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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第四章 恋人たち
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守人の眼 ②

「…………ここ、よね?」

「看板がある。間違いない、はず」


 薄暗い通路の突き当り、ありふれた鉄製のドアの横に白のシンプルな地に黒字の達筆で、『霊視占術指南所』と書かれた看板が控えめにかかっている。

 事務所兼道場が実在するのかの不安が、怪しい集団の根拠地なのでは?という不安に変わる。

 サヤカは何度か右手をドアノブに伸ばしたが、頭の隅で鳴り響く警報のために躊躇してしまう。


「……開け申す」

「う、うん」


 サヤカの逡巡に我慢しきれなくなった貴美が、意を決してドアを開いた。

「いらっしゃいませ。講習のご予約の方ですか?」

 ドアのすぐそばのデスクに受付らしい四十がらみの女性が座っていて、口調は丁寧だがどこか投げやりに声をかけてきた。

「あの、昨日お電話させていただいた鈴木洋一の使いの者ですが、ミスティホウショウさんとお話をさせていただこうと――」

「ああ、ハイハイ。そこで待ってて」

 サヤカが言い終わらないうちに受付の女性は壁際のパイプ椅子を指差しながら、固定電話の受話器を取る。

 何か腑に落ちない態度だが、貴美と共に椅子に座って待つ。

「――はいはーい。……すぐ来るから待っててねー」

「はい、すいません」

 大阪の人々は人懐こくって情があると聞いているが、それとは違う馴れ馴れしさというか見下され感に、サヤカは微妙な気持ちになった。

 もしかすると政治家の名を(かた)って会いに来た未成年のファンに見られたのかも?と、尚更微妙な気持ちになってしまった。


 しばらくすると奥のドアが開き、公務員っぽい白色ワイシャツにベージュのスラックス姿の男性が顔を出した。

「ミスティホウショウをお訪ねの方は?」

「あ! こちらの方々ですぅ」

「どもども。講習室へお連れしますので、こちらへどうぞ。どうぞ」

 どことなく流れる変な空気に混乱したサヤカは貴美を見たが、貴美も小首を傾げて違和感を感じている様子だ。

「……お願いします」

 とりあえず他に手段がないため、相手の誘導に従って奥のドアを通って男性に付いていく。


 ドアの向こうは安っぽいカラオケボックスか貸し会議室のようになっていて、本来はある程度の広さのホールであろう空間を間仕切りで仕切って小部屋に見せているようだ。

『目』の字に通路が配され、一番奥の列の六つ並んだ小部屋の一番奥へ誘導された。

「こちらです。ホウショウさん、お連れしましたよ」

「はい。どうぞお掛けください」


 公務員風の男性がドアを開けると、男性の低い声が返ってきたので、まずサヤカが入室し続いて貴美が入室した。

「失礼します」

「……失礼いたします」

 小部屋は三畳ほどの広さで、入り口付近に荷物を置くための三段ボックスがあり、真ん中にテーブルがあってその向こうに男性が座っていた。

 衣装は白い合わせの衣に紫の(はかま)を身に着け、まるで神官か売れない演歌歌手だ。顔立ちは男前でも不細工でもなく平凡だが、白髪混じりのセンター分けの髪型と『へ』の字に引き結ばれた口元が占い師っぽい。


「ようこそ。どうぞお掛けになって。……淡路島の、市議会議員さんと伺ってましたが、女性の方ですな? それもお若い。代理の方かなにかですかな?」


 サヤカと貴美がテーブルに据えられているパイプ椅子に座るのを待って、ホウショウ氏はまずそう問いかけてきた。

 おや?とサヤカは少しだけ違和感を感じた。


「法章様。貴美にございます」

「キミ? ……貴美か! 真に久しい……」


 ――この人、目が見えてない?――


 サヤカが感じた違和感は、ホウショウ氏が目を閉じたまま会話をしていたことだった。

 そして貴美の来訪を知って驚き、まなこを開いたホウショウ氏の焦点は合っていなかった。


「お久しぶりでございます。あの、法章様、目をお悪くされたので?」

 遠慮がちに貴美が問う。

「ああ、うん、そうだな。御山を出て占いをしたり、テレビに出たりしたが、年齢とストレスのせいか視力が落ちてね。今ではぼんやりと人影が分かる程度なのだよ」


 他にも事情がある雰囲気を漂わせながら、ホウショウ氏は元のように閉じた(まぶた)を軽く擦った。


「ところで、貴美が議員さんの代理なのかい? それとももう一人の女の人がそうなのかな?」

「すいません。アレはミスティホウショウさんに会うための嘘なんです。地位のある人が会いたいと言えば会わせてもらえると思って……」


 自己紹介もせずに慌ててサヤカが説明すると、声に合わせてホウショウ氏はサヤカの方を向き、一瞬確かめるようにしてから笑顔で答えた。


「どうりで。……若い女性が付ける甘い香水の香りがしていたのでね。要するに、貴美を私に引き合わせるために芝居をしたというわけですな。……あ! めいの手前、ミスティホウショウは少々恥ずかしい。法章で結構ですよ」

「あ、どうも」


 目が見えないとその他の器官が鋭敏になると聞いたことはあったが、サヤカがそういった人物と対面するのは初めてだったので、目の当たりにして感心してしまい、目を閉じている相手にお辞儀をしてしまって変な感じになってしまった。


「さて。では、本題は何かな? まさか今更御山に帰れというわけでもないのだろう?」

「その気持ちもないわけではありませぬが……。何かお感じにはなっておりませんか?」


 貴美は少し前のめりになり、法章の能力を試すように問いかけた。


「……ふぅむ」

 しばし腕組みをして唸っていた法章は、小袖から数珠を取り出して胸の前で握りしめて再び唸る。


「……貴美の身の回りのことではないか。……ならば天災か? …………これは?」


 ピクリと片眉を跳ね上げた法章は、左手で握った数珠に力を込め右手で印を切るように緩く振る。


「御山の近くでおかしなモノがあるな。これのことかい?」

「ハイ」

 堅い表情でうなずく貴美の隣で、サヤカは軽く驚く。


 サヤカも気休めや暇潰しや興味本位で星占いを読んだりするが、霊視や気功などの類は半信半疑だった。テレビのオカルト番組も見ることはあったが、『霊や超能力は存在した!』と煽られても、実際にはサヤカに一切の影響はないため『へえ、本当なんだねー』くらいの関心しかなかった。

 しかし、何の前情報もなく貴美に促されただけで法章は貴美の要件を言い当てた。同時に、法章にそうやって促したということは、貴美にも同等の能力があるということも知った。


「なるほど。もしやご贔屓さんからの依頼で対処せねばならない、ということだな?」

「左様でございます。加えて、先日、防衛大臣が淡路島に建設された皇居防衛のための演習という名目で、近日中に自衛隊を淡路島に向かわせると発表しました。このタイミングで、ということはご依頼者様の思い過ごしではないということかと……」

公章こうしょうもそう判断したわけだね?」

 公章は貴美の父親の名で、法章の弟にあたる。

「ハイ」


 何やら込み入った話のようだが、サヤカには何がどう繋がるのか分からなくなってきた。


「ふうむ。……先月の国会で自衛隊を防衛軍へと組み替える法案が出されていたと聞いたが、少々……いやかなり物騒なことになっているようだな」

「なるほど、確かに」

「どういうこと? 何の話をしてるの?」


 貴美と法章は通じ合っているようだが、サヤカからすれば先程の『御山のおかしなモノ』と繋がらず、思わず口を挟んでしまった。


「ごめんなさい。サッチンは知らない方が良いかも――」

「いや、このお嬢さんは面白い物を持っているから、知っておいた方がいいかもしれないよ」

「どういうことです?」


 問い返したサヤカに法章が「加持祈祷(かじきとう)を執り行う大前提として、依頼者の守秘義務を守らなければならないのだが」と前置きした上で、今回の件はサヤカに知らせるべきだと貴美に説いた。

 貴美は守秘義務があると渋ったが、法章が語るならばと了承した。


「詳しくは言わないが、彼女の人生に関わるからね。

 ……お嬢さん、今回貴美に隠密の依頼をしてきたのはとある政治関係者なのだよ。以前、私が貴美と同じ立場だった時に贔屓にしていただいていた方だ。その方は政治の表舞台では目立たない方だが、日本の将来をとても憂えていてね。先程の自衛隊の一件のように、決して表には出ず警察やマスコミですら糾弾できない危険な方向性を正されようとしている方なのだよ。

 今回で言えば、自衛隊に関わる法改正の足掛かりや前例にもなりかねない不自然な派遣をやめさせたいのだろう。もしくは、日本の脅威ともなり得る強大な力を持った能力者を排除したいのだろう」


 説明されたはずなのに、サヤカにはいまいちピンと来なかった。


「難しいお話ですね」

「そうでもない。すごく距離をおいて見渡せば、至極単純な派閥争いや権力争い、強い言葉で言えば手段を選ばない攻撃となるかな。もっと言えば民主主義の闇の部分となるが、さすがにスパイ映画やドラマのようになってしまうから少々幼稚だね」


 飛躍した解説を恥じたのか、法章は苦笑いを浮かべた。

 しかしサヤカにはその方が分かりやすくなった。


「あん。陰謀論とか裏工作とか、そういう舞台裏の攻防ってことですね? ニュースになるのは会議の内容だけだけど、こっちの政治家がズルイやり口を企てて、そっちの政治家が貴美や法章さんのような霊能者を使って正してるって……ことかな?」


 途中まで自分なりの言葉で要約してみたが、断言するのが怖くなって思わず貴美に確認してしまった。


「大丈夫。大体合ってる」

「ははは。お嬢さんにはそちらの方が分かり易かったようだね」

「ど、どうも」


 サヤカを肯定するように貴美と法章が微笑むので、サヤカは照れてしまうが、ふと違和感も生まれた。


「でも、アレですよね? 自衛隊の在り方を変えるという考えが正しい場合もないですか? 例えば、戦争を仕掛ける事はないけど『守る』っていう制限に収まらないこととかあるだろうし。確か自衛隊の英訳はフォースで『軍隊』を意味してますよね? その差を埋めるだけの話という可能性もありえませんか?」


 学校の授業などで得た情報を頼りにサヤカが問いかけると、法章は楽しそうに微笑みながら答えた。


「英訳については仕様がないところだろう。『隊』という日本語は前に付く言葉次第でとても意味が広くなる。言葉の通りのチームでは規模が小さく見えるし、自警団みたいになってしまうからね。

 ……前半は、お嬢さんの感じたとおり、攻撃された場合の防衛というスタンスから逸脱することを許されず、緊張状態でも対処行動を取れないという危険性はある。だが『軍』という組織に組み変わることで自衛隊よりも制限が取り払われ、『自衛』という先制しないスタンスまで取り払われてしまいかねない。

 ……少し観念や思想や主義というものの話になってしまったが、日本国内で百五十年ばかり議論されてきた懸案だから、何が正しく、どちらが間違っているかを決めきれない問題ではある。

 ……だからお嬢さんの言いたいことはとても分かるし、貴美や私が行ってきた事の善悪を気にしていることも分かるよ」


 言葉にしていなかったことまで答えられてしまい、サヤカは恐縮してしまう。しかし、法章の微笑みの理由が、貴美の行いの正しさを案じた自分への感謝だと伝えてくれたことは、少し嬉しかったし安心した。

 昨晩、貴美から法章が大阪に行ってしまった経緯を聞いてはいたが、何年も離れていても親族の絆が途切れていなかったことに感動もした。


「サッチン、ありがとう。私たち守人は、依頼者の心根を少なからず読んでいる。今回の自衛隊に係る依頼も、依頼者が正義と信じているがゆえに私は行動している。法章様のお話にもあったように、この件はどちらが正しいか判断の難しいもの。けれど、だからそこ裏の、影になった所で決定してはいけないという判断もあり申す。そこまで説明もせず、この様な席に付き合わせて申し訳なかった……」


 サヤカの方に体を向けてまで話し、サヤカの手を握る貴美の目はわずかに潤んで見えた。

 サヤカも真っ直ぐな貴美の言葉に胸が苦しくなり、貴美の手を握り返して答える。


「何言ってるの。友達でしょ? 友達の安全と幸せは、いつも考えているから友達なんだぞ」

「……承知した」

 貴美の返事が堅すぎて笑ってしまったが、サヤカは貴美の心からの笑顔を見ることができた気がした。

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