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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第三章 広がる波紋
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予感 ①

 六月も半ばになると淡路島の内陸部では田んぼに水を引き、田植えの準備に入る。七月にはそこここの水田で稲が背を高くし、辺り一面が鮮やかな緑に染まる。

 しかし遷都が決定してからの淡路島は、リニアモーターカーが走る高架橋の建設や、新しい国会議事堂やその関連施設、更には大手企業の本社移転や商業施設やテナントビルの乱立などで、緩やかに開発が進んで田畑は減少の一途をたどっている。

 これまで淡路島ブランドとして認知を進めてきたタマネギ・レタス・サニーレタス・ハクサイなどの農産物は、作付け自体が減少したため収穫量も激減し、これまでの農家の減退や跡取り問題とは別の問題を生んでしまった。

 同様の問題は酪農と畜産でも取り沙汰されていて、山あいや丘陵に牧場を持つ酪農家はさほどでもないが、平野部では周辺の環境の変化に頭を痛めていると聞く。もともと営まれていた牧場の近隣に戸建住宅やマンションが建ち、家畜の鳴き声や糞尿の臭いに苦情が寄せられるのだそう。先住していた畜産農家や酪農家からすれば、『後からやってきてそれはないだろう』と反論するのだが、衛生上の問題や精神的安定を盾に折り合いがつかないならしい。またブランド化した淡路牛の牛肉や牛乳の品質も問われ始めている。

 淡路瓦の工房や線香業者は農業や酪農ほどの影響を受けていないが、都市化から受ける影響は各産業に少なからず起こり、行政への訴えかけをしようにも新都国生市(しんとこくしょうし)はまだ庁舎も無ければ知事や議会すらも発足されていない状態で、旧南あわじ市と旧洲本市が暫定的に引き継ぎをしているに過ぎず、産業の問題点や苦情は棚上げされている。


 これは国生市の暫定組織として設けられた警察組織も同じで、南あわじ署と洲本署の上層組織となるはずの国生警察もまだ仮設で、署長も配属警官も仮配属なのだ。


「……警察がどういった対応をとったかは理解しましたし、署員の方々に死亡者や負傷者が出ている事も承知しました。しかし――」

 旧南あわじ市庁舎の最上階、市長の執務室に六人の警察関係者が集められていた。

「――新居所の私的占拠を、こうも長く解決できないでいることの説明にはなっていない。このまま長引けば警察だけの問題ではなくなり、マスコミの封じ込めも効かなくなる」

 三期目の任期を迎えた市長柳本一(やなもとはじめ)は、国生警察署長・南あわじ警察署長・洲本警察署長と担当刑事ら六人全員に視線を向けた。

「お言葉ですが、現場では常識の範囲を越えた状況が続いているのです。我々としましても事件解決に全力は尽くしますし、その方策も整えております。ですが、尋常ならざる状況では限界というものもあります」

 国生警察署長笹井昭二(ささいしょうじ)は、なるべくやんわりと今回の事件の異常性を伝えようとしたが、柳本市長には違って聞こえたようだ。

「尋常ではないから手に余る、と?」

「そこまで飛躍されては誤解を生みます。そうではなくて、警察組織に許された範囲では限界がある。そういう規模である可能性をご考慮いただきたいのです」

 笹井の返事に柳本市長は沈黙したが、笹井を見据える視線は一向に緩めない。


 世間的には病院襲撃事件として公表された中島(ちゅうとう)病院の騒動と、その日の夕刻に巻き起こった西淡湊里の爆発騒ぎは、警察の捜査の結果、諭鶴羽山ゆづるはさん麓の今上天皇新居所の私的占拠へと繋がり、全て中学三年生の少年高橋智明(たかはしともあき)の犯行であると報告された。

 中学生が一日でこれだけの騒動を巻き起こしただけでも異常ではあるのだが、新皇居の工事に赴いた業者の一団を不思議な力で負傷させたり、その業者からの通報で急行した警察官が行方不明になったりと、不気味な報告ばかりが続いた。


 それから一週間、国生警察及び南あわじ警察並びに洲本警察の合同で対策本部を構えて捜査員を送ってはいるが、事態は膠着状態に陥っている。

 柳本には笹井の言わんとすることは分かるのだが、柳本の市長権限で事を進めてしまうとあの手この手で守ってきた市長の座が危うくなる。自らの立場を守りつつ危ない橋を避けるためには、他の者に責任を負ってもらわねばならない。


 それは笹井も同様で、ようやく仮の署長というポストまで上ってきたのだ。異常な事件が起こったことはどうしようもなく犯人にその理由を聞くしかないが、部下が不必要に傷付いたり事件が長引くことは笹井の本意ではないし、新皇居という扱い辛い場所が舞台というのも対処に困るのが本心だ。願わくば南あわじ市長に早急な自衛隊の出動要請をしてもらいたいのだが、柳本市長のあからさまな保身に手を焼いている。


 どちらも醜い根比べをしていることは承知しているが、命の危険よりもまだまだ立場の危険の方に重きをおいているフェイズだ。

「……笹井さん。お気持ちやお考えはよく分かるんですがね。異常な事件だからとマスコミに規制をかけているのに、強硬手段をとるわけにもいかないでしょう。犯人がよほど反社会的だったり非人道的でない限り、選択肢は一つしかない。そうでしょう?」

「…………分かりました。容疑者が少年という部分も社会的な影響となり得ますし、新皇居というデリケートな場所も考慮して、もう少し対応を検討してみましょう。しかし、マスコミの動きやこれ以上の事態の悪化が見込まれる場合は、市長のご判断をいただかなくてはなりません。そこは、お約束していただけますね?」

 笹井からすれば責任逃れを堂々と表明した形になるが、そもそもの柳本が警察に醜態を晒し続けろと突き放したのだから、このくらいの仕返しは屁とも思わない。

「ふむ。確かにマスコミが要らぬ尾ひれを付けてきては困りますからな。宜しい。約束しましょう」

「……では、本日はこれにて」

 柳本の不遜な態度にも律儀に頭を垂れて笹井は退室したが、南あわじ市庁舎を出て公用車に乗る前に、同行していた警察署長に緊急の会議を開くことを告げて国生警察仮設署へと戻った。

 わずかばかりの休憩の後に、笹井をはじめ三人の署長は仮設署の会議室へ引っ込んでしまうと、付き添った刑事たちに少しばかりの空き時間が出来る。


 彼らは彼らで合同捜査の会議を持たねばならないのだが、先般の柳本市長との会談の様子からするに、新皇居占拠に関しては現場の刑事の出番はもうないようだ。

「残念だったな」

 国生警察仮設署最上階の喫煙所でタバコを吸っていた黒田のもとへ、洲本署の浜田行雄(はまだいくお)がいやらしく笑いながら話しかけてきた。

 タバコを吸わない浜田がわざわざ喫煙所を訪れ、嫌味ったらしく慰めの言葉をかけてきたので、黒田の機嫌は一気に悪くなる。

「なにがや?」

「そんな顔をしなくてもいいだろう。大きな事件の合同捜査が不本意な結末に向かってるんだ。同期のよしみで慰めに来てやったんだぞ」

「アホか」

 嫌味な笑顔を隠そうともしない浜田に、黒田も嫌悪を隠さずに罵倒する。

 なにかにつけて黒田と張り合おうとする同期に対して、今日ほどストレスを感じたことはない。

「なんだと?」

「今の状況を見て俺らがお役御免になったと思ってるなら、お前はアホだと言うたんや」

「ふん。くだらん虚勢だな」

 明らかな怒気と敵意のこもった黒田の視線に、浜田はやや怯んだ。

「この際だから言わせてもらおう。お前は出世だ何だにこだわる余りに職務を疎かにし過ぎだ。お前の出自を考えればもっと上にいられるはずなのにと思ってるんやろ? 俺と違ってお前はエリートコースに乗ってるはずやからな。けど一向に俺の上に立てない事が悔しくていちいち俺に絡んできよる。その根本的な原因は、全部お前の怠慢と驕りが評価を下げとることに気付いとらん。そんなこっちゃ俺を踏み潰すこともできんし、警視庁高官なんぞにはなれん。思い知れ!」

 黒田の言い様に浜田も眉を吊り上げて睨みつけてきたが、怒りすぎて言葉が出ないのか、唇を震わせてただ黒田を睨むだけだ。

「そんなに手柄や名誉が欲しいなら、今からでも合同捜査の責任者を譲ってやんぞ? まあ、お前が処理しきれるとは思わんがな」

「ば、馬鹿にするな!」

 タバコをもみ消している黒田を怒鳴りつけて立ち上がったはいいが、両手をわななかせても言葉を継ぐこともできず、浜田は喫煙所のドアを蹴破るようにして立ち去っていった。

 入れ替わるように南あわじ署の長尾が喫煙所に入ってくる。

「なんですか、アレ」

「エリートコースから脱落しかけの負け犬や。気にせんでいい」

 ぶすっとした顔のまま新しいタバコに火を着ける黒田を眺めつつ、長尾は紙パックの野菜ジュースをすする。

「同期じゃないですか。デリケートな人なんですから優しくしてあげてくださいよ」

「デリケートやったら、捜査資料と報告書と自衛隊への引き継ぎ書やらに忙殺される俺を労ってくれるもんやろ。ケンカの売り方が悪かったら損するっちゅう勉強や」

 未だイライラの収まらない黒田にやれやれと溜め息をつきつつ、長尾は本題へと話を変えた。

「それで、このあとはどうするんです?」

「どないもこないも、もう警察に出来ることは人海戦術しか残ってない。三署合同で集めれるだけ集めて囲んでみる」

「分かりますが、世論がどんな反応をするか……。負傷者や死亡者が出ると叩かれますよ?」

「んなもん、現場を知らん素人の日和見や。どうせ俺の首一つしかかかっとらん。誰がやっても今はこれしかない」

 紫煙を吐きながら話す黒田だが、長尾は言葉ほど黒田が腹をくくっているようには感じなかったようだ。

「何か別のことを考えてますね?」

 静かに問うた長尾に、チラリと視線を向けた黒田だが、キッチリ根本までタバコを吸ってもみ消すまで沈黙した。

「……これはオフレコだぞ?」

「……ハイ」

「表向きの捜査とは全く別個の方面から手を回してることがある。今度の強硬策があかんかったら、ちょっとそっちの線から考えてみようと思う」

 長尾には黒田の言っていることが何一つ分からなかっただろうが、これは長尾や警察組織を巻き込まないためにあえて伏せたからだ。

 黒田は元は南あわじ署の刑事であり、長尾を育て上げた先輩でもある。捜査の手順から聴取の駆け引き、経費の抑え方からサボるタイミングまで色々と授けた。

 そんな黒田だからこそ考えや行動を悟らせない話し方をすることで、警察の捜査や社会通念や一般常識から逸脱した動きだから関わるなと一線を引いたのだ。

「黒田さん。まさか辞める気ですか?」

「アホか。なんぼ出世の芽がなくても、社会正義と刑法は絶対や。警察は倒産もないんやし、クビ食らうまではしがみつくよ」

「……ですよね」

 少し時代遅れな口上に長尾が引きつった笑い方をしたが、黒田の刑事魂が錆びついていないことは伝わったようだ。

「まあ、さすがにお前の部下になるようなことがあったら辞めてまうかもしれんけどな。恥ずかしよっての」

「お戯れを」

 浜田より長尾の方がエリートコースの王道を通っていると噂されているのを知っていて黒田のこれである。

 冗談めかして大笑する黒田を見ながら長尾は精一杯の愛想笑いを向けてきた。

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