心の距離 それぞれの道標 ⑤
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日付けも変わる頃。
滋賀県大津市にある琵琶湖畔の貸し別荘の一室。
本田鉄郎は仮想キーボードを操作する手を止めて、ベッドでスヤスヤと眠る鈴木沙耶香に目をやった。
いつもならテツオが満足した後はサヤカの思うままにさせて、二人の愛情確認は終わるのだが、今日のサヤカはいつも以上にテツオを求め、体力が尽きて失神同然で眠りについていった。
途中、何度もいつもと違うことを指摘したが、サヤカは『そういう気分なの』としか答えなかった。
テツオとしてはサヤカを自分好みの彼女へと仕立て上げた手前、想定以上の変化や要求があると嬉しい反面不安にもなる。
サヤカから向けられるテツオへの愛情を疑ったり勘ぐったりすることはないが、自分の知らない場所や知らない人物から何らかの刺激を受けたのであれば、その出処は把握しておきたいと思う。
もしもテツオが許容できない変化へと至った時、自分がサヤカに対してどんな感情を持つかの予想がつかないからだ。
「ヤルだけの話なら、盛り上がる分には困らないけどな」
整った顔立ち、誰もが二度見するプロポーション、美しい栗色の長髪、甘やかで色気のある声、三歩下がる女らしさと男顔負けの大胆さ、細やかな気遣いと振り切った勝負度胸、時折ブレーキが効かなくなるジョークとおちゃめさ……。
そして何より、テツオがサヤカを最高の女だと思うのと同等に、サヤカもテツオを最高の男だと思ってくれていること。
サヤカの魅力を挙げればきりがない。
「……ん」
小さく声をもらしながら寝返りをうったサヤカを見つめ、テツオは自然と笑みが浮かぶ。
「愛してるからな。サヤカは俺のただ一人のハニーだからな」
あえて声に出して眠ったままのサヤカへと投げかけ、テツオはH・Bでの作業に戻る。
夜食のあと自由時間を設けた際、瀬名とともに集めた情報の整理と共有を行った。チームメンバー達にはフランソワーズ・モリシャンから情報を得ているように見せていたが、実際はテツオと瀬名を含めたチーム幹部達の家族や親類から繋がった複数の人脈を頼っている。テツオの父親は鉄鋼業を営んでおり、淡路島内だけでなく近県にもシェアを持っているし、瀬名の伯父は陸上自衛隊のとある駐屯地の高官だ。他にもJA共済グループの営業部長を家族に持つ者や、海苔業者の社長の息子など、その人脈は多岐に渡る。
そういった本当の情報源の目くらましとして、どこのチームにも所属せずにアチコチのチームに顔を出しているフランソワーズ・モリシャンは実に都合が良かった。真偽は分からないが、ハーフっぽい顔立ちと思わせぶりな話し方、やたら豊富な知識と雑多な情報は、本人の意思とは無関係に『謎の人物』を演出できた。
ではなぜフランソワーズ・モリシャンこと能村雅代と決別の電話をしたのか?
それは今日の大佐達との訓練の際に、彼らからリークがあったからだ。
『モリシャンが別ルートで危ないオモチャを運ぼうとしている』
大佐達はモデルガンや護身グッズなどの開発と販売に加え輸出入も行っている某一般企業の社員だが、ミリタリーやサバイバルゲームに関わっているだけあって、世界の軍事や警察について一般には流れない情報を有している。
その一つがフランソワーズ・モリシャンの怪しい行動で、併せて『淡路島南部で所属不明の飛行体が目撃された』というニュースも付加されれば、二つの点は非常に近いところにあるのでは?と想像できた。
さらに、テツオの指示で淡路島の各所を巡回しているチームのメンバーから、淡路暴走団と空留橘頭の殆どが新しい皇居に集結し、一時は睨み合いもあったようで皇居周辺は物々しいことになっているという情報も入っている。
スパイというわけではないが、テツオの元を離れていった元WSSのメンバーが他チームに移籍している。
そちらからの情報では、ここ数日『淡路暴走団が兵隊を集めている』という噂が飛び交っていたらしい。
このリークを聞いたテツオは、てっきり警察の目が皇居に向いているスキに、淡路暴走団が縄張り拡大や淡路連合統合を目論み、空留橘頭かWSSに殴り込みを仕掛けてくるのではないか?と考えていた。
瀬名と考えてみた結果、空留橘頭の本心は分からないが淡路暴走団は高橋智明の配下に入り、フランソワーズ・モリシャンから武器になるような物を調達した、とまとめられた。
――空留橘頭はどうか分からないけど、ウチは洲本走連を合わせりゃ百人を超えるし、HDだってある。予備の弾を持たなくていいエアバレットだってある。よっぽどでなきゃこのアドバンテージは覆らない、と思うんだがな……――
テツオはチェアーにもたれて長く息を吐き、カルピスで喉を潤した。
HDで体を強化した。
エアバレットを手に入れ、攻撃力を得た。
大尉の指導で、ゲーム的ではあるが戦場での動き方を学んだ。
厄介者のフランソワーズ・モリシャンとも断絶した。
HDとエアバレットの存在はフランソワーズ・モリシャンに知られてしまったが、知られたところでモリシャンが企業に融通してもらおうとしても叶わないし、叶うはずがない。
なぜなら発売前や発表前の試作品は、その企業にとっては『存在しないモノ』だからだ。存在しないはずのモノを欲しがったり問い合わせたりしても、企業は取り合わないだろう。
それどころかフランソワーズ・モリシャンに見せた物は全て瀬名が用意したフェイクだ。
会合の場所も、彼らの名前も、着ていた制服もだ。
こういった裏工作に付き合ってもらえる関係を築くのに数年を擁し、またフランソワーズ・モリシャンとその背後を欺くためだけに瀬名は各地を走り回ってくれた。これもひとえに親族や人脈や協力してくれたチームメンバーのお陰だ。
ここまで整えておいて、それでもなおテツオには若干の不安が残っている。
背中に出来たオデキのように、気にしていないはずなのに気になってイライラしてしまう不安。
――やっぱりモリサンの背後に何者が居るのか、だよな。俺らに回ってきたHDにしろ、皇居に降ろした荷物にしろ、個人で背負える金額じゃない――
先程の食事中での会話でも少し触れたが、HDは決して安価な物ではない。例え試作品であれ、十代のテツオ達からすれば高額なことに違いはない。
それを入手経路も分からずに所属してもいないチームのために買い揃えるのだから、社長の息子程度の財布や懐具合ではないのかもと思えてくる。
あるいはもっと巨大な組織や団体が関わっているかも……。
「……ま、そん時はそん時か」
裏を読みすぎた感が出てきて、フランソワーズ・モリシャンを勝手に大きなものと見てしまうところまで来てしまい、テツオは考えるのをやめた。
準備や根回しは重要だと信じているが、深読みは新しい情報や展開への対処を狭めるのを知っているからだ。
脳内に展開していたアプリも閉じて、テツオはチェアーにもたれて深呼吸し、視線をベッドへと向ける。
相変わらず穏やかな寝息を立てているサヤカを見る。
微笑みながらチェアーから立ち上がると、ベッドサイドまで歩んで、そっとサヤカにキスをした。
「ちょっと気晴らししてくるよ」
寝ているサヤカに告げて、テツオは静かに部屋から出て行った。




