蠅の王 1
【1】
ダリウスは、ロバートと合流し、何もない個室でメアリのガワを交換した。ガワに超小型飛行機(MAV)が付着している可能性があったためだ。
拉致から3時間が経過していた。
ダリウス、ロバート、メアリ、3人ともガワを交換したが、まだMAVの洗浄としては不十分だ。民間軍事企業に入ったという事実は覆せないし、民間軍事企業に出入りする人物は全員マークされる。そして、このガワの交換に使った部屋の入退室も国防総省のMAVなら見通していると考えた方が良い。
だからこそ、次の手筈が必要だった。ダリウスは、ガワを交換した部屋から繋がる広い部屋に向かう。メアリを連れ、目的の部屋に入ると、屈強な男女が30人程度、集まっている。
これこそ、ダリウスが立てた逃亡計画だった。これから数分のミーティングが行われ、30人が散開する。ある者はガワの装着を行い、ある者は様々な偽装ルートを使い、戦地へ向かう。ガワの交換手前までは、ダリウスらの外見は判明しているが、30人と合流した時点では、もう分からない。国防総省は三十人の偽装、逃亡のプロを一人ひとりしらみつぶしに調査しなければならない。これでも、どのくらい時間が稼げるか不明だった。
ミーティングは30分程度で終わり、ダリウスとロバートは、再び逃亡を開始。車を替え、隠れ家へ向かう。メアリは襲撃チームに連れられ、別の隠れ家へ向かう。ここからは遠隔で尋問を行う。
拉致から四時間。ガワはかなり着心地が悪いはずだが、メアリは沈黙を続けていた。
ダリウスは、隠れ家で一息ついた。しかし、ロバートはせっせと銃器を用意し、襲撃に備えた。
対象を拉致してから七時間。ダリウスは脅しをかけた。しかし、それでも沈黙を破らない。
【2】
心苦しかったが、ダリウスはメアリに対し、拷問を開始した。具体的に何かやったわけではない。メアリには必ず通信機のようなものが埋め込まれていると考えていたため、ガワが厚く、相当に着心地が悪い。水を吸った着ぐるみをぴっちりとつけているような物だ。そんな状態で、不自然な体勢を取らされて、かつ周囲の音も聞こえず、闇の中に居れば、人は徐々に弱っていくものだ。
しかし、拉致してから10時間が経過しても、吐かなかったため、軽い電気ショックを与え、意識を瞬間的に奪い、時間の感覚を狂わせていくことにした。過労と、投薬で意識がもうろうとする中で、一時的に意識を失うのだ。
ダリウスはそれらが自動的に行われるように細かなセッティングをしていた。
開始からずっと尿を我慢していたメアリだが、堪えられずに漏らしてしまう。羞恥と屈辱感でもだえるメアリに対し、
『そのガワには排出機能はない。便や尿は溜まっていく』
ガワの内部はアンモニア臭で満たされているだろう。メアリは歯を震わせて耐えていたが、やがて軽く嘔吐し、それもガワの内部にあるがままになった。
拉致から一日が経ち、メアリの意識は朦朧とし始めた。なので、電気ショックを強め、無理やり覚醒させた。
早く吐いてくれ、ダリウスは目じりをもみ、思った。
拉致から二日目。ダリウスは、マーブとロバートと同流。交代でメアリを尋問していた。
ダリウスは感情を殺し、モニターを見つめていた。
ふと、メアリは深呼吸し、「分かった……私が知っていることだけなら……話せる。それで解放してくれるのね?」
その震える声に、ダリウスは胸が締め付けられた。
「マーブ、ロバート」ダリウスは2人を呼ぶ。
「ついにですか」マーブが、ロバートの肩を叩く。
「マーブは聞き出した情報をまとめてくれ、ロバートは聞き出した情報の信ぴょう性を確認してくれ」
マーブはホワイトボードの前に立ち、頷く。ロバートはパソコンを開く。
ダリウスはキーボードを叩き、『そうだ。知っていることを全て話せ』
「私が知っていることは、あの計画が兵士の補助システムの開発だけを目的にしたものではない、ということ」
ダリウスは、メアリにとある薬物を気づかれないように注射した。
『と言うと?』
メアリの息が微かに荒くなり、生体データも興奮していることを表していた。
「高度な印象操作を行い、ヒトの意思決定を操作する研究」
ダリウスは、メアリが話すごとにガワの締め付けを緩めていく。話すことと開放感を無意識に関連付けさせ、尋問を楽にするためだ。
『それが事実だとすれば軍事訓練をやる必要もないだろう。嘘を付いているんじゃないのか?』
「軍事訓練はあるデータを収集するために行われていた研究過程のひとつに過ぎない。私も最近になってそれを知らされた。当初は敵対勢力によるSNSを活用した印象操作に対抗するための計画という説明を受けていた」
話すごとにメアリは興奮していく。薬物の効果で告白と快感が関連付けられ、意思決定に強い影響を及ぼしているためだ。
『では、軍事訓練はどういった意図で行われているんだ。印象操作の研究とどうつながる?』
「軍事訓練で行われていたのは、第三者が戦場の映像を見た際に映像への印象を操作する方法の確立」
『もう少し、具体的に話せ』
メアリは頷き、
「敵対勢力が偽装用外皮を装着した際に、外見上は様々な人種、性別、年齢の人物が入り乱れになる。米軍が彼らと交戦する映像がSNSなどに流出したとする。それを見た第三者が米軍の行動の中に差別的なものを感じないようにするための研究」
ダリウスの瞼が細かく痙攣する。話の内容に生理的嫌悪感を覚えたためだ。
『差別的な物とは何だ。戦闘時における敵対者を侮辱するようなジョークといった物か?』
「それも含まれるけれど、主に研究されていたのは数人の敵対者の中で誰から銃で撃つかという行動時の差別ね」
『そんな咄嗟の行動に差別を感じるのか?』
メアリは頷き、
「国防総省が恐れていたのは、SNSに流出した映像を見た人が映像内の行動に差別が含まれていると言って、それが拡散されてしまうこと。つまり、映像内で差別が行われていないにも関わらず、視聴者がそれを感じ取るのを防ぐのが研究の一つだった。軍事訓練は、様々な状況を作り出すために行われていた」
『退役軍人を集めていたのは軍事訓練と称して様々な状況を作り出すためと、印象操作を受ける視聴者役の二役をさせるために集めていたのか?』
「そう。それに彼らは心的外傷後ストレス障害の治療を受けていた者も多く、記憶の改ざんが容易だった」
『印象操作の研究内容について話せ』
「まず第三者に戦闘時の映像を見せ、潜在連合テストの類似テストを行い、不適切行動についての判断を行わせる。不適切と報告した場合は、なぜ不適切かも報告させる」
『攻撃時に差別していると感じた、ということを報告させると』
「そう。映像に対し、本人の口から〝差別があった、不適切な判断だ〟と言わせ、具体的な理由についても話させる」
メアリは一瞬、目を伏せ、
「そして、数日後に全く同じ映像を見せる。ただし、その人特有の癖を利用し、心理的な誘導を行った状態でね。そうすると、映像を見た人は誘導された通りの印象を持つようになる。今回の件で言えば、差別はあったと言っていたのに、数日後には差別的な行動は見られなかったと発言するようになる」
『意思決定に影響を与えるのか。思考の癖とは何だ?』
「人には、それぞれ特有の思考の癖がある。というよりかは意思決定に影響を及ぼす何かがあると言うべきね。それは主に感情や記憶によって起きるのだけど、Analysisによって収集された膨大な生体データを分析することで一人一人のそれを見つけることに成功した。計画内では、これを〝代替の精神〟と呼んでいた。代替の精神を利用すれば、一人に対して強力かつ証拠が残らないよう印象操作を行える」
『代替の精神か。いかにも今、考えたような名前だな』ダリウスは情報を引き出すため、挑発する。
メアリは目をつむり、必死に何かを考えている。そして、
「代替の精神として使用されていた物で挙げられるのは、簡単なもので言えば吊り橋理論ね」
『揺れる吊り橋を渡っている際に感じた生理的興奮を、異性がその原因であると誤認する効果か』
「そう。発生した感情を本当の原因ではない物に帰属してしまう。これを誤帰属と呼ぶ。代替の精神として研究されていた多くの現象はこの誤帰属なの」
『その誤帰属を起こすために生体データを利用していたのか?』
「生体データを分析し、被験者の人格モデルを作成し、それを利用して誤帰属を発生させていた」
『人格モデル?』
「先ほどの吊り橋効果は感情を利用した誤帰属だったけれど、その感情を生み出す過程を生体データで分析していた。いうなれば、個々人にのみ発生し、強く作用する誤帰属を見つけるためには人格モデルが必要だったの」
『吊り橋理論のように、誰にでも起きるというような物でなく、個人レベルのものということか?』
「そう。私が計画について話す際によく使っていた例えがある。兵士によって黒人が殺される映像を参加者のAが見せられ、兵士の行動の公正さを判断しろと言われたとする。
Aは、公正な判断を下すことのできるBと深く付き合ったことがあり、Bは金髪だった。そのせいで〝金髪〟という要素が無意識下で〝公正である〟と刷り込まれていた。この場合、映像内で適切か不適切か分かりにくい映像だった場合、金髪の兵士がやっていれば、実際は金髪であるという理由によって公正である、と無意識に判断しているにも関わらず、何か原因は分からないが公正のようだ、と意識される。そうすると兵士の行動が公正なのだ、と意識下で判断してしまう」
『ヒトが意思決定を行う際の無意識下の動きに介入するのか』
「人の意思決定はそんな簡単に捻じ曲げられるものなのか」ロバートが呟く。
「Analysisの行動制御や、Analysis・Cureの治療方法を思い出せ」マーブがうつむきながら言う。
「心理状態をある特定の状況に持っていくのは容易なのか」ロバートがぼんやりと言う。その眼は焦点を結んでいない。
マーブはロバートの肩を叩き、「しっかりしろ。まだ尋問は終わってない」
ロバートが自分で自分の頬を張り、深呼吸した。この部屋に居る誰もがメアリの話に動揺していた。
ダリウスはマーブを一瞥し、「どう攻める?」
マーブは、ホワイトボードを見る。
「今のところ、話に矛盾はないと思われます。しかし、大雑把にしか計画について話していないのでボロが出ていない可能性もあります」
「詳しく話させるか」
「我々は計画の一部を知っていることにし、詳細を話させましょう」




