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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第四章 恋人たち
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心の距離 それぞれの道標 ①

「あの、すいません!」


 部屋へ入ろうとしていた鈴木沙耶香(すずきさやか)藤島貴美(ふじしまきみ)を呼び止めようと声を掛けたが、真の声は届かなかったようで無情にもドアは閉じられた。

 せっかくここまで追ってきた勇気と、目の前で断たれてしまった虚無感に、ドアをノックすべきか諦めて退散すべきか、悩む。

 思わずサヤカの入った部屋の前を行きつ戻りつしていると、ドアの開く音がした。

「何してるの?」

「す、すいません。さっきのこと、謝ろうと思って……」

「ふーん」


 ドアのすき間から応対していたサヤカは、真の言葉に偽りがないかを確かめるようにジッと見つめ、ドアを半開きにしたまま廊下へ出て来てくれた。

 どうやら真に下心はないと判断したようだ。


「謝るって、なんのこと?」

「え、いや、さっきそのぅ……胸に当たったから、その……」

「もみに来た?」

「そんな馬鹿な! そんなわけないです!」

「ふふ。冗談よ」


 どうも真面目で女慣れしていない男子を見ると、サヤカはエロネタでからかいたくなってしまう。赤くなったり照れたり恥ずかしがったり、慌てたりする様が可愛らしくて自分も初心(うぶ)な気持ちに戻れるからかもしれない。

 もしかするとテツオに純真を奪われたことで、誰かのピュアな外皮を剥ぎたいだけなのかもしれない。その証拠に浮気をしてみようかと思ったりテツオ以外の男と寝ることに興味はあっても、まだ実行したことはない。


「そもそもオッパイに当たるわけないしね」

「ええ? 嘘だったんすか?」

「うん。だってほら、こんな感じの立ち位置だったでしょ? 布巾絞ってみて?」

 サヤカが真の真横に立ち、先程のキッチンの立ち位置になって促されるまま真は布巾を絞る動作をしてみる。

「……ほらね」

「え、でも」

「当たってるのは二の腕よ」

 言われて目を向けると、真の右肩が当たっているのはサヤカの左手の二の腕だった。

「ホントだ……」

「ね? だから謝らなきゃいけないなら、私の方だよ」

「そんなこと……」

 真は、まだ肩がサヤカの腕に触れたままになっていることに照れつつ、二の腕の隣にあるサヤカの胸を凝視してしまう。

「……ちなみにオッパイだとこんな感じね」

 またサヤカは真の反応が面白くなってきて、体をズラして真の肩に胸を押し当てる。

「ぜんぜん、違いますね」

 真の体にはない感触に鼓動が早くなる。

 下着の感触が意外と固いことに驚いたが、その奥には柔軟に形を変えたあとに元の形に戻ろうとする形容不能の流体があった。

 姉・(こころ)の過度なスキンシップで慣れていたつもりだったが、相手が変われば受け取る感情も変わる。触れられるはずがないと一線を引いていればこその価値もある。


「あは。ちょっとやりすぎちゃったね。真ん中に当たっちゃった」

「真ん中?」

 サヤカが何を言っているのか分からず、胸元から顔へと視線を向けて、真は硬直した。

 サヤカが頬を赤らめながら微笑んでいる。

 もう真は何も考えられなくなり、ただただサヤカを見つめるだけだ。

「キス、したことある?」

「……ないっす」

「あ、じゃあ、ちょっと申し訳ないな。初めてって大事だからね」

 急に態度を冷めさせたサヤカは真から体を離し、申し訳なさそうにする。

「え? あれ? クイーンとなら一生の思い出ですけど?」

 一旦膨らんだ期待を諦められず、真は食い下がってみる。

「それって後からややこしくなるやつだよね? だったらダメだよ。思わせぶりなことしたけど、私はテッチャンの彼女だからね」

 真はサヤカが何をしたかったのかわけが分からなくなってきたが、『テツオの彼女』という一言を聞いて引き下がるしかないと判断した。

「それは、そうですね」

「あん。やっぱり可愛いなぁ」

 サヤカがつぶやいた直後、真の視界に栗色の髪がフワリと漂い、甘い香水の香りがして、ほっぺたに柔らかいものが数秒触れた。

「え? 今のって……」

「ヒ・ミ・ツ。みんなには顔色が戻ってから会った方がいいよ。裏庭ででも涼んでおいで」

 混乱する真をよそに、サヤカは素早く離れて部屋の中へ滑り込み、投げキッスをしながらゆっくりドアを閉じる。

 閉じられたドアをしばらく眺めていた真だったが、サヤカに促されたのもあって、気持ちの整理のために裏のウッドデッキへと向かった。

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