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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第四章 恋人たち
95/485

心の距離 それぞれの道標 ⑥

   ※


 七月の夜空を見上げ、貴美はなるべく考え事をやめて、御山に居る時と同様に風や木々の声を聞くようにする。


『声』とはいっても実際に人の言葉で話しかけられたり語りかけられたりするわけではなく、風が肌に当たる感触で気温や湿度を感じ、風にそよいだり昆虫や小動物が揺らす木々の梢や草葉の音で周囲の生命力を計る。


 季節や天候はそうやって体に語りかけてくれるし、その土地が蓄えているエネルギーや育まれている生命力は五感を通して知ることができる。


 これらの感応が他人や自分に向いた時、修験者(しゅげんしゃ)は徳を積むこととなり、常人からは畏怖される霊力や、信奉者から尊ばれる神通力を備えることになる。


 貴美は、玄関ポーチの外灯の明かりが届くか届かないかの所に正座し、御山と同じ様に空一面に敷き詰まった星々を見上げ続ける。


 いつしか貴美の意識だけが真っ直ぐに浮かび上がり始め、別荘の外壁や庭木よりも高く舞い上がり、ゆっくりとズームしていく星空へと、さらに上る。

 上るほどに夜空は遠くまで見透かせるようになっていき、人間の目に映る暗幕のような暗さは取り払われ、遠く深くまで見通せば見通すほどに星粒は数を増して、星空はどんどん明るくなっていく。


 貴美が星空を駆け上っていたことを忘れるほど明るい世界へ辿り着いた頃、さり気なく貴美に近寄る気配を感じて振り返った。


 まだ貴美は体へ帰っていないので辺りは光り輝く世界のままだが、すぐそばまで近寄ってきた気配はしっかりと見えた。

 純真な白い光の存在。

 貴美はすぐに真を思い浮かべて喜んだが、飛んで帰りたい気持ちに待ったがかかった。

 白い輝きの中に、清純な決意を示す青が現れ、次に野望を示すオレンジが映る。更に愛情を示す赤が現れて、性的興奮を欲するピンクも映り込む。

 そして小さなカビのような黒い(もや)を見つけた瞬間、貴美の意識は一瞬で体へ戻った。


「……テツオさん、だったか?」

 玄関から外へ出た瞬間に名前を呼ばれたテツオはひどく驚いた顔をしている。

「……貴美ちゃんか? そんなとこに人が居ると思わなかったから驚いたよ」

 それはテツオの本心だった。


 貴美はサヤカから寝間着用にと借りたピンクの半袖シャツと半ズボンを着ている。もしこれが暗色や黒色の衣装であれば、名前を呼ばれたテツオでも見つけられなかっただろう。

 貴美はそれほどの暗がりに正座していたのだ。


「あいすまぬ。一日に数分でも瞑想をせねば、心が落ち着かぬのだ」

「なるほどな。今の俺と同じというわけか」


 立ち上がって膝についた砂を払っていた貴美に、テツオは照れ隠しのようにニカッと笑顔を見せた。


「でも瞑想かぁ。瞑想なぁ……。嫌いじゃないけど、あんまりスッキリしないんだよな」

 星空を見上げアゴをさすりながらテツオがこぼした。

 貴美は小さく首を傾げる。

「スッキリしない? それはきっと解き放っていないからでは?」


 貴美の言葉に今度はテツオが眉をひそめる。


「解き放つもんなのかい? てっきり高めるもんだと思ってたが……」

 テツオが見つめる前で、貴美は胸の前で両手を合わせる。


「集中力を高めるならばそれで結構。しかし精神や意識を生まれ変わらせたり、蘇らせるのならば、もう一山超えて己を解き放つと良い」


 語るようにしながら貴美は何度か手指を動かして印を切り、空中に小さな図形を描くように身振りも加える。

「……手を」

 貴美は両手を差し伸べるようにし、手の平を上に向けてテツオを招く。

「……目は閉じた方がいいのかな?」

「どちらでも」

 テツオは緊張もなく、むしろ未知の領域が垣間見れるかもと楽しむように貴美の手に自分の手を重ねる。


 なんの合図もなく貴美が目を閉じ深く長い深呼吸を始め、少し遅れてテツオが貴美の呼吸に同調していく。


 ふわりとした風を感じたテツオは、いつもの瞑想と同じ流れに安心し、感情や不安や疑いを限りなく捨て去ってみる。

 段階的に広く大きな空間に佇む感覚を持ったが、これも慣れ親しんだ状態だ。


 ――貴美ちゃん。これじゃいつも通りだよ――


 心で呟いた時、テツオはふと思い出す。

 確か自分は目を閉じずに瞑想を始めたはず。なのに目の前に居る貴美の顔は見えているのに、周囲の景色が消え去って真っ暗な空間に立っている気がする……。

 そう認識した瞬間、貴美がカッと両目を見開いて遥か上空を仰ぎ見た。


「上へ」


 貴美に導かれ、貴美を追うように空を見上げたテツオは絶句した。


「これは、星か? まるで昼のようにまばゆい……」


 数万……数百万……いや数十億を超えていると意識は答えた。


「これは真理。悟りの二歩手前。ここでは自分のことがよく分かる」


 またテツオは貴美に導かれ、己の手の平を確かめるように視線を落とす。

「……ヤバイな。ガチのやつだ……」

 驚きの言葉を発してはいるが、テツオの声音は穏やかで、懐かしい思い出を語るように優しい。

 昔飼っていたペットとの思い出を語るように、無垢。

「……素晴らしい」


 貴美の称賛が耳に届いた時、テツオは一瞬前の輝く世界とのギャップに混乱した。

 背後から仄明く足元に差し込む玄関ポーチの外灯以外は、真っ暗な夜だったからだ。

 そしてテツオに抱きついている貴美の姿も、夜闇の中なので黒い影にしか見えない。


「……あんなの初めて見たよ。ありがとう、貴美ちゃん」

「テツオさんに素養があっただけのこと。私は行く先に指を差しただけ」


 貴美の抱擁に答えるように、テツオが貴美の背中をさすると、貴美が小さく震えた。

「あ、あれ? 変な気持ちじゃなかったぞ?」

 素早く抱擁を解いて体を離した貴美にテツオは動揺した。

「わ、私はサッチンと友達。私はテツオさんを愛してはいけない。私自身の防御ゆえ、お気になさるな、ならいでくだ、さい」

「おお、おう。大丈夫。そこは俺も同じ意見だ」


 テツオが貴美の考えを肯定すると、暗がりでも分かるほど貴美の安堵の吐息が聞こえた。


 ――その息遣いは、誰か好きな奴がいる時のやつじゃないか?――


 顔も判別できない暗闇なのに、分かってしまった気がした自分に驚きつつ、これが瞑想の真価かも……とまとめておく。

「とりあえず今のはノーカンにしとこうか」

「のーかん?」

 首を傾げた貴美に意味を教えてやる。

「ノーカウント。数えません、記録しませんって意味な。要は、さっきのは無かったことにしようってことな」

 テツオから思わず苦笑いがもれたが、貴美には正しく伝わったようだ。

「それでお願いし申す。……ところで、テツオさんはこんな時間に何を?」


 改めて貴美はテツオに問うた。


「ああ。ちょっと考え事してて煮詰まっちまったからな。バイクでも飛ばしてスッキリしようかなって」

「なるほど」

「貴美ちゃんも来るか? さっきのお礼ってほどじゃないけど。瞑想もスッキリするけど、バイクも楽しいぜ」

 バイクのキーを取り出して爽やかに笑うテツオに、下心は感じない。

「お、お付き合いいたす。が、あまり、スピードは出さないで(たも)う。サヤカの後ろは少し怖かった……」


 尻すぼみに声が小さくなっていく貴美を笑い、テツオはガレージへ歩き出す。

「サヤカはバイクイーンって呼ばれるくらいだからな。オンロードでオフのクセを活かしたり、オフロードでオン並みの突っ込みするから怖いのは分かるよ。じゃあ、安全運転で少しだけ走ろう」

「お頼み申す」


 貴美は小さな声で訴えつつ、テツオを追ってガレージに向かう。

 テツオは自分用に持ってきていたヘルメットを貴美に被せてやり、貴美が怖がらない低速で道路へとバイクを進める。

 琵琶湖畔を北上し、田畑が広がるはずの暗闇から市街地を抜けて西側の山裾を目指す。

 再び人家が途切れ始めたのでバイクの速度を上げると、貴美がテツオの背中にしがみつく。

 すっかり道路が山道特有のキツイ勾配とカーブの連続となり、テツオと貴美の尻の下でエンジンが熱を上げて震え、マフラーからは気合が入り過ぎた唸り声が轟く。


 ほどなく、バイクは昼間に訪れたイン谷口の駐車場へと到着し、全力疾走した猛獣が呼吸を整えるようにバイクは大人しくなった。


「貴美ちゃん、大丈夫か?」

「音が、凄かった。……でも、サヤカより気持ちよかった、です」


 まだテツオに抱きついたまま、貴美は切れ切れに答え、何かを思い出したようにもう一度強くテツオにしがみついた。

「おいおい。あんまりくっつくと変な気分になるから気を付けてくれよ」

「は! すまない!」

 完全にテツオのジョークなのだが、貴美は素早くバイクから飛び退いて、ヘルメットを脱いだ。

「じょ、冗談だからな?」

「り、理解している」

 とはいえ、場所が場所だけに冗談が冗談に聞こえないのは仕方がない。

 真夜中に人家のない山の中に二人きりなのだ。


 テツオはルックスと性格に加え立場のお陰もあって、一般的な男子よりはモテる方だが、サヤカと知り合ってからはそういった誘いは断ってきた。

 話の流れや場の雰囲気でボディータッチや下品なジョークも言うが、基本的にサヤカ以外の女とベッドに上がることはない。あえてベッド以外は言及しないが……。

 とはいえ、そんなテツオの事情を貴美に伝えても何の信用にもならないので、()()のない話題を差し向けなければならない。


「……なあ、貴美ちゃん。さっきの瞑想のことなんだが」

「う、うん」

 硬い返事を返してきた貴美に、テツオはバイクに腰掛け直しながら訪ねてみる。

「……俺は素養があるみたいな話だったけど、そういう素養って誰にでもあるのか?」

「……誰にでも可能、でありつつ限られた人だけ、とも言える」

「なんだそりゃ?」


 貴美は少し黙って考えをまとめ、真っ直ぐにテツオの目を見て答え直す。


「誰であれ瞑想を行おうとすれば必ず答えが得られるもの。しかし、人間には欲があり、企みがあり、信心があり、疑いを持つ。そうなると何かを『悟る』という答えは見出しにくくなる。でも、人間はわずかな(あやま)ちで転落するように、わずかなキッカケで違う道を歩める動物。……だから、『人による』となってしまう。試すことにも意味はあるはずだけど……」

「ん。オーケーオーケー! 大体俺が想像したことと同じだったよ。じゃあさ、こういうのはどうだろう?」


 テツオは貴美の話を遮って、体の前に両手の平を上向けて差し伸ばす。

 一瞬、貴美は躊躇したが、テツオを信じて自分の手を重ねる。


「――!」


 貴美は驚きのあまり絶句し、テツオと視線を合わせたまま動けなくなった。

「テツオさん、なぜ?」

「素養があるって言ってくれたからな。貴美ちゃんの真似をしてみたんだ」

 手を重ねた一瞬でテツオの全てが貴美の意識を通り過ぎ、貴美の意識もテツオの中を駆け抜けていった。

 事実として脳に記憶し終わったからか、時間差で脳内にフラッシュバックし、貴美は手を震わせてテツオから手を引いた。

「貴美」

「テツオ」

 互いの中で整頓されていく相手の自我は言葉と記憶となって再生されていき、いつの間にか二人ともに涙を浮かべて抱き合っていた。


「貴美。ほんとに純粋で無垢なんだな」

「テツオ。大それたことを考えてるのに、そんな気持ちがあるなんて、ズルイ」

「好きだぞ。応援する」

「好き。人として好き。テツオを助けたい。願いを成就させてあげたい」


 互いを理解し尊重した瞬間から、二人に言葉はなくなり、時間を忘れて抱きしめ合った。

「……しかし、まさか真とはなぁ……」

「ダメ、なの?」

 ようやく抱擁を解いたテツオは、お似合いだとは思いつつも意外なカップリングに驚いていた。真の口から幼馴染みの女の子が高橋智明にさらわれた話も聞いていたので、真の本命はそちらだと思っていたからだ。

「ダメじゃないさ。応援するって言ったろ」

「あ、ありがとう」

 貴美は顔を赤らめながら礼を言ったが、周りが暗いから見えていないだろうことを有り難く思った。まだ恋愛の話は恥ずかしい。


「でも、まだ『好きかも』という段階、なのだ。テツオとサヤカのようなことは、恥ずかしくて、出来ない」

「あ、あ、当たり前だろ。貴美と真は俺らよりピュアなんだ。気持ちが通じ合ってれば、そんなのは、いつでも、いいんだよ……」


 サヤカとの情熱的なシーンを貴美に見られたことを思うと、柄にもなく恥じらいの気持ちがテツオに湧いた。

「そ、そうか。は、裸は自信がない。サヤカのを見たから……」

「そんなことはないぞ。貴美だって胸はそれなりに――。この話はやめよう。このまま続けたら貴美としちゃいそうになる」

 テツオの正直すぎる発言に貴美は一気に五メートルほど飛び退く。

「それは困る! テツオなら許してしまいそうだけど、困る!」

「わかってる。俺もサヤカへの気持ちがあるからな」

 ここだけは演技でもテツオは爽やかに笑った。

「ただな? 別荘の玄関で貴美が導いてくれたみたいに、ウチの連中にも『あの世界』を見せてやれないかな?」

 テツオの声のトーンで真面目な話だと察し、貴美はテツオの元へ戻ってきて真横へ寄り添う。

「出来なくはない。けれど人によるから……」

「でも、やってみる価値はあるんだろ?」

 テツオは優しく貴美を抱き寄せる。

 貴美は小さくうなずき、身長差のあるテツオの顔へ自分の顔を向ける。

「ありがとう」

 つぶやいてテツオは貴美のおでこに口付けた。

「……唇でも、良かったのだぞ」

「そこは真のために残しといたんだけど?」

「う、うん。さっき、したから」

「……なかなかやるじゃん。貴美も真も」

 また貴美は恥ずかしくなって、顔を赤らめてうつむく。

「悪い悪い。……そろそろ帰るか」

「うん」


 テツオは貴美にヘルメットを被るように指示し、バイクへまたがる。

 貴美も素直に従って、テツオの後ろに乗って、来た時と同じ様にテツオにしがみつく。

「貴美、なるべく進行方向の遠くを見るようにしてごらん。それだけでだいぶ怖くなくなるから」

「分かった」

 互いの半生や性根を共有したからか、貴美はテツオのアドバイスをすんなりと受け入れることができた。

 下り坂ではバイクは猛獣のような唸りは控えめで、木々の隙間から垣間見える街の明かりは、そこに人間の営みがあることを貴美に教えてくれる。バイクの排気音と重なるように風が歌い木々が反響させ大地が全て受け止める様は、人間の文明や文化が自然と共生している証にも思わせる。

 テツオの背中越しにスピードを感じながら、もう、貴美はバイクが怖くなくなっていた。

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