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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第四章 恋人たち
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プライベートアイ ①

 ――これは一体、何の時間なんや――


 黒田幸喜(くろだこうき)は三宮センター街にあるファミリーレストランのドリンクバーで、ホットコーヒーを注ぐ合間に今更ながら自分の現状に疑問を呈した。

 熱々のカップを慎重に運んで席に戻ると、同席している播磨玲美(はりまれみ)がニッコリと笑いかけてくる。


「なんか、変な感じやな」

「そうですか? デートじゃないんですから気兼ねしなくていいんですよ。それともデートにしちゃいますか?」

「そうは、いかんやろ」


 すでに食事は済ませたが、遺伝子科学解析室を出てからここまで当たり障りのない会話をしてきてのこれである。

 野々村美保が播磨玲美を評した『あからさま』という一語に思わず納得してしまう。

 淡路島に戻ろうとする鯨井孝一郎(くじらいこういちろう)柏木珠江(かしわぎたまえ)に筋を通しに行ったまま戻らず、玲美に『飯でも食っててくれ』とメールした結果、黒田と玲美はファミリーレストランにいるわけだが、玲美と黒田が一緒に居る必要はないはずだ。


「私じゃお嫌かしら」

「そうは言ってない。色っぽい女医さんと飯を食う機会なんかないから、なんか落ち着かんだけや」

「あら。お世辞でも嬉しいわ」


 終始にこやかな玲美に、黒田は完全に主導権を握られてしまっている。


「いやいや。アンタは綺麗やと思うし、魅力的や。けど俺はそういう気になれない。それは先に言うとくよ」

「鯨井先生のことを気にされてるの?」


 先制パンチを決めたつもりだったが、玲美の方が強烈なカウンターパンチを放ってきた。

「それもあるが……」

 実際はほぼそれしかない。

 付け加えるなら野々村美保を抱いた後という、後悔とも未練ともつかない感情がわだかまっているからだ。

 黒田としては、昨日の今日でホイホイと違う女を抱けるだけの胆力もなければ、女性と相対する余裕もない。


「私と鯨井先生は、厳密に言えば何の関係性もありませんよ。野々村さんのように婚約しているわけではないし、柏木先生のように子種を残している訳でもないです。そりゃあ、昔は色々ありましたけど、今の私と先生には愛情や好意といったものはありませんよ」


 玲美の弁明とも言い訳ともとれる言葉に、「そうなのか」と理解できても、黒田にとっての障害はそこではない。

 純粋に、昨日まで玲美を抱いていた男が誰か分かっている事が問題で、なおかつ黒田が昨夜野々村美保を抱いたことが問題なのだ。

 鬼頭優里(きとうゆり)や野々村美保と関わったことで堅すぎる生き方を変えねばと自覚しても、まだまだ黒田は純粋な恋の始まり方を好み、期待しているのだ。


「いや、今のでハッキリしたよ。播磨センセの何かが問題で踏み切れないんじゃなくて、俺の方に問題や課題があるんやわ。今から数時間抱き合うだけの関係であれ、一生を添い遂げようと付き合い始めても、俺の中に変なわだかまりがある。これは……やめといた方がええ」

「……それは貴方のため? 私のため? それとも、お互いのため?」


 玲美の表情に怒りや疑いはない。むしろ微笑みをたたえたまま何かの確認をしている様子だ。

 なぜだか恋人同士の別れ話の様相に苦笑しつつ、この際だからと本心を語ってしまおうと思う。


「七対三で俺のためやな。ハッキリ言って俺は子供で馬鹿なんや。体から始まる恋に気持ちがついて来ん。なのに、女々しく抱いた相手を思い出してまう。それは後々播磨センセに迷惑をかけるだけや。だから、やめといた方がええ」


 うつむき加減の黒田に向けて、小さく笑ってから玲美が返す。


「子供と言われてしまうと私も子供ですよ。バツイチで元夫に子供を任せてるくらいです。……鯨井先生もそうですけど、しっかりしてるけど根っこが子供の人が好きなんです。私のすることに同調してくれたり、叱ってくれたりするから」


 真っ直ぐに黒田を見つめたあと、玲美は残り僅かになったアイスティーに視線を落とす。


「でも黒田さんは大人になりたがっているみたい。女から求めた時くらいいいじゃありませんか。恨みっこなしですよ」


 つい数時間前に似たような殺し文句を聞いたばかりなのに、黒田の心臓はドキッと跳ねた。


「……俺は、刑事やぞ?」

「知っています。私の身元、汚れてなんかないですよ?」

「それは、知ってる。……このあと俺は、警察を辞める方向で動くし、変な話やが世界は変わるかもしれん局面や。そのど真ん中のアワジでチョコマカするつもりや」


 黒田は玲美のアピールから逃れるため、仕事の話へとすり替える。


「……具体的にはどのように?」

「う、ん。……まずは馴染みの新聞記者に話を聞いたり、高橋智明と関わっている暴走族の関係を詰めたいと考えとる」

「そう。……忙しくなる、ということですね」

「おそらくは……」


 純粋に黒田を案じるような、悲しげで寂しげな玲美の瞳に黒田は胸が痛くなる。ここまで女に弱い自覚はなかったが、先程の拒否が大きく揺らぐ。


「…………鯨井先生はしばらく柏木先生を手伝ってからアワジに戻るようです。私には、病院に戻れと仰ってます」


 鯨井からの連絡があったのか、玲美の急な話題転換に黒田は黙ってしまう。


「淡路島までお送りしましょうか?」

「それは、助かるが……」

「最初はどこへ向かいましょうか? 黒田さんが決めてくださいな」


 女盛りの艶っぽい笑みで誘う玲美に、黒田は遂に取り込まれてしまう。


「……俺は下手で荒っぽいが、ええんやな?」

「ふふ。その時は注文をつけます」

 黒田はコーヒーを飲み干してゆっくりと立ち上がった。

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