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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第四章 恋人たち
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テストプレイ ②

   ※


 比良(ひら)山地の山肌を覆い隠していた夜色の木々は、日の出とともに目を覚まし始め、本来の生命力溢れる緑へと着替えていく。

 貸し別荘の玄関ポーチに腰掛け、藤島貴美(ふじしまきみ)はその様をうっとりと眺めている。

 昨夜は本田鉄郎(ほんだてつお)を精神世界の真理まで導き、テツオの精錬された素養の高さから互いの半生を共有するという特殊な時間を持った。

 これは以前に藤島法章(ふじしまほうしょう)から体術と霊戦を学ぶ時に使った手法と同種のものだが、極短時間で二十年近い互いの人生を共有するなど、通常は行わないことだ。

 ある種、禁忌に近いところで、他人の主観を多く追体験するということは自我を損ないかねないからだ。

 たまたま貴美とテツオは反発や拒絶を感ぜずに済んだが、誰とでもこういった結果になるわけではない、と貴美は教えられている。

 聞いた話では、感応し合った際のファーストインプレッションによって恋愛のように理解し合えるケースよりも、些細な不感応から敵対視や拒絶や反発に埋め尽くされることが多く、相手の半生や思考を理解できた分だけ受け入れられなくなるのだそう。


 貴美が想像するに、サヤカの存在がテツオとの感応のクッションや融和剤のように働いたのではないか、と感じている。


「しかし、危険な場面もあった。注意せねば」

 テツオと抱き合ったことや、テツオとサヤカのベッドシーンなどが貴美の脳裏をよぎり、感覚が混濁して危うく自身の貞操を差し出しかけたことも思い出して反省した。

 城ヶ崎真(じょうがさきまこと)に好意が芽生えたためか、これまで興味のなかった男女間の機微や、恋愛とセックスの関連を意識してしまい、貴美は玄関ポーチで夜通し空を眺める結果になってしまった。


「……真も同じ気持ちなら、嬉しいけど……」

「呼んだ?」


 心の中で呟いたつもりの独り言はどうやら声に出てしまっていたようで、返事があったことに貴美はひどく驚いた。

「ま、マコト!? いつから、そこに?」

「ついさっきから。三十秒くらい前」

 顔を真っ赤にしながら体を仰け反らせる貴美に、真はしれっと答えた。

「キミは早起きだな。それも修行してるからなの?」


 やたら激しく脈打つ鼓動に慌てる貴美だが、真の自然な態度に少し嬉しくなる。興味がなければ話しかけないと思うからだ。


「それも、ある。修験者しゅげんしゃは基本的に電力などの文明を使用しない。少なくとも私の一派はだが。お天道様(てんとうさま)とともに目覚めるのはとても自然なこと」


 相変わらず鼓動が激しいが、修行に関することは真にちゃんと理解して欲しいと思い、なるべく心を落ち着かせて説明した。

 が、真はやや渋い顔をする。


「電気とか文明なしはキツイなぁ。……スマホとかH・B(ハーヴェー)無しじゃ生きてけないよ」

「そうなのか?」

「だって、生まれた時から有るのが当たり前だもん。毎日使うしさ」


 真の苦しそうな表情に、貴美の顔色は少し沈む。


「そうか。……私は生まれた時から無いのが当たり前だったから、失った時の辛さが分からぬ」

 うつむき加減になった貴美に、今度は真が慌てる。

「あ、あ! ごめんごめん。そういう現実的な話じゃないよね。なんだ、えっと……。キミが早起きだって話だったろ?」

「そ、そうだった」

 貴美を元気付けるように貴美の肩に真の手が置かれ、貴美は喜んだ一瞬あとにテツオとサヤカのまぐわいがフラッシュバックして体を固くしたが、真から求められたのではないと思い直して力を抜いた。


 しかし同時に、真には貴美の中にある不安を打ち明けておかなければとも思った。

「……実は、昨夜は眠れなかった」


「え、なんで?」

法章(ほうしょう)様……私の伯父が先代の守人(もりびと)で、ここに来る前に戦い方をご教授賜った。けれど、それを試すのは今日が初めてだから……」


 上手く出来るか不安だと続けた貴美に、真はなんと言っていいか分からずしばらく無言の時間が流れた。


「……その、守人がどういうものでどれだけの事ができるのかが分からないから、的外れだったらゴメンなんだけど。……なんてか、守人の戦い方を教えてもらって、キミは理解はできたんだろ?」


 なんとか貴美を元気づけようと考えを巡らせた時間を取り戻すように、真は貴美から視線を外さないようにしながら言葉を選んで質問した。

「それは間違いない」

 貴美が断言してくれたことにホッとしながら、真は貴美の背中をさするようにして返す。


「じゃああとは試すだけじゃん。学校でも授業で教えてもらったことを覚えてるかどうかテストするし、バスケなんか試合に勝つために何度も同じ練習するもん。聞いただけでできる人なんか居ないんだから、試してみればいいよ。テツオさんも、キミのそういう状況を聞いてたからみんなで一緒に訓練しようって言ってくれたはずだし」


 とにかく貴美の不安を取り除いてあげようという一心で真はテツオの名前を出したのだが、意外なまでに効果はあった。

「そうか。テツオが許してくれたんだった」

 テツオの名前を聞くやいなや、真の方に振り向いた貴美の表情は一気に明るくなっていて、真は『おや?』となったが、大して気にせずに貴美の表情が晴れたことを喜んだ。


「そうだよ。俺もさ、この前初めてバイクのメンテナンスの仕方を教えてもらったんだ。今まで、やらなきゃいけないって思ってたのにやり方を調べもしてなかったんだ。でも教えてもらいながらやってみたら意外に簡単でさ。なんていうの? ……案ずるより生むが易し、か? だから、貴美もとにかくやってみるのがいいんじゃないかって思うんだ」


 貴美の表情を見て真の調子も上がってきたのか、先程よりも真の口はよく回る。

 だが貴美も、必死に貴美を元気付けてくれる真を見ていると心強くなってきて、口元をほころばせた。

「真がそう言うなら、やってみる」

「よ、良かった!」

 貴美の笑顔に心底ホッとした真は、貴美の肩に手を回して顔を近付ける。

 真の自然な動作に貴美の反応は一瞬遅れたが、真のしようとしたことを察して目を閉じる。


「オホン! ウオッホン!」


 背後から聞こえたわざとらしい咳払いに、二人は慌てて体を離す。

「おいおい。朝から何やってんだ」

 振り返れば田尻と紀夫が立っていた。

 紀夫が面白そうにニヤニヤしているのは分かるが、田尻が困惑した表情でそっぽを向いている。

 紀夫が今の真と同じ様な状況の時には、呆れたような素振りだったのに、困ったように目を背けていることに違和感を感じた。が、明らかに周囲に気を配れていなかった真の落ち度なのでそこはツッコまないでおく。

「はは。や、やだなぁ。いつから居たんすか?」

 笑ってごまかしながら貴美の手をとって立ち上がる。

 田尻は傷テープが貼られた鼻の下をこすり、紀夫は本当に楽しそうに真にニヤニヤ笑いを向けてくる。

「ひひん。ずっと見てたぞー。何だ何だ? いい雰囲気だったぞ? 昨夜、なんかあったのか? うん?」

「いやいや。何もないっすよ! ないことはないけど、ちょっと深い話をしただけで……」

 真に詰め寄る紀夫に対し、真は両手を振って否定を表しながらなるべくにこやかにごまかそうとする。

 貴美はこういった会話に慣れておらず、口をつぐんでいる。

「紀夫、そのへんにしとけ。仲良くなるのはいいことじゃないか。なあ?」

「ああん?」


 確かに紀夫に執拗すぎる部分はあったが、赤らめた顔を明後日に向けながら真を擁護する田尻も、どこかおかしい。

 それに気付いた紀夫は、チンピラのようにガニ股になって真をからかっていた態勢から、田尻に体を真っ直ぐに向けて言う。

「お前も、なんかあったのか?」

「……ねーよ」

 本当はあった。

 しかしいくらコンビのように四六時中一緒に居る紀夫にも、昨夜のサヤカとのひと悶着は明かせない。

 誰にも言わない・後を引かないという約束で、夢見心地のサービスを受けたのだから、尚更口を割るわけにはいかない。

「…………まあ、いいや。それよりそろそろ朝飯だ。他のみんなもダイニングに集まる頃だ」

「え! そんな時間っすか? 分かりました。キミ、行こう」

 玄関を親指で示した紀夫に頭を下げつつ、真は貴美の手をとって玄関をくぐった。


 二人が居なくなったのを確かめてから、紀夫はもう一度田尻に問う。

「言えよ。俺らの仲だろ」

 見守るように、でも包むような相棒の問いかけに田尻は苦い顔をした。

 互いの関係性を考えれば、今までも様々なことを話してきた。恥ずかしいことも、悪いことも、馬鹿なことも全て打ち明けてきた。しかし今回のことは田尻の恥だけで済まない。

 一線は超えなかったが、サヤカの恥を広めることは、男を貫きたい田尻が一番してはいけないことと思うのだ。

「言えないか? ……ま、人間、隠し事の一つや二つはあるもんだわな」

 田尻は焦った。

 紀夫が田尻との絆から一歩離れたような気がしたからだ。

 自分の犯した愚行よりも友を失う事を恐れた。

「……いや、恥ずかしすぎて言いにくいんだ」

 サヤカの事とテツオの事が頭の中を駆け巡り、自虐的で情けない嘘をつくことにした。

「昨日、クイーンの近くに居ただろ? すっかり、その、惚れたみたいでよ。……ダサイけどクイーンで、抜いたから、その……」

 田尻が話すうちに紀夫の顔はどんどん呆れていき、ポカンと口を開けてしまった。

「マジか」

「お、おお……」

 低いトーンで呟いたあと、紀夫は吹き出して爆笑し始める。

「わ、笑わなくても、いいだろ?」

「バカ! アホ! いい女でオナルとか、誰だってやってるぞ。恥ずかしがるとかそんなんじゃねーよ! そーゆーとこ堅いなお前は!」

「そうかな……。そうかも……」

「お前が変に深刻な顔するから、こっそりクイーンに抱きついたりしてシメられたのかと思ったぞ!」

 田尻の鼻の傷テープを指しながら笑う紀夫。

 あながち間違いではない紀夫の推測に、田尻は動揺して無言になる。紀夫はそれをまた間違って捉えたようだ。

「気にすんな! お前がテツオさんに敵わないのは当然だけど、ほら、初恋は実らないって言うだろ? 悔しい気持ちはティッシュにぶちまけて、次の恋を頑張れ!」

「お? おお、サンキュ……」

 紀夫の励ましのような言葉はもっともらしく聞こえたが、何か釈然としないながらも会話を終わらせるために田尻は紀夫に礼を言った。

 とりあえず違和感が解消できたからか、紀夫は田尻の肩を叩いて玄関へと押しやり、なぜか楽しそうに笑っている。

「いやしかし、田尻から女とか恋愛の話が聞けるとは思わなかったな。いい傾向だ」

 今は何も言うまいと無言になる田尻だが、一つだけ腑に落ちない。

 ――そんなに俺は堅く見られてるのか?――

 紀夫にバレないように首をひねらずにはおれなかった。

 真と貴美に続いて田尻と紀夫が食堂に集まり、それぞれが昨日と同じ席に着く。

 昨日同様、すでにデリバリーで朝食は届いていて、大きめのダイニングテーブルにはテツオとサヤカによってすでに配膳されていた。飲み物は瀬名が調達してきたのだそう。

 早朝ということもあり、この後に体操や訓練の予定があるので、メニューはサンドイッチやマフィンやホットドッグ。肉類や卵や生物(なまもの)を食べられない貴美のためにオニギリが用意されている。

 食事中は隣の席の者と少し話す程度で、全員が騒ぐようなこともなく食べ終え、全員で後始末を行った。

「……これお願いね」

「うっす」

 ギクシャクしてはいけないと思いつつサヤカの隣に立った田尻に、サヤカはさすがの落ち着きでナチュラルに声をかけてくれた。

「鼻、大丈夫?」

「もう治ってるっす。傷跡だけ消えないから」

「そう」

 田尻の鼻を頭突きで潰したのはサヤカだが、田尻の鼻の傷テープを見て『何かあったの?』と聞かないところに気遣いを感じる。

「あん、またオッパイ当たったよ」

「ええ? すす、すいません!」

「マコト、私にもなのだ」

「ご、ごめん」

「真! 二日連続で二人同時とは、どういうことだ? うらやましいぞ!」

「ちゃうっすよ! ちゃうっすよ!」

 食事中とは一転して騒がしくなる。

「真。さすがに狙ってるだろ。今日の訓練、お前だけ特別メニューだな!」

「ま、マジっすか!?」

 テツオから恋愛上の怒りなのか、リーダーとしての倫理違反への懲罰なのか分からない言葉が飛び、真は縮み上がる。

「ぷ、くく……!」

「へ? へへ。あはは……」

「よし! これで公に真をイジメられるぞ!」

 貴美が吹き出したので真も笑いだし、紀夫も悪乗りを開始した。

「紀夫は真とは別メニューだから、それは無理だろ」

「お前は基礎からやり直しだからなー」

「ええ? なんで?」

 テツオの後を継いで瀬名が言及すると紀夫が声を裏返らせて抗議し、また一同に笑いが起こった。

 後ろを振り返ったサヤカは、テツオとうなずき合い遠慮なく笑い声をあげた。

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