検査結果 ⑤
コーヒーに口をつけた黒田の顔色を見ながら、鯨井は孝子に振り向いて指示を出した。
すぐさま壁面の巨大モニターに、人の頭部のMRI画像が映し出される。
「ありがとう。
……さて、さっきもチラッと話に出たんやが、高橋智明の大脳は二次性徴の途上にあって、本来なら成人の脳と比べてやや小さいはずなんだ。だがこのMRIでは成人と同等かそれよりやや大きい。ここで注目したのが、どこが、どのくらい肥大したのか?
……人間の脳は役割りや位置関係なんかで名前が付いとるが、大脳や小脳、それらの真ん中をまとめて間脳と呼んでいる。この中で大脳の肥大が著しくて、全体の8%にも及んでいた」
黒田は一瞬『8%ごときで驚くことか?』と考えたが、成人男性の脳の重さは1.6キログラムほどと聞いたことがあるので、150グラムも大きくなっていることになる。
「……結構な増え方だな」
「ああ。次に肥大の大きかったのが間脳になる。大脳と小脳と脳幹に囲まれる形で、真ん中のゴチャゴチャしたあたりだ」
即座にモニター上に赤い丸が現れて鯨井の説明を補足してくれた。
「ああ、分かる」
「本来、ここには松果体と呼ばれる器官があるんだが、このMRIでは……こうなってる。拡大してくれ」
鯨井が孝子に指示すると、モニター内で映像が拡大され、画面のど真ん中に黒黒とした丸い影が映し出された。
「なんだこりゃ? 何もない、のか?」
「じゃあ、前からのアングル」
鯨井の指示で映像がゆっくりと回っていく。
「お? ん? ええ? なんやと!」
黒田は叫びながら椅子を蹴って立ち上がり、モニターに見入るようにテーブルに手をついて凝視する。
「気付いたか? 普通の人間にはない器官が鎮座しとる。よう出来た真ん丸や。なんかに似とると思わんか?」
黒田には鯨井に促されなくとも思い付いているものがあった。頭部の左側からの映像でも、正面へと回転していく映像でも、ポッカリと空白のように見えるそれは、MRIの磁力線での読み取りにも応じずピンポン玉くらいの大きさの全くの球体。
人間の体によく似た器官が存在している。
「……眼、か?」
「……だと思う。さしずめ第三の眼、というとこかの」
鯨井の言葉に黒田は呆然と立ち尽くす。
「いや、有り得んだろ? なんかの間違いか、このあとどうにかなる前兆とかとちゃうんか?」
「それは分からん。解剖したんやないし、一回目に無かったもんが二回目に現れとるから、そうなんじゃないかと推測するとこまでしか出来ん」
「しかし、これはまるで――!」
「落ち着け。騒がしいのは嫌いだと言ったがね」
壁面の巨大モニターを指差しながら声を張り上げた黒田を、珠江は一喝してコーヒーを口元へ運ぶ。
「さっきも言ったさね。……これは『神』だとね。忘れたかい?」
そう言って珠江はコーヒーを飲み干す。
「神なのか? コイツは、神になったのか?」
昨日会ったばかりの、まだ子供っぽさの残る少年の笑顔がよぎる。
セットで智明に寄り添う朗らかで明るい笑顔の優里を思い出す。
――イザナギとイザナミの、国生みのつもりか?――
昨日の新皇居で見た物が様々に脳内に呼び起こされ、意識として文章化すればそんな一文となった。
だが飛躍しすぎた発想を振り払い、黒田は椅子に座り直してコーヒーを飲み干す。
すっかり大人しくなった黒田を見、珠江は一美と一郎にコーヒーのお代わりを指示する。
「黒田君。まだこれは手元にあるデータから得られた推測でしかない。例え本当に高橋智明が神やったとしても、だからどうという話ではないんやから、そんなに重く受けとめ――」
「いや、奴らはもう、動き出しとる」
鯨井の言葉を遮って黒田はハッキリと告げた。
黒田の空にしたカップを下げようとしていた玲美の動きが止まるほどハッキリと。
「奴ら? 高橋くん一人じゃないんですか?」
黒田の言葉を聞きとがめて思わず玲美が問うていた。
「あ? ああ。実は昨日、彼らと話す機会を持つことができてな……」
「おいおい。ここにきて後出しジャンケンは無しやぞ」
困惑の笑みを浮かべながら突き放す鯨井に、黒田は続ける。
「そんなつもりはない。ただ、第三の眼っちゅうんはどうも変なイメージが付いてしもてて、あの二人と合致せんのや」
「おやおや。現職の刑事が、チャクラやスピリチュアルに造形があるとは意外だねぇ」
「ああ、ちゃいますちゃいます。どっちかといえば子供の頃に見たオカルト番組ですよ。インドの修行僧とか、カード透視とか」
言いながら自分自身の言葉の矛盾に気付く。
「あ、そうか。彼らはとっくに心を読んだり瞬間移動とかできるんだったか。……なんか動揺したんがアホみたいやな……」
「ちょ、ちょっと待て! 体験したのか? 瞬間移動やテレパシーを、体験したのか? 高橋智明が超能力を使ったのか!」
黒田の小さなつぶやきを聞き逃さず、今度は鯨井が立ち上がって黒田を問い詰めた。
「あ、ああ。なんなら幼馴染みやっちゅう彼女も使えるらしい。優里ちゃん言うてな、またこの子が可愛らしくて愛想のいい子で――」
「二人も!?」
「だから後出しジャンケンはやめろとあれほどっ!」
「いい加減におし! うるさいのは嫌いだよ! 出ていけ!」
とうとう珠江が激高し、誰よりも一番の怒鳴り声を発した。
黒田はとりあえず謝罪しようと頭を下げかけたが、鯨井が真剣な表情でそれを止め、黙したまま出口へといざなった。
気まずい雰囲気のまま通路からエレベーターホールへと進み、そのままエレベーターで地上まで上がってしまう。
「タバコ、吸うか?」
「ああ」
また短いやり取りだけして施設の裏手にある喫煙所へと移動した。
「……ん? 播磨センセは?」
「たぶん、飲みモンでも買いに行ってくれたんやろ」
「さすがやな」
播磨玲美の気配りに加え、そういうことをしてくれる人物だと把握している鯨井を褒めた。
「なにが。……それより、メールで一報くれとったらこんな流れにもならんかったと思うんやがの」
「そりゃ刑事のクセやな。独自捜査は俺の専売特許やから」
折りたたみ式の脚に蓋のないクッキー缶を載せただけの灰皿を挟んで紫煙を吐き出す。
「ともあれ、超能力を体験したというのは間違いないんだな?」
「ああ。皇居を囲っとる塀のあたりから正面玄関まで移動したり、俺の考えを読まれたりしたわ。あと、アワジの暴走族が近付いてきとるんを察知した感じやったな」
「それはすごいな……」
鯨井は素直に受け止めて感嘆したようだ。
ちょうど玲美が缶コーヒーを手にして喫煙所へ現れた。
「ありがとう。……あと、智明の幼馴染みやっちゅう優里ちゃんも使えることの方がびっくりしたけどな。智明みたいな体の作り変えは起こらんかったらしいしな」
「そうなのか?」
鯨井が驚いて振り向いたので、タバコの灰が勢いで下に落ちた。
「優里ちゃん曰く、いつの間にか出来るようになったらしい」
「それだと俺の理論は少し変わってくるな……。ああ、すまない」
鯨井のズボンの裾に落ちた灰を玲美が払ってくれたので礼を言った。
「理論てなんや? 例の第三の眼のことやないんか?」
黒田は、鯨井の足元にしゃがみこんだ玲美を見ながら問いかけた。
「あんなもん、見たままを言うただけだ。俺は、変態したと思ったんや」
黒田の視線に気付いたのか、しゃがみこんだままの玲美が黒田を見上げてニッコリと笑った。
慌てて視線を逸らせたタイミングで鯨井が大事な単語を言い放っていた。
「あ、あ、んん? 変態? なにが変態や? ちょっと見とっただけやぞ」
動揺する黒田に鯨井はハテナ顔になる。
そこへ玲美が立ち上がってレモンティーを飲み始める。
「なんや、大事な話しとるのに玲美ちゃんを眺めとったんか。それはそれで変質的やが、その変態やない」
鯨井は黒田をからかうように笑いながら追い詰め、話を続ける。
「変態いうんは、昆虫とか両生類――カエルとかチョウチョが幼生体から成体に体の構造を変化させることだ」
黒田は小学生の頃に習った理科の記憶が蘇ってくる。
「魚とか爬虫類でもある、アレか」
「そうだな。人間でもそれに近い体の変化は起こってるんだが、チョウチョみたいにサナギにはならんし、カエルみたいに足が生えてきたりはせん」
タバコを消しながら黒田はうなずく。
「さっきの話でも出たが、男の子の変声期や精通もそうだし、女の子は乳房が張り出して月経が始まる。男女共通して脇毛が生えたり陰毛が生えたりもあるし、骨格も性別に則した変化が起こる。まあ、人間の場合は乳児期から幼児期に、切り離されていた軟骨と硬骨がくっついて骨の数が減るし、男は肩幅が広くなってゴツくなって、女は骨盤が広がって丸みを帯びたりして、見てわかる変化はいっぱいある」
鯨井は一旦言葉を切ってタバコを消す。
「だが高橋智明みたいに、一回中身を取り出して変形や変化を行うことはない。だから『変態』と仮定しとったんだがの。黒田君の話を聞いたら違うみたいだ」
「……もしかしてやが、系統が違うから優里ちゃんはグロいことにならんかったとか、有り得ないか?」
黒田の意見に鯨井は腕を組んで考えを巡らせる。
「例えば、両生類やとカエルとイモリで尾っぽの有り無しの違いがあるし、サルだって繁殖期に婚姻色の出る出ないもあるやろ?」
「なるほど? 人間で言えば、声変わりが感じられないとか、貧乳とか、そういうことか」
鯨井の返事に、玲美は軽く鯨井の腕を叩く。
例えとして正解ではあっても、乳房の大きさを持ち出したことにハラスメントを感じたのだろう。
播磨玲美の乳房は豊かだが、女性を代表した注意のようだ。
しかし鯨井は気にした風もなく言葉を継ぐ。
「ひょっとすると、女の子にスプラッタな見栄えはマズイと思って、内々で変化を起こしたのかもしれない。いや、逆に高橋智明のケースが異常であって、恐怖とか痛みとかが具現化してあんなことになったのかもしれん」
黒田の想像の及ばない話になってしまい、鯨井の推論だけが先行してしまう。
「これは、一度会ってみたいな」
鯨井はポツリとつぶやくと、飲みかけの缶コーヒーを玲美に渡し、施設の中へと歩き出す。
「お、おいおい。どうする気だ?」
「柏木センセに断りを入れてくる」
「そんな簡単に会えるわけないぞ……って聞いちゃいないな……」
黒田の制止などもはや聞こえていない様子で、鯨井は施設へと飛び込んでしまった。
「ああいう人ですから。ごめんなさい」
「いや、播磨センセが謝ることはない。やけど、今はホンマに智明に会えるわけないんやけどな……」
手を振って玲美に応じた黒田は、少し遠くを見上げながら否定的につぶやく。
それに玲美はおずおずと尋ねる。
「自衛隊、ですか?」
「それもある。今、智明のとこには兵隊みたいな感じで、暴走族が集まっとるんですよ」
「それは、厄介ですね……」
黒田は玲美の態度に若干の違和感を感じた。
黒田との距離もやや近い。
――これはちょっと、しっかりせなあかんな――
黒田の頭の隅で小さく警報が鳴り始めていた。
お読みいただきありがとうございます!
今話で 第三章 広がる波紋 は完結です。
次話より 第四章 恋人たち に突入します。
智明への対抗策を模索する真と、テツオたちWSSのメンバーたち、そしてサヤカの元に現れた貴美が物語の中心の視点となります。
まだまだ物語が続いていきますので、ブックマークやフォロー、評価などしていただけると励みになります!
今後とも「譲り羽」にお付き合い下さいませm(_ _)m