未帰還者
タクシーから小柄なヒスパニック系女性―ジャネット・ターナー―が降りる。どこかの企業の駐車場のようで、多くの車が停まっている。
運転手が微かに驚いたような視線を送る。それもそのはずでジャネットはなぜか笑顔を浮かべていた。
タクシーが遠ざかるのを見て、ジャネットは大きく息を吐く。
車に乗っても動悸がなくなった。また少し良くなったんじゃないだろうか。
ジャネットは微かな恐怖心とそれに打ち勝った達成感で身震いした。
数年前、派兵されたアフガニスタンで乗車中に即席爆弾(IED)を食らって以来、車に乗ると激しい恐怖を覚えるようになった。退役後もそれらは続き、心的外傷後ストレス障害と診断された。退役軍人省による保証は手厚いとは言えず、自殺の恐怖におびえながら薬漬けの日々を送っていた。
車に乗れず、いつ襲ってくるか分からないフラッシュバックにおびえながら生活する日々は、Analysis・Cureによる治療によって終わった。
Analysis・Cureの画期的なところは、生体データと知覚情報を分析し、そのデータを投薬治療に役立てるという点だ。薬を飲むという点では以前と変わらなかったが、いつ、どのように飲むかというのを一人ひとりに合わせた方法を取れるのがAnalysis・Cureの画期的なところだ。
ジャネットが服用している薬は脳の海馬に作用し、記憶の忘却を促す働きがある。しかし、忘却を促すためには恐怖記憶を呼び起こす必要がある。Analysis・Cureは治療者の日常生活を知覚情報と生体データで分析し、恐怖記憶が想起されるタイミングを見つけ、生活パターンを規定し、効率的に忘却が起きるようする。
ジャネットはバスの発射音(即席爆弾の起爆時の音に類似しているため)や乗車という行為に強い恐怖反応を示したため、効率的かつ負担が大きすぎないルートをカウンセラーが作成し、それに従って生活している。
企業による支配だ、と批判する者もいるがジャネットは気にしていない。確か知覚情報を提出する必要はあるし、行動ルートを決められてしまう(どの公共交通機関を使うとか、どこを通って、何をするか)。しかし、タイトではないし「支配」とか「管理」というイメージは余り沸かなかった。どちらかと言えば、治療を申し込んでもいつ自分の番が来るか分からない退役軍人省の対応や、派兵されたことのない人々からの反応が冷たかったことを思えば、どうという事はなかった。
ジャネットは大きく息を吸って、無邪気に微笑む。車に乗れたというだけで達成感や開放感があったからだ。
もう記憶が現実に割り込んでくることもほとんどなくなった。記憶―即製爆弾の嫌な臭い、燃え上がる人影と叫び声、血に濡れた薬莢。ひどい頭痛や激しい動悸に悩まされることもなく、自分はアメリカに帰ってきたのだと言い聞かせることもなくなった。
目の前の建物を見上げる。洗練された印象の建物で、とても民間軍事企業とは思えない。
数日前、短期の派遣業務のメッセージを受けた。どうやら兵士を補助するシステムのテストユーザーとして選ばれたという。
セイバー社、それがジャネットが派遣された会社だ。元特殊部隊が設立した民間軍事企業で、高度なセキュリティ技術を主力商品としている。
少し緊張しながら受付を済ませる。内装は普通の会社と同じだったが、その「普通さ」は軍の新兵募集の事務所を連想させた。今思えば、事務所の「普通さ」は嘘で塗り固められていたのだが。
海兵隊なんて、頭が悪くて、他に行くところがない奴が行く場所だ。新兵募集センターに行くと言ったとき、友人にそう言われた。小さなショッピングモールの小さな募集事務所。私は、そこのリクルーターに話しかけるしかなかった。今でもそう思う。
私には、金も頭もなかった。しかし、行くべきではなかった。
寝泊まりする個室に案内された後、プログラムの紙を渡される。そこには、ユーザーテストの説明と内容が書いてあった。どうやら戦地を再現した場所で実際にテストを行い、ユーザーインターフェイスの調整を行うらしい。そして、適切な能力を引き出すために基礎訓練を何日間か行うという。
初日は、体力、銃器の取り扱い、戦闘時の判断のテストを行うという。また、機密保持に関する書類にサインさせられ、心理テストを何度も受けさせられた。知覚情報を収集するためのカメラを提出してほしいと言われた時は流石に焦ったが、アナリシス社製の商品を機密保持のために貸していると言われ、ほっとした。どうやらアナリシス社もこのユーザーテストのスポンサーらしい。
小さなワイヤレスイヤホンのような撮影機器を耳に付け、自分のスマートフォンに接続するとAnalysis・Cureとすぐに連携できた。
Analysis・Cureの設定が終わると射撃場に案内された。
確かにAnalysis・Cureによる治療で回復はした。しかし、もう一度戦争に行きたいとは思わないし、ごくまれにフラッシュバックに悩まされることもある。本当はこんなことはやりたくなかった。
私はこんなことをしに来たのではない、とジャネットは銃を撃ちながら思う。
補助システムは日常使用が検討されており、セイバー社の関連企業でテストが行われる。その際、何週間かそこで働くことができるのだ。そして、正社員への登用もあり得るという。そのために来たのであり、戦争の真似事をしに来たわけではない。
初日はあっという間に終わり、寮に戻る。
私には、長く続けられる職業がどうしても、どうしても必要なんだ。もうレジ打ちはごめんだ。ジャネットは毛布を握りしめ、天井を睨む。興奮で寝付けないのか、それとも恐怖で寝付けないのか分からないまま、眠りについた。
そのまま、三日、基礎テストが行われ、残った者だけが訓練への参加を許された。
四日目、残された者がホールに呼び出され、集まった。
おや、とジャネットは思う。参加している兵士の顔、名前はできるだけ覚えていたが、全く見知らぬ顔が十人程度、いたからだ。
壇上に立った監督が言うには、彼らは分析官であるという。
奇妙だ。初めに感じたのはそれだった。確かにドローンの登場により、戦場の広域情報を兵士に伝える分析官の仕事は増えた。しかし、二人一組に一人の分析官が付いたとしても、この人数だと余りそうだ。
他の兵士も疑問に思ったのか、監督に質問を行うと、「これは兵士補助システム開発計画の一環であり、その中でも特に重要な機能のテストになる。だから、分析官も多い」
現代の歩兵戦はいかにドローンを用い、利用するかで勝敗が決まると聞いたことがある。その時に、優れた兵士補助システムは重要になるわけだ。
だが、それにしても分析官が多すぎるのではないだろうか。微かな違和感を覚えた。しかし、訓練内容の説明が始まり、そんなことはすぐに忘れてしまった。




