白するのが喜びであるかのように機密について話している。しかし、それは薬物による意思決定への影響であり、代替の精神について話す彼女自身が代替の精神で自分を危険へと追い込んでいた。


 ―お願いだから、黙ってくれ。もう話さないでくれ


 機密を必要以上に話せば、メアリがどうなるかは分からない。


 ダリウスの願いをよそに、メアリは上ずった声で話し続けている。


『今まで代替の精神について聞いてきたが何らかの方法で検知できるのではないか?』


 確かに国防総省及びアメリカ政府はサブリミナル効果などを利用したマインドコントロールを行ってきた。しかし、それはどれも映像解析等で検出することができた。


「できない」メアリは冷たく言い放つ。


「代替の精神は検出が非常に難しいの。それこそフェイクニュースやサブリミナル広告などとは比べ物にならない」


 ダリウスは、強烈なめまいを感じ、背もたれに身体を預けた。


「なぜ、そこまでする」ダリウスは虚空に呟いていた。


 心的外傷後ストレス障害の治療で得られた生活パターンの固定化プログラム、それを使ってまでマインドコントロールをしようとしている。なぜ、そこまでやらなければならないのか。ダリウスには分からなかった。


『特定の感情を想起させる刺激を配置し、それを人が認識できないようにし、意思決定に介入する。なぜ、そんなシステムが必要になる?』


「Analysisを始めとして知覚情報の収集と利用は広がりを見せている。それは相互監視の世界を作り出す。国防総省はそれに強い危惧を覚えたのね」


 メアリは一瞬、悲しげな顔をし、


「そんな状況下でアナリシス社が国防総省にある提案をしたのよ」


「アナリシスが」マーブがうめく。


『ある提案?』


「Analysisを完璧にする、つまりヒトの意思決定予測の精度を上げる研究を行えば互いに得であると」


「ふざけるな」マーブは立ち上がり、怒声を発した。


 ダリウスは大きく息を吐いた。代替の精神はアナリシス社の推進派が必要としていたのだろう。そして、それをどうにかして潰したい保守派が俺達を利用した。


 そんなダリウスをしり目にメアリは話し続けていた。


「もし、この研究で得られた情報、つまり自分自身の意思決定に関わる要因についてアクセスできるようになったらどうなるかしらね?」


 ダリウスはぼんやりと、


『人は自由を手にすると思うか?』


「思わない」メアリは短く、それでいて冷たく言い放った。


 ダリウスは我に返り、自分の心を見透かされたような嫌な感覚を覚えた。


 俺は仲間を捨てられない。仲間から得られ、今は枷になっている物を捨てられない。


 ダリウスは深呼吸し、マーブの方を向いた。


「課長補佐に報告する。詳しい内容を再度、話させろ」


 マーブは無言で頷き、尋問を始めた。


「俺は逃亡の準備を始める」ダリウスの声は微かに震えていた。


「私たちだって、自分の意思決定に誤謬があることくらい気づきながら生きている。でも、誰もそれをやめたりしない」


 メアリはまだ話し続けていた。代替の精神が彼女を支配しているとも知らずに。

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