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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第三章 広がる波紋
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二〇九九年 七月二日 木曜日 ⑤

   ※


 旧東京都千代田区永田町。

 隣接する霞が関も含め、言わずとしれた日本最大の都市東京にある国政及び警視庁や消防庁など中枢機関の集合地である。

 現在では首都が淡路島へと移される準備が進み、淡路新都国生市という新住所が制定されたため、東京の住所は東京府と改定され、二十三区も東京府東京市へ改定。ようやく馴染み始めて来たところだ。


 来春に予定されている今上天皇の淡路島への転居に伴って、永田町と霞が関は戦々恐々の日々を送っている。

 まだ十ヶ月近い期間があるといえば準備期間に余裕もありそうだが、単純に人と物を移すだけでは終わらず、むしろ日常的な業務を行いつつ淡路島に移すものと東京に残すものを区分けしていかなければならない。


 遷都が決定してから三十年、関東圏の人口は企業の移転や支社・支店の新設と合わせて徐々に淡路島へと移動しているが、それでも一年弱の猶予があるためにまだまだ関東一円には一千万近い人々が生活している。


 経済学者や人口推移に詳しい専門家らによれば、年明けから夏にかけて企業も人も物もかつてない大移動が行われると予言するほどで、先乗りするか後追いするかの駆け引きは、今後の経済に大きく影響するとも説かれている。


 だが最も移転のタイミングを図り難いのが国会と日本政府及び関係省庁と日本銀行などの中枢機関で、今上天皇を後追いすることなど出来ないわけだが、先乗りするには国会の会期や年度末などの関係で調整が難航しているのが現状だ。


 現職の内閣総理大臣御手洗清(みたらいきよし)は、関西出身の力強い語り口とある種強引な論旨で人気を博し、参議院を四期続けて当選。その後、厚生労働大臣として閣議入りして二期を過ごし、遂に内閣総理大臣まで上り詰めた。

 これはひとえに師匠とも恩人とも慕う山路耕介(やまじこうすけ)のお陰である。


 山路は天皇即位の騒動を引っ掻き回す形で、遷都による日本改造を押し通した人物であり、御手洗を厚生労働大臣へと引き上げてくれた。

 九州出身の山路は正しく九州男児で、御手洗も学ぶところが多く、政治に資金集めに根回しにと様々なことを学ばせてもらった。


 しかしその山路も遷都に絡んだ様々な憶測やゴシップに打ちのめされ、更には資金調達の面であらぬ疑いをかけられて失脚。現在は持病の悪化に伴って地元で隠棲している。


 そうして御手洗へとお鉢が回ってきたわけだが、師匠が師匠なら弟子も弟子である。


 六月の通常国会で自衛隊法改正案を提出し、自衛隊をより明確な行動指針を持った防衛軍へと引き上げようとした。

 当然、国会だけでなく日本国中から猛烈な批判と批難を受け、三日に渡って熱弁を奮ったが改正案は見送りとなった。

 それでも『見送り』であって『廃案』ではないところが師匠譲りの豪腕なのかもしれない。


「失礼します」

「……なんだね?」

 千代田区永田町にある内閣総理大臣官邸の五階、総理大臣執務室の扉を開け、内閣官房長官定岡誠二(さだおかせいじ)が入室した。

 御手洗はデスクに座して手元の書籍から顔だけを向けて定岡の用件を問う。


 風貌こそロマンスグレーとなった御手洗だが、齢六十五にしてまだまだその眼光は鋭く、年の変わらぬはずの定岡はいつも気後れしてしまう。

 それでも重厚なデスクまで近寄り、要件を申し立てる。

「南あわじ市からの自衛隊派遣要請をお受けになられたそうで……」

「ああ。何か問題あるか?」


 半ば喧嘩腰に聞こえるが、国会答弁や記者会見以外ではこれが御手洗の普段着である。


「件の改正法案で国民もマスコミも過敏になっている今ですか?」

「オブラートには包んだつもりだ。防衛大臣にも筋は通したし、彼も納得してくれとる。なにか落ち度があったかな?」

「大ありです。そもそも市長には自衛隊派遣を要請する権限もありませんし、国内では災害派遣以外で自衛隊を派遣した前例がありません」


 定岡の並べ立てる理由を聞き、御手洗は書籍を閉じてデスクに置く。


「君も要請の子細を聞いているだろう? すでに機動隊が五回も突入して歯が立たなかった。この異常事態に対処できる機関が他にあるんか? それに、今、新都には知事に相当する行政機関は設置されていないし、問題は南あわじ市の行政区分で起きている。誰が要請したかは関係なく、要請せねばならない事態だというところを軽視してはいかん」


 自衛隊法第八十一条では、自衛隊の派遣要請は都道府県知事が内閣総理大臣に対して行えるとある。だが御手洗の言う通り、現状淡路新都国生市という住所は発布されたが、行政機関は存在していない。


「付け加えれば、機動隊が通用しなかったという情報が世間に出ないように手を回しているが、それも時間の問題だろう。ならば明確な証拠がバラまかれる前に処理してしまわないと、自衛隊だけでなく国政というものが信頼失墜の憂き目に合う。そのために『新皇居の防衛訓練』なんていう想定外の斜め後ろなでっち上げまで仕立てたんだ。先の国会で改正法案が通ってたら、淡路島近海を埋め立てて基地を作りたかったくらいなんだぞ」


 御手洗の熱量と剣幕に押されながら定岡は苦笑し、対論を示す。


「さすがに基地建設はこの場だけの冗談だとさせていただきますが。……総理の判断が概ね正しいと納得はいたします。ですが、本当にそんな化物のような生物が暴れているとお考えなので?」

 今更な確認に御手洗は右眉を跳ね上げて肩をすくめる。

「超能力なんて、信じてはいない。だが、ゼロだとは思ってないな」

「ほお?」

「考えてもみろ。時代はもう頭の中に機械を内包しとる。電脳やサイボーグやアンドロイドなんぞ、ハリウッド映画とかSF小説だけのもんやったはずだ。宇宙人や異星人や霊魂すらその信度が上がってきている。……もう何が起こっても驚きはせんよ」


 御手洗はつまらなさそうに口を『へ』の字に曲げて書斎チェアを回して、背後の窓を向いた。

 御手洗がこうした行動を取る場合は、大抵話題に飽きて話し相手に退室を促したい時だと定岡は学び取っている。

 しかしどうしてもあと一つ確かめておかなければならないことがあった。


「……あと一つだけよろしいですか」

「なんだ?」

「今回の自衛隊派遣ですが、事件解決後に派遣理由を明かさねばなりません」

 自衛隊法第八十一条にて都道府県知事が内閣総理大臣に自衛隊派遣を要請できることは先に述べた通りだが、その要請は国会の決議を行わずに総理大臣の判断で受理し派遣することができる反面、後日その派遣理由や派遣に至った経緯を国会で説明せねばならない。

()()()()だ」

 定岡は驚いてすぐに言葉が出なかった。


 防衛派遣とは、他国からの武力侵攻が認められた場合もしくは明らかな武力侵攻の兆候があった場合に、自衛隊に防衛及び対抗を指示するもので、平たくいえば戦争状態での出動を意味する。

 御手洗は国内の一事件を戦争同然に扱ったと言ったのだ。


「それは、さすがに……。正気ですか?」

 動揺を隠さない定岡に、御手洗はチェアを回して向き直る。

「高橋智明だったか? 皇居に立て籠もってる少年の動機次第ではそうなる」

「さすがに、それは……」

 定岡は考えがまとまらないのか、意味のない言葉を継ぐだけだ。

 仕方なく御手洗は折れてやる。

「まあ、しかし子供のすることだ。良くて治安維持派遣。少年の動向とマスコミの煽り方次第じゃ国民保護等派遣だな」


 治安維持派遣とは、警察力では抑え込めない著しい騒動や混乱、または安保闘争レベルの暴動に対して自衛隊を派遣することである。

 国民保護等派遣は、テロや武装集団の侵攻などから国民を保護する目的のもので、兵力や武力ではなく避難支援や救助活動・物資輸送や化学物質の除染などを行うことを指す。


 御手洗が態度を軟化させたことに安心し、定岡は小さく息をつく。

「なんとか、演習で片付いて欲しいものです」

「ふん。俺としては自衛隊を防衛軍に切り替えるチャンスなんだがな」


 ニヤリとほくそ笑む御手洗に対し、定岡は心底嫌そうな顔をする。

 内閣官房長官の立場としては総理大臣の意向を元に、法案を作り上げたり答弁書を作成しなければならないのだから、天地をひっくり返して爆破するような言い樣は心臓に悪いのだ。


「お戯れを……。では、失礼します」

 ようやっと言い返して定岡は総理大臣執務室を退室した。

「まだまだ、これからだよ」

 先程の定岡の顔を思い出しながら、御手洗は楽しそうに笑ってデスクの書籍を開き直して目を落とす。

 愛読書、山路耕介著『三度目の日本改造論』の第一章『真実の自衛は防衛軍から』は、御手洗が一番好きなテーマだった。

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