思考
【1】
ジャネットの記憶の改ざんが検知された。しかし、位置情報はいまだ不明だ。
D班は役割を分担し、それぞれの作業を進めた。ダリウスは拉致作戦の立案と準備。マーブ、ロバートは訓練参加者の選定と監視。
ダリウスはオフィスで1人、ジャネットの経歴を再確認していた。何か発見があるかもしれないと思ったからだ。
ジャネットは高校卒業後、海兵隊に入隊し、アフガニスタンに派兵されている。そして、派兵中に心的外傷後ストレス障害と外傷性脳損傷の診断を受けている。
心的外傷後ストレス障害や外傷性脳損傷の治療を受けながら奨学金で大学を卒業したもの、それらが枷となり、一度仕事を辞めていた。
ダリウスは、罪悪感と共感から油汗を流しながら調べを進める。
生体データから拉致の際に使えるものがないか探すと、車と銃に対し、興奮と嫌悪感を覚えるという点が分かった。調べを進めるとジャネットはアフガニスタンに派兵されていた時、乗車中に簡易爆弾(IED)を食らい、停車したところを蜂の巣にされたことが分かった。そして、奇跡的に救出されたということも。
その経験から、ジャネットは車と銃を見ると、心的外傷後ストレス障害のフラッシュバックを引き起こすようになり、今も苦しめられていた。
Analysis・Cureを用いた治療は行っているようだが、あのシステムも完璧ではない。トラウマ体験の記憶想起による恐怖反応と思われる生体信号が必ず、記憶想起を行っているわけではないことと、知覚情報を分析しても何が原因か分からない恐怖反応があることだ。こういった治療を不安定にする要素は無くすことはできない。
そして、記憶の改ざんを行う何者かは、Analysis・Cureによる治療を必ず利用している。
ダリウスは微かに呻き、額の汗を拭く。
まるでモルモットじゃないか、俺たちは彼女を何だと思っているのだ。
罪悪感を覚えたままジャネットが乗っていた車の写真を見て、思わず吐きそうになる。車は原形をとどめておらず、中は朱に染まり、血で濡れた薬莢が散らばっていた。
ダリウスは気分が悪くなり、一度、大きく深呼吸をした。汗は流れ続け、眼がちかちかし、心臓が狂ったように鳴る。
―大丈夫だ。ここはアメリカ。俺は帰ってきた。
自分に言い聞かせ、ダリウスは我に返る。冷たい汗が全身から流れ、何もかもが蘇り始める。恐怖と強い罪悪感。
―あなたは戻りたくなんかないのよ。本当は。
妻から言われた言葉が頭の中で何度も反響する。
『あなたは、子供よりも戦友の方が大事なのよ。あのベッドで丸まった自殺願望者をね』
妻の声が暗闇から聞こえてくる。彼女はあんなことは言っていない。だとしたら―
「違う。あいつが居たから俺は」
―あいつは良い奴だった。
『いい奴〝だった〟でしょ?』
「今だって良い奴なんだ」虚空に向かって呟く。
―外傷性脳損傷で数分前のことも思い出せず、常に不安に駆られ、強い怒りにさいなまれているあいつが? 何度、自殺未遂を繰り返した?
「俺は戦場で共に戦った仲間のために戦っている。それが生き延びた俺の使命なんだ」意識せず言葉が漏れていた。
―貴方は過去にとらわれている。
ダリウスは、メアリの声を頭から追い出そうと髪の毛を神経質に掻いた。JMもジャネットもおそらく戦場から逃れられなかった。
俺の考え、それには俺だけでなく、俺と関わった人の人生も詰まっている。メアリが歪んでいると言った仲間たちから得たもの。そこに美談はない。
俺たちの考えが生まれた過程、そこには勇敢な行動や高潔な精神などと簡単に形容できるものはない。血と糞と硝煙にまみれたものだ。
しかし、そこには確かに絆があり、思いやりがあり、愛さえあった。仲間と共に紡いできた「それ」を歪んでいるとか、適していないとか、簡単に否定し、変えられるはずがない。
―自分自身の考え方は歪んでいないか、それを考えて。
メアリの言葉が聞こえた気がし、ダリウスは強く目をつむった。もう闇から逃げられたような気がしたが、目の前にまた闇が広がっていた。
【2】
過去のことをうじうじと思い出だすのは辞めろ。ダリウスは自分に言い聞かせながらトレーニングを行う。
思考で頭を満たすために、線虫について考える。
黒羊で使用されているMAVとHI―MEMSは、国防高等研究所から非公式に流された情報を元に作られている。つまり、黒羊が国防総省にMAVやHI―MEMSを放てば、すぐにばれてしまう。
MAVは軍需産業が競って開発したため、国防高等研究所からの情報なしでも高性能な物が作れたが、HI―MEMSに関しては、流された情報の何割かを解析し、やっとのことで劣化品ができるレベルであり、合法、非合法問わず様々なルートを通じて技術を発展させたが、それでも国防高等研究所から得られた物よりは能力が低く、限定された物しかできなかったが、それでも今回はそれを使用するしかない。
しかし、線虫でさえ、探知されてしまったら?
ならば、線虫を使わない方法だと、何があるか?
一度、浮かんだ疑問はなかなか消えずに、くすぶり続ける。
何か浮かぶはずだ。そう自己暗示をかけながら、黙々と身体を苛めていく。
ジャネットもしくは標的に対して匂いを付けるとか、パターンを認識させるとかで、鳥の糞は使えないだろうか、いや使えない。
ジャネットにスマートフォンを忘れさせ、対象に持ってこさせるのはどうだろうか。そうすれば、外におびき寄せられる。いや、不自然だろう。
車の中に女の子がいて……今はどこにジャネットが派遣されるかもわからない。しかし、これも決定打にかける。
日課の分が終わったので、仕事に戻る。
他の仕事をしている間も作戦が頭から離れなくなってしまう。しかし、いいアイデアは思い浮かばない。
仲間の命がかかっているのだ、そう簡単には決められない。そう考えると下腹部に嫌な痛みを感じた。トイレに行き、便器に座り、ため息をつく。これからずっと軟便続きだろうな、と思うと憂欝だった。
仕事を終え、帰ってもずっと考え続ける。もはや病気だった。大きくため息をつき、ココアをすする。
スマートフォンの着信音は使えないだろうか? いや、スマートフォンを落とすのは危険すぎる。
スマートフォンがダメなら、ゴミにしか見えない物なら良いのではないか?
いや、人物を特定できるものであれば、何でも良い。ダリウスは思いつき、息をのんだ。




