守人の眼 ③
「ん、オホン。……感動的な場面に水を差して申し訳ないが、もう一つ懸案事項があるのを忘れていないかい?」
「あ……」
「はは」
法章の指摘に、サヤカと貴美は照れ笑いを交わし合ってから法章へ向き直り、意識を切り替える。
「おかしなモノ、でしたよね?」
「そうでした。依頼に基いて遠目ですが観察しておったのですが……。私にはかのモノの実態が分かりませなんだ。ただ一つ、強大な力を備えているというのは知りましたが……」
「ほお? 貴美は実際に目にしたんだね。どのくらいの期間、観察を?」
「依頼を承ったのが一週間ほど前。そこから昨日までになり申す」
貴美の返答に法章はしばらく考え込む。
「あの方は、何をキッカケにして依頼をしてきたのだろう……。聞いているかい?」
「もちろんです」
貴美は大きくうなずき、頭の中で整理してから続ける。
「十日ほど前の病院への襲撃事件が事の発端とのことでした。同日中に爆発音が轟き閃光が瞬いたのも同一の者の仕業と見られているようでした。他にも何件か傷害や殺人といった関連性のある報告から類推し、依頼されたそうです」
貴美の答えに法章は腕組みをして聞き入り、何事か分析や考察をしている様子だ。
「では、貴美はどんな物を見たのかな? 何が起こっていた?」
「はい。……実は、依頼を承ったのは一週間前なのですが、十日前の病院襲撃事件の次の日に、新しい皇居で刺々しい波動を感じ取りすぐさま向かい申した。そこには今までになかった巨大な窪地ができ、穴の底には少年が一人倒れていただけ。しかし、いつの間にか少女が現れて少年と共に消え去り申した。その後に依頼が参りましたので、やはりアレは異常なことなのだなと認識した次第。……その後は警察が機動隊を派遣するたびに見ておりましたが、少年らは姿を現すことなく、不可視の壁や衝撃波などで撃退するのを見聞し申した」
法章は、貴美が話し終える前から感心したり驚いたり考え込んだりと、様々な表情を表した。
サヤカからすれば、貴美の話は漫画かアニメのような現実離れしたものに聞こえたのだが、貴美の話しぶりと法章の反応は至って真面目だった。
「……先程の遠見でも感じたことだが、かなり異質な能力だな。我々に備わった霊力や神通力といった類とは全くの別物のようだ。……あまりオカルトな話に振りたくはないが、エスパーやサイキックと呼ばれるものに近いかもしれないが……」
サヤカには全て同じグループに思えたが、専門家が違うというのだから違うのか、と一応納得しておく。
「法章様が感ぜられたように、私も波動を感じましたゆえ、超能力なるものとは別物と考えておりました。『気』を練っておりませぬゆえ気功ではありまぬし、『印』や『呪い』も見受けられませなんだゆえ陰陽道の『式』とも違うはず。よもや悪魔憑きかとも疑いましたが、それにしては邪気を感じませぬ」
「私が『おかしい』と表現したのはそこだよ。身振りや呪文がないのならば魔術や精霊を使役したものでもなかろうし……」
「ああ、そういえば大地を隆起させて壁や門をこしらえたり、自動車を金属の門扉に変じる芸当も目にし申した」
「なんとな!? ……それは、もう、神の領域ではないか!」
途中からサヤカはついていけなくなったが、創作やオカルトマニアやファンタジー愛好者が想像し語り継いできた人外の異能力のどれにも当てはまらないらしい、ということはなんとなく理解した。
――さすがに神様引っ張り出すってどうなんだろ……――
サヤカを含め、一般的な日本人は地域のお祭りや冠婚葬祭などで神仏に触れる機会はある。十代で毎日仏壇にお線香を上げている者は少ないだろうが、初詣でや合格祈願、ふとしたピンチに神や仏に祈り手を合わせ呼びかける者は多いだろう。
だが、実際に神が現れたと聞いた時、にわかに信じることはできないはずだ。敬虔なクリスチャンであればその限りではないだろうが、しかしそれが少年と少女の姿であったならば、疑いはせずとも戸惑うくらいはするだろう。
正しく今のサヤカの様に困惑して半信半疑の引きつった顔になるのかもしれない。
「いや、すまない。年甲斐もなく興奮してしまった。オホン! ……これはなかなかに厄介だ。貴美、今後はどのように行動するつもりなのだ?」
なかなか動揺を収められない法章は、言葉こそ平坦だったが、衣装を直したり姿勢を正したり汗を拭き取ったりと落ち着かない。
対して、問われた貴美は深呼吸をしてから答える。
「まずはどのような手合であるか会ってみたいと考えております。会って話してみて、人々に害を為すと認めた場合は……依頼に基いて排除するつもりです」
前半こそ落ち着いていた貴美であったが、言葉が進むにつれ目の見えぬ法章にも伝わるほどに不安な声音へと変わっていった。サヤカは貴美のヒザの上で握られた手が、ギュッと力むのを見て貴美の心情を察した。
『排除』とは恐らく戦って殺すことを意味していることも察したし、自分と同い年の少女がその覚悟を貫くのは並大抵のことではないとも、分かった。
まがりなりにも洲本走連というバイクチームのクイーンの立場にいるサヤカだ。チームを守るために公道レースやケンカも行ってきた身だ。
恐らく、貴美は初めて他者と戦うのだろう。
「……経験は?」
「…………ありませぬ」
「私が完調であれば、代わってやれるのだが――」
「いえ!」
後悔や同情を口にした法章に対し、貴美は強く否定した。
「これは私のお役目。私がやり遂げねばならぬこと。……ただ、私はその術を知りませぬ。ですから、ここへ参ったのです」
断固として強い意思を示す貴美に、法章は腕組みをしてしばらく考え込む。
「法章様。私に戦い方をお教え下さい!」
貴美の強い訴えと真剣な表情に、隣で見ていたサヤカは思わず生唾を飲んだ。
昨日出会ったばかりの同い年の少女と、同級生ノリで友達ぶって大阪まで出張って来たが、平坦な話し方と動かない表情からもっと淡白な性格だと思い込んでしまっていた。
バイクの後部座席でスピードにおののいていたり、着慣れない洋服に恥じらったりしていた貴美からは、想像できない心の強さを見た気がした。
「分かった。しかし、私はもうこの目だ。実際に動いて見せることは叶わず、貴美の動きを見て教えることもまた叶わない。口伝えできるものでも無い。……同調にて授けるよりないが、それで構わないか?」
法章が貴美に問うたが、またサヤカの知らない単語が出てきた。
「問題ありませぬ。物心ついてよりの十数年、修行と鍛錬を怠った事はあり申さん」
答えると同時に、貴美は精神統一するように姿勢を正して呼吸を整え始める。
その様子を感じ取った法章はサヤカの方を向く。
「お嬢さん。今から私と貴美の感覚を同調させる。そのままイメージや感覚を映像として共有していく。精神集中を要するので、しばらくお静かに願えるかな?」
「あ、はい。黙っていればいいってことですよね?」
「そういうことです」
サヤカの確認にニッコリと笑い、法章はテーブルに両手の平を上向けて差し出した。
「準備は良いか?」
「お願いします」
貴美は自身の手の平を法章のそれへ重ねた。
貴美の返答のあと、二人は呼吸を合わせるように深呼吸を繰り返し始め、ピタリと揃うとサヤカには判別不能の文言をつぶやいて黙り込んでしまった。
どれほどの時間が経ったろうか……。
サヤカがジッと貴美の様子を伺いながら待っていると、法章と貴美が大きな深呼吸を始め、何事かをつぶやいて重ねていた手を引き離した。
「……ありがとう、ございました」
「うむ。いきなり全てを伝えるのは負担が大きいゆえ、基本的な体の運びや、力の使い加減、それと初歩的な応用を伝えた。すぐさま使いこなせるわけには行くまいが、どこか広い場所で試してみるといい」
「はい。……試して、みます」
やや呼吸の乱れている貴美の様子をサヤカは心配したが、サヤカには何もしてやれないのがもどかしい。
「時に、お嬢さん」
汗を拭いながら法章がおもむろにサヤカを呼んだ。
「はい。何でしょう?」
「どこか、運動のできる広い場所に心当たりはありませんかな? できれば余人の寄り付かない、山や野原がいいのだが……」
急な問いかけにサヤカは困惑した。
初対面のサヤカが、なぜそんなだだっ広い広場に心当たりがあると思ったのか、見当がつかなさ過ぎてどう答えていいのかも分からない。
「えっと、あの……。うーん……」
返事の出来ないサヤカを見て貴美が助け舟を出す。
「法章様。御山ではいけないのですか?」
「構わないが、例の少年達に気取られるのはよろしくない。あと、修得できたかの可否も計らねばなるまい? そう、格闘技の組手のように相手がいると丁度良いのだがね?」
瞼を閉じてはいるが、法章は明らかにサヤカに期待するような視線を向けてくる。
――そんな無茶ぶりないわぁ……。だだっ広い山みたいなとこなんか知らないって。しかも組手の相手を用意しろとか……。あれ? 待てよ?――
唇を尖らせて拗ねていたサヤカだが、一つだけ思い出したことがあった。
「あ、あるかも……」
「サッチン? 本当に?」
半信半疑で聞き返す貴美に、サヤカはハッキリと答える。
「ある! テッチャンが滋賀県の山で修行するって言ってた! そこに合流したら、組手の相手も居る!」
サヤカは貴美の役に立てそうだと確信して嬉しくなり、貴美はサヤカの明るい表情を見て嬉しくなった。
手を取り合って喜び合う二人に、法章は静かに告げる。
「それは何よりだ。……貴美。戦う術というものは両刃の剣。自然の理に背いては強力な破壊となり得る。決して、自然を断ち切らず、己のために振るってはならぬ。己のために振るった力は、己を破壊する力となって返ってくる。ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「明暗一対、在界終生。心に刻んでおります」
貴美は深々と頭を垂れる。
「では、気をつけてな」
「ありがとうございました」
もう一度頭を下げた貴美に倣ってサヤカもお辞儀をし、小部屋から退室する。
帰りがけに受付の女性に礼を言い、サヤカと貴美の二人は七月の太陽の下に舞い戻った。
「暑っ! 温度差、すごっ!」
船場センタービルを出て開口一番、文句を言いながら右手を目元にかざすサヤカを見て、貴美は朗らかに笑う。
「なんか勢いで滋賀県に行くことになったけど、貴美、大丈夫? またバイク乗らなきゃだよ?」
サヤカはキョロキョロと視線を彷徨わせながら貴美に問う。
淡路島から大阪に向かう間、文字通りサヤカにしがみついていた貴美に、もう一度バイクでの移動が平気かは聞いておかねばならないだろう。
かなりの怖がり方をしていた。
「た、多分平気。バイクを怖がっていたら、体術も修得出来ない気がしている」
「それもそだね。んじゃ、お昼食べたら早速向かいますか」
「ハイ」
貴美の元気の良い返事を聞きながら、サヤカはテツオにメールを送り、テツオと同じ車種HONDAVF750マグナを預けているモータープールの場所を地図アプリで確認しておいた。
「何食べよっか?」
「私は、修験者の教義で生物や動物の肉は食べれぬから……」
「マジで? じゃあ、お蕎麦とかおうどんかなぁ?」
「鰹節は大丈夫」
一気に十七歳らしい会話をしながら、二人は大阪の街を歩いた。