検査結果 ③
※
無抵抗な肢体を好き放題に貪り、欲望のままに突き上げ、黒田は野々村美保に覆い被さったまま抱擁を解かず、何度も果て、美保に拒まれるまでずっとそこに居座った。
小休止でうたた寝をした美保は無防備で、また黒田は勝手に美保の中へと飛び込んで、激しく暴れてそのまま果てた。
「ん……。寝てる時は、ダメだよぉ。誰としてるか分からなくなっちゃう……」
なかなか呼吸が落ち着かない黒田の耳元で、美保は誘うようにまた甘ったるい声を出す。
「すまん。……色っぽかったから、つい、な」
「違う名前で呼ばれたらイヤじゃない?」
「まあ、うん。でもそれはそれで――」
「もう。奥手なんだかマニアックなんだか」
困ったように笑いながら話す美保からは、嫌悪感や拒絶を感じないことに安心しながら、ようやく呼吸の落ち着いた黒田は、美保から体を離してさっさとソファーへと移る。
ペットボトルの水で喉を潤しタバコを吸い始めると、美保が後始末をしてから体を隠しもせずに隣まで歩いてきて腰掛け、黒田のタバコを一本失敬して勝手に吸い始める。
「タバコ、吸うのか?」
「こういう時だけね」
「そんなアチコチで今日みたいなことしてるのか?」
「失礼ね」
さすがに美保は不機嫌な声になった。
「たまぁに一晩だけ。気まぐれよ。黒田さんとした後に言うのもなんだけど、私は一途なんだから」
黒田は美保の言葉に嘘はないと分かってはいるが、刑事としても男としてもこんなことになった理由は明らかにしておきたいと思った。
「それは分かるが。しかしなんで俺やったんや?」
「顔が好みだったのと、後はタイミングかな」
間を開けない返事に面食らってしまう。
「色々溜まってたの。お祖父ちゃんの病気のこともそうだけど、大学院に進むか、医療現場に就職するか、どこかの研究員になるか選ばなきゃいけない時期だったし。クジラさんとやっと気持ちが通じ合ったなって思った矢先に、播磨さんと二人きりで神戸に行っちゃったでしょう? あの二人、そういう怪しさがあるのよね」
黒田はやはり、と思わざるを得なかった。
旧南あわじ市西淡湊里地区の爆発音騒ぎの参考人聴取で、鯨井と美保と播磨玲美の三人が揃った場面を見たが、玲美を見る美保の視線には常に敵意や疑惑が込められていたように思う。
事実、その聴取の翌日にポートアイランドで鯨井と玲美に会った際、二人が漂わせていた雰囲気は不倫カップルのそれだったし、別れ際の黒田の指摘に対して鯨井も認める発言をしていた。
その経緯があるぶん、黒田は美保を突き放せなかったし、年甲斐もなく何度も欲し、燃え上がってしまった要素でもあった。
十数年ぶりのセックスの相手が、若々しく魅力的でスタイルの良い美保であった点は少し横に置く。
「なるほどな。だから播磨センセを睨んでたんか」
「あ、顔に出てました? そんなつもりはなかったんだけど」
美保はタバコ片手に残りの手でほっぺをさする。
「これはもう、刑事の職業病やな。人の目線や顔の向きや口元を気にしてまう。美保ちゃんとは対象的に播磨センセは自然体やからなぁ」
黒田は完全に気を抜いて話しているせいで、美保が拗ねたような顔で灰を落としているのに困惑した。
「なんだよ?」
「男から見たら自然体なんでしょうけど、女から見たらあの人はあからさまなのよ。院内でもあの人を好きな女は少ないよ。てか、嫌われてる」
美保のストレートで辛辣な言葉に黒田は言葉を失った。いくら黒田が部外者とはいえ正直すぎる。
「そうなんか。……ええ女やのに」
「だからこそよ」
「美保ちゃんも気を付けんとな」
あまりに美保があけすけなために黒田は釘を指しておくことにした。
「私? 私は大丈夫。大丈夫というか、お祖父ちゃんやお父さんの名前のせいで本音を明かせないし、周りも一線を超えないもの。嫌われる以前に腫れ物だもの。さっさと結婚してストレスレスな生活に収まるのが一番の夢ね」
黒田は、二十歳の女の子がこんなにドライに周囲に目を向けていることに唸り、日々の仕事をやっつけるだけの人生だった自分と比べて、早々に将来を決めすぎているのではと心配になった。
思えば、何かと張り合ってきていた洲本署の浜田も、エリート街道を駆け上がろうともがいていたようだが、もしかすると美保の様に周囲や家柄などの要因でせざるを得なかったのかもしれない。
引き合いにされた黒田としては迷惑でしかないが。
「ま、相手がおるんやったらそれもええんかもしれんな」
黒田はこれ以上踏み込むことが怖くなってきたので、タバコを消しながら話を切り捨てた。
美保もタバコを灰皿に押し付け、ペットボトルを煽ってから問う。
「黒田さんは結婚しないの?」
「相手がおらんからな」
「作ればいいのに」
「時間も出会いもないんや」
「ふーん。普通にカッコイイし、年相応のいい人なのに、もったいないね」
「そう思ってもらえるまで深く付き合えんからな。しゃあないよ」
「そっか。……あん、ダメよ」
話しながらにじり寄って肩を抱いた黒田を、言葉では拒むが抵抗はせず、むしろ美保は待ちかねたように微笑んでいる。
――深みにハマって損するんは俺だけやぞ――
ホテルに入る前に美保に言われたことを思い出し、一瞬の躊躇のあと、黒田は一時の性のはけ口だと言い聞かせてから美保と唇を重ねた。
学生時代以来の性交は黒田を有頂天にし、一晩に何度も繰り返し欲張らせたが、これはたまたまの出会い頭ということにしなければならないことは、黒田自身が一番理解していた。
美保からも『割り切りなさい』と前置きされているし、そもそも美保は婚約者が居る。彼女をもう一度抱く機会は二度と訪れない。
決して鯨井を羨んだり自分と比べたいわけではないが、播磨玲美の色気に惑い野々村美保の若さに誘われたことは、黒田のこれまでの人生が真面目すぎた事を指摘された気がしている。
ベッドでもソファーでも、自分の腕の中で、愛してもいない黒田に抱かれて、されるがままに淫らな声を発する美保を見ていると、もっと軟派に生きても良いのではと思えてきた。
「……スッキリした?」
「もっと欲張っていいんか?」
「もう、ダメですよ。朝になっちゃったから」
「そうか」
美保から後腐れのない断られ方をされたので、黒田はすんなりと受け入れ、美保にシャワーを勧めて自身はタバコをふかして意識を切り替えていく。
すぐそばに美保がいる状態だが、これからポートアイランドへ出向いて鯨井と会い、高橋智明の遺伝子解析の結果を聞かねばならない。
「……ん? やけに急ぐな?」
ガラス張りのシャワールームを気にしないようにと開いたニュース記事は、防衛大臣の自衛隊演習を発表する記事だった。
ようやく南あわじ市市長も五回に渡る機動隊の投入失敗に重い腰を上げ、自衛隊の派遣を要請したのだろう。『演習』という名目なのは政府の意向なのか、柳本市長の意向なのかは分からないが、治安派遣や国民等保護派遣などと発表すればたちまち周辺住民は混乱してしまうだろう。ましてや防衛派遣などとは間違っても言えないはずだ。
それにしても性急すぎる対応だと言える。
五度目の機動隊突入は昨日のことだ。今このニュース記事が流れてきているということは、機動隊が退却してすぐか遅くとも夕刻には自衛隊派遣の要請をし、即座に内閣総理大臣が防衛大臣とすり合わせをして、『演習』という建て前を立てて発表したということになる。
無論、高橋智明が警察や機動隊に示した力は、即時行動を起こさなければならない脅威であることには違いない。
「それにしてもな……」
気がかりなのは、演習を行うことは発表されたが、『いつ』『どのくらいの規模で』といった子細は明示されていないことだ。
「……黒田さん、シャワーあいたよ」
「お、おお」
美保の声がしたので考え事をやめて顔を上げると、全裸の美保が髪を拭きながら立っていた。
「おいおい。それはやりすぎやぞ。せっかくシャワーを浴びたのに」
「ふふ、もうダメだよ。でも良い女を抱いたと思ってくれるのなら、思い出すのは構わないよ」
「……お互い様だ」
黒田は美保ほどに自分のプロポーションに自信はないが、美保への負け惜しみとあてつけで、立ち上がって股間を突き出してやる。
意外にも美保が凝視してくる。
「……そうだね」
「でもアカンぞ? 惚れてしもたらお互いに後悔するからな」
ここで刑事の忍耐を発揮して、勝ち誇った顔でシャワールームへ向かう。
「……そうだね」
黒田がドアを閉じるか閉じないかで美保の返事が聞こえ、まさかと思ってガラス張りのシャワールームから美保の方を見たが、彼女はとっくにあさっての方へ向いていた。
――お互い、ええ夢やったっちゅうことか――
夢にしてはハメを外し過ぎだが、強めのシャワーを浴びながら昨夜の美保の言葉を思い出す。
『こんな日があったっていいじゃない』
黒田にとって特殊な一夜となったが、人類の長い歩みからすれば特別な出来事ではないのかもしれない。特に男女の一夜の過ごし方としては、むしろありふれているのかもしれない。
黒田は全身をくまなく洗い清め、ヒゲまで剃ってシャワールームを出た。
すでに美保は髪も乾かし終え、服を着てまた黒田のタバコを勝手に吸っている。
「みほ……。野々村さん」
夢の時間が終わったことを己に知らしめるため、あえて他人行儀に名を呼んだ。
「はい?」
「これから京都やったっけ?」
「そうよ」
美保の返事を聞きながら黒田は服を着始める。
「ん。自衛隊のニュース、見たか?」
「まあ、はい。それがどうしたの?」
「ちょっときな臭い感じがする。しばらくアワジに戻らん方がええぞ」
黒田の唐突な言い樣に美保は小首を傾げる。
「演習って書いてあったけど。……違うの?」
「たぶんな。中島病院のアレ絡みのはずやから」
「まさか! 自衛隊が出てくるほどヤバイの?」
ここで黒田は自分のミスに気付いた。美保は高橋智明が暴れた現場を見ていない。
「そうか、美保ちゃんはアレ見てないんやったな。鯨井センセの見舞いか介添えに来てたんやったな。すまん」
「謝らなくてもいいけど。マジなの?」
服を着終えた黒田に、美保は体を寄せてくる。
「俺はあの事件の担当刑事やぞ? 勝手な憶測でこんなこと言うもんか。警察署長が南あわじ市長に自衛隊呼んでくれっちゅうのを目の前で見とるんやぞ」
「ガチ過ぎて笑えない」
「まあな。けど、近々自衛隊がアワジに向かうのは間違いない。せめて家族や友達に避難の準備くらいはさせといたほうがええ」
「そうか、そうね。それくらいは言っておいていいよね。ありがとう」
言いおいて美保は短く口付けし、すぐさま唇を押し当てて濃厚に舌を絡めてくる。
「……もう終わりやったんちゃうんか?」
「気遣ってくれたお礼はしてもいいでしょ?」
「なるほどな。人助けはするもんやな」
「もしもアワジに戻らなきゃいけなくなって、巻き込まれても生き延びれたらセフレにしてあげてもいいよ」
「鯨井のオッサンと別れた時に結婚してくれるって約束の方が嬉しいんだが?」
「んふふ。……それは、どうしようかなぁ」
「やっぱりな。ほな、そろそろ出ようか」
黒田が退室を促すと、美保は返事の代わりにキスをしてバッグを取りに行った。
上から目線のセフレ契約を承諾しそうになった自分自身を叱りつつ、次のセックスの機会を逸してしまったことが残念でもあった。
これは恋ではないと言い聞かせるために安易な結婚話に転嫁させてみたが、この夜のことは何年経っても女々しく思い出すのは間違いない。
「じゃあね、黒田さん」
ホテルから歩いてJR三宮駅に着くと、美保はあっさりと手を振って改札の向こうへと消えていった。