予感 ④
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淡路島の北半分は二十一世紀初頭に町村合併され、淡路市として再出発した。
当時の淡路島は人口流出などを要因とする過疎が懸念され始め、ゆくゆくは全島を合併して淡路市とする気運が高まっていたが、南部が南あわじ市と成り、中央部が洲本市と成り、北部の名称に注目が集まる中で先んじて淡路市を名乗ったことで、一部批判や抗議が起こったいわくがある。
そんな淡路市も一世紀の歴史を数え、今度は新都の中心地に含まれなかった事に批判と抗議が集中した。
正確には東京二十三区のような区割りから漏れて国生市の隣接市・淡路新都淡路市となっただけなのだが、三十年経って開発や人工の増加が進んでも一定の不満と軋轢は残っている。
当初の政府公式見解では、人口の集中や都市化が整えば淡路市も区割りを行い、副都心として扱う旨を示したが、専門家らは望み薄としている。
その理由として、平野部が少なく山が多い地形とそれに則した地場産業、更には物流の基点ともなる明石海峡大橋の存在など、民意とは別の問題が影響していると解説されている。
世間的にも微妙な立ち位置と扱いの淡路市だが、それでも新都に属し国生市と隣接する土地であるから、企業の移転や工場や施設の建設も続々と増え、マンションや住宅も建設ラッシュを迎えている。
淡路市東浦に本社を構える株式会社カワサキは、淡路島北部を中心に土木工事を請け負っていた川崎組の経営母体で、住宅やビル建設を請け負う川崎住建の親会社でもある。この他にも損害保険や介護施設の運営など、淡路島内に限られるが、れっきとしたグループ企業だ。
もとは第二次大戦後に土建屋として興り、昭和・平成・令和と生き延びて遷都を迎えたことで土木・建築ともに受注が増え、淡路島及び近県の同業種の中でも急成長を遂げた。
川崎実が生を受けたと同時に、淡路島に五十以上の拠点と店舗を持つ株式会社カワサキグループの全権が手に入ることが約束されていた形だ。
結果川崎実は用意されたレールを実直に突き進み、工業系の高校から経営が学べる大学へと進学し、平日は大学に通い週末や長期休暇は現場で建築を学ぶという青春を過ごし、二十八歳にして年商十億とも言われる企業の取締役となった。
「実くん。昼からのアレ、どないすん?」
「あ! ゲンさん、ごめんやけどワシャ用事でけたよって、例の打ち合わせはゲンさんとセイさんで行ってくれっけ? セイさん! 二時から出れる? ゲンさんと打ち合わせ行ってほしいねけど!」
「おん、ええど。ええねけんど、オラ夕方に別件あんで?」
「ホンマにか。……ええわ。夕方のんはアワジの会社やろ? カミの会社やったぁ約束にうっさいけど、アワジやよってん『遅れる』言うといたらなんでんならいの。マチコぉ! ナンしといてぇ」
「社長。ええ加減ヨメみたいな呼び方やめれ。 私、社長の女や思われて彼氏にフラレとられ。ええ迷惑じょ」
「ほなワシがもうたるさかい身一つでおいで。ええ暮らしさしたんぞ」
「ゴリラは願い下げ!」
「ありゃりゃ。見た目くらい金で目ぇつぶってくれよ……。ほなごめんやけど、直帰しょーわ!」
淡路弁の飛び交う清潔感のあるオフィスを、川崎は右手を挙げて颯爽と通り抜け、大阪湾が臨める淡路市東浦の楠本地区の山あいの社屋を出て、愛車kawasakiVN2000バルカンにまたがる。
日本国内で走るには持て余しがちな大排気量の大型バイクだが、ポテンシャルを活かせずとも強大なスペックを有していることが川崎を満足させるのだ。このバイクで何かをするのではなく、このバイクはもっとすごい力を温存しているんだぞと思えることで満たされるのだ。
緩斜面を二速でゆったりと下りきり、国道28号線に出て津名港へと向かう。
父親の代から働いてくれている社員や幼馴染みの事務員たちとご陽気なやり取りをしていたが、川崎の頭の中では静かにイライラが募っている。
――なんでワシが行ったらなあかんねん――
週始めの午後の国道は空いていたが、気分の晴れるツーリングではない。
これから落ち合う相手は、突然川崎の自宅に電話をかけてきて、名前も名乗らずに半ば脅すような文言で今日の会談を持ちかけてきたのだ。
声から察するに恐らく子供なのだが、イタズラでは済ませられない煽り文句は、バイクチーム淡路暴走団の大将として許せるものではなかった。
そうでなければ仕事よりも優先したりはしないし、もしこれで下らない内容ならば、社員達に合わせる顔がない。
川崎にとって社長職とバイクチームは等価値で、社員を雇って金を稼ぐことと、メンバーを揃えて影響力を持つことは、形は違っても同種のゲームだ。ゲームの様に楽しめるぶんゲームの様に真剣になれる。
28号線を左折して橋を渡り、腹に響く低音を奏でながら津名港ターミナルビル前の駐車場へバイクを進入させる。