明里新宮 ⑤
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一日通してかかっていた雲が夕闇を早めた頃、ギリギリの精神力で皇居へと戻った二人は、すぐさま風呂に入って夜食を摂り、洗濯物の乾燥を待ちながらインスタントのコーヒーを淹れてようやっとくつろげる状態へと至った。
「……リリー。三貴子って知ってる?」
スマートフォンを操作していた智明がおもむろに話しかけた。
「三貴子? 何やったっけ」
「イザナギとイザナミから生まれた神様で、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三柱の神様なんだけど」
「ふーん。それがどうしたん?」
スマートフォンで料理レシピを検索していた優里は、まだ注意がスマートフォンに向いているようだ。
「うん。中二病って言われるかもだけど、俺とリリーって月と太陽かなって思ってさ。そこからアマテラスとツクヨミを調べてみたんだ」
「へえ。なんか面白いこと見つかったん?」
一瞬だけ智明に視線を向けたが、優里の目はまたスマートフォンに向く。
「まあ、アマテラスとスサノオは有名だし、いろんな文献に登場してるから情報が多いんだけど、ツクヨミって古事記じゃほとんど触れられてないし、その他の文献でもあまり目立った逸話がないキャラクターなんだよ」
優里はようやっと顔を上げてちゃんと智明を見たが、神話の中の神様をキャラクターと言い放った智明に『あらあら』という目を向ける。
「それが私なん?」
「状況的にそうじゃない? リリーが能力を使えるようになったのって俺に付いてきたからだと思うし、月ってほら、日の光を受けてるからこそ月っていう感じだし」
「ツクヨミってそうなん? アマテラスに引き立ててもらってる人なんや」
「そこまでガッツリ絡んでないから分かんないけど。なんせアマテラスと登場回数が違いすぎて、逸話も少ないから比べようもないし。ただ、アマテラスやスサノオって物事の中心に居たり派手な行いや言動が多い分、ツクヨミの物静かさとか真面目さとか賢さのようなものの対比かな、と思うんだよね」
少し熱のこもった話をする智明に対し、優里はすっかり興味をなくしてしまったようでまたスマートフォンに目を落とした。
「それで言うたらコトはスサノオやね」
「そうかぁ?」
「そうやで。ヤンチャで派手好きで突拍子もないことして。モアと私を巻き込むやろ」
「……なるほど」
端的な優里の説明に智明はすんなりと納得してしまった。
「モア? 今更かもしれへんけど、コトは誘わへんかったん? コトもおったらまた三人で楽しい出来ると思うねんけど」
優里は少し遠慮気味に問いかけた。
その視線から逃れるように智明は顔をうつむけて答える。
「そうだよな……。でも今はちょっと、真に会えない。というか、会いにくいな」
「なんかあったん?」
優里の追求に智明は黙ってしまう。
目覚めたばかりの能力をひけらかし、常に自分の先を行く親友を出し抜いて優里をさらった。
この事実を優里に伝える勇気はなく、また真に自分のおごりや増長を謝罪する言葉も思い付かず、智明の中で整理がついていないから優里の視線から逃げたのだ。
「そっかぁ。少しだけ間あけてから考えようか。喧嘩しても私らは友達やから」
詳細は聞かずとも智明の様子からひと悶着あったことを察し、優里は包むような笑顔で智明に諭した。
「うん。……あ、それよりさ、家に名前付けようよ」
「名前? 家に?」
急な話題転換に優里が戸惑う。
「そう。ミヤとか、グウとか、ナントカキュウとか言うでしょ。ここは皇居になるはずの建物だし、名前があってもいいんじゃないかなって」
困り顔のまま優里が問う。
「なんやろ。ベルサイユ宮殿とかモンサンミッシェルみたいなこと?」
「そうそう。サンクトペテルブルグとかね」
「んん? それは、街の名前やなかったかな。……日本やと建物の名前って地名に由来するんが多くない? ここやったら淡路ナンチャラとか、ナントカ諭鶴羽ナニナニみたいになるんちゃう? 知らんけど」
関西特有の例示するも不確定ゆえに投げ捨てる物言いに智明は軽く笑う。
「そういうのもあるね。京都御所は天皇家が京都にいた頃の皇居だし。地名以外に人名の時もあるだろ。五色のほら、江戸時代あたりの商人のアレとか、あるやん」
「高田屋嘉兵衛さん? あれは公園やで。屋敷跡は函館ちゃうかったっけ」
さすがの優里も授業の余談で聞いた話はうる覚えだ。
「そ、そうだっけ。まあ、なんにせよ名前付けた方が愛着も湧くし、リリーもお姫様って感じになるだろ」
苦し紛れの智明の理由付けに優里が急に慌てだす。
「わ! ちょっと、ここでお姫様とか引っ張り出さんとって! 後々、あの女どんだけメンヘラやねんとか言われたら、私の十代は黒歴史になってまうやん」
「大丈夫だって。本物になっちゃったら黒歴史になんかならないし、なんか適当にどっかの血筋とかでっち上げたら歴史なんかなんとでもなっちゃうって」
中性ヨーロッパあたりの家名の売買などを引っ張り出して、智明は笑いながら説得するが優里の狼狽は収まらない。
「いやいや、それ一番あかんやつやん。あとから捏造とか言われるやつやん。反論できへんうえに恥ずかしいだけのやつやん」
「まあまあまあ。えっとね、地名だと俺らが名付けたって感じがなくなるから、二人の名前から取ろうか? 智優院とか、明里宮とか」
とうとう優里を無視して智明は中二病爆発のネーミングを考え始める。
「チユウインはもう『宮』無くなってるやん。ナニナニのミヤにしちゃったら皇族やんか。建物やないよ」
「じゃあ、明里神宮」
「神宮は神社やで。亡くなった天皇さんを神様としてお祀りした神社な。てか、メイリジングウは明治神宮と似てるから却下」
智明の中二病とお姫様にされてしまいそうな恥ずかしさから、優里は智明の提案を間を開けずに切り捨てていく。
「むう。……なら明里新宮でどう?」
「シングウ?? なんじゃそら。メイリもそのままやし」
畳み掛ける優里の言葉に智明は『むむ』と唸る。
「シングウ、いいと思うんだけどなぁ。新しい王様が作った物っぽくない?」
「まあ、そういう言葉がないわけやないけどね。言うたらここは今の天皇さんからしたら新宮やから」
「あ、そういう使い方の単語なんだ。ふーん」
これは優里の勘違いで、一般的には神社の分社などを興した際にあてられる言葉だ。
「じゃあ、明里新宮にしよう」
自信満々の笑顔を優里に顔を向けた智明に、とうとう優里は根負けしてしまう。
「わかったよぅ。でもアキサトはぽくないよ。アケサトの方が良い」
「そお? リリーが言うならそっちにするよ。今日からここは明里新宮だ」
優里がアイデアを受け入れた事に満足したのか、智明はここ数日で一番の朗らかな笑顔を優里に向ける。
まだ優里には気恥ずかしさが残っているが、楽しそうな智明の姿に嫌な気持ちは一切ない。
少し子供っぽい智明を姉のような目線で見ていられるのが、優里の一番安定しているポジションのようにも思うのだ。
姉の目線で言えば真に対してもそうなのだが、同じ子供っぽさでも『静』の智明に対して、真は『動』の印象が強く、真と付き合っても優里はあまり構われずにほったらかしにされそうなイメージがある。
それよりは智明を構いつつ、智明に構われたい。
――でも、モアにはコトみたいな男友達も必要やから。しばらくしたらコトをここに呼べたらいいなぁ――
楽しそうに笑いかける智明に答えながら、優里は心の中で小さな願いを抱いた。
お読みいただき有難うございます!
今話で第二章『明里新宮』の結びとなります。
ここまで智明と優里を中心に進めてきましたが
第三章は真や黒田刑事・鯨井医師の視点から智明らの逃避行を見ていく形になります。
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