明里新宮 ③
そのころ優里は買ってきた物をあらかた片付けてしまい、昼食のハンバーグの下ごしらえを始めていた。
挽き肉に卵と牛乳とパン粉を混ぜ、ナツメグの粉末を加えてこねていく。
――なんで私にあんなことがてきたんやろう――
ハンバーグのパテを整形しながらも、昨日までは想像だにしなかった人外の能力に戸惑うばかりだ。
ドラマや漫画の物語上の設定などで、超能力というものの知識は少しある。だが優里の中では魔法やタイムマシンと同じで、超能力は未だ人類が獲得し得ない願望であり、夢物語や絵空事だという分類にすぎない。
実際に智明の能力を間近で見た今でこそ、その存在を現実のものと認識しているが、完全な制御を成していない智明の苦戦ぶりを見ていると、思うほど便利ではないとも思えてしまう。
また、昨日までその素養や兆しさえ皆無であった自分が、テレパシーや瞬間移動や念動力を使えてしまったことが不思議でならない。
「……モアのせい。せい言うたらアカンな。モアのおかげ、なんかな」
フライパンの上でバターが溶け始め、整形したパテを投入すると油の弾ける音が立ち、肉の香ばしい香りが広がり、順調な調理に優里の気分は少し良くなった。
シャワーからあがった智明も相当に気分は落ち着き、体を拭いたあとに新しい下着と衣服を着たことで更に気分を入れ替えられた。
脱衣所から廊下へ出ると、食欲をそそる香りが溢れていて、これが優里の手料理から起こっていると思うとすんなりと足はキッチンへと向いた。
「お! うまそ♪」
智明がキッチンに顔を出すと、ちょうど優里が皿にハンバーグを盛り付けているところで、出来立ての香りが智明の腹の虫を騒がせる。
「あとソース作ったら完成やから、ダイニングで待っててな」
「お、うん、分かった」
思わず生唾を飲んだ智明が待ちきれない気持ちを抑えてダイニングに向かおうとするのを、優里が呼び止める。
「あ、ごめん。ご飯まだ炊けてないねん。パンでもええかな?」
「んっと、足りなかったらパンももらおうかな」
「ん。分かった」
自然と新婚ごっこかおままごとの雰囲気になってしまうが、気恥ずかしさと浮かれた気持ちは中学生の二人には充分な幸福感だ。
キッチンと簡素な仕切りで区切られたリビングダイニングは広く取られていて、家具や収納も広さに合わせて一般家庭よりも高級そうで大型だ。
惜しむらくは、やはり皇居ということで外部からの危険を排除するために、窓や掃き出しは控えめな造りになっている。南東側の壁には採光用の小窓が設けられているので、室内は明るく閉塞感はないが、二階のロビーのような諭鶴羽山の絶景は見ることができない。
「こっちにこう。……やっぱり向かい合わせかな? いや、横並びか?」
「……何してるん?」
二メートル超のダイニングテーブルには八脚ものダイニングチェアーがセットされていたので、智明はあちこちのチェアーを引きながら二人の座る位置を考えていた。
「いや、どこに座ろうかなって。リリーは向かい合わせと横並びと、どっちがいい?」
「へ? やっぱり付き合ってるんやったら向かい合わせ……。ああ、でも結婚するんやったら横並びやけど……」
はたと優里の言葉が途切れる。
長辺が二メートル超ということは、短辺が八十センチほどとなり、長辺の真ん中で向かい合わせでも両端どちらか寄りで向かい合わせでも残った空間が気持ち悪い。ならば長辺のどこかで隣り合わせというのもどこか居心地が悪い。
「な? なんか変だろ」
「うーん。まさかこんなことで悩むとは思わなかったなぁ。広いお家も考えものやね」
ダイニングチェアーの背もたれに手をかけたまま同意を求めた智明に、優里はトレイをテーブルに置いて同調する。
「ソファーの方で食べようか?」
智明に問われてソファーセットを見た優里だが、その表情は芳しくない。
「ソファーもラグも汚したないなぁ。……あ、これでええんちゃう?」
ソファーセットから視線を戻した優里が、トレイで運んできた皿をテーブルの角を挟む形でセットする。
「なるほど! さすが、リリーだ」
「あん。たまたまの思いつきや。誉めても何も出えへんで」
手放しで誉めちぎる智明に照れ笑いを返しつつ、優里はトレイを取り上げてキッチンへ戻ろうとする。
「まだ何か運ぶの? 手伝おうか?」
「あとは飲み物くらいやから、モアは椅子動かしといて」
「あいよー」
智明は抱きついてキスの一つもしたかったところをスカされたので、手持ち無沙汰で用聞きをしたが、それもスカされ素直にダイニングチェアーを一脚短辺の方へ移動させた。
「……あれ? まあいいか……」
しばらく待ったが優里がキッチンから戻ってこないので、ただボンヤリとするのも味気なくなり、智明はグルリを眺め回してみる。
と、チェアーが一脚だけテーブルの短辺にあるのも整合性を欠くと感じ、ダイニングチェアー八脚がバランス良く並ぶように配置を変えた。
「よしよし」
自己満足の笑みを浮かべて席に着いた智明の元へ、グラスとカトラリーをトレイに載せて優里が戻ってきた。
「あ、モアはあっちやわ」
「え? 向こう?」
「うん。あっちが上座やから」
「なるほど」
優里の指摘に沿うように智明は席を立ち、自分と優里の皿を取り上げて向かいの席へ移る。
「となると、優里はこっちか」
「ありがと」
智明の座った席からテーブルの角を挟んで右手側の席に優里の分の皿を置く。次いで優里がグラスとカトラリーを置いて、智明の傍に立つ。
「えへへ」
「うん?」
「気付かへん?」
はにかんだ笑顔を見せながら立っている優里が、小さく足を動かしてゆっくりと体を一周させた。
一瞬頭をひねった智明だったが、優里が両手のヒジを折って肩のところでグーを作り、片足を軽く後ろに跳ね上げたルンルンポーズを取ったので理解した。
「あ! ペアルック?」
「当たり♪」
智明が指差しながら答えると優里は肩のところで作っていたグーをピースに変えた。
智明と優里が着ているのはどこででも買えそうなごくごく普通のスウェットだが、グレーのベースに袖と脇の下と足の外側が別色でデザインされていて、智明はグレーに紺色、優里はグレーにエンジ色になっている。
「ワオ! さっき着替えたの?」
「んー、そこはハズレ。モアがお風呂入ってる時に着替えてん」
ここで智明は先程キッチンに立ち寄った時に、優里が着替えていたことに気付けなかった失態を突きつけられたことを知った。
「ごめん。さっき気付かなかったよ」
「今当たったからええよ」
ルンルンポーズを解除して席に着こうとする優里に手を伸ばし、腕を取って智明の方へ引き込む。
「やん」
「かわいい。すごく似合ってる」
「へへ、ありがと」
そのまま顔を寄せてキスをすると、もっと長く続けようとする智明から顔を赤らめた優里が体を離す。
「あれ?」
「ハンバーグ冷めちゃうやん」
その後はテレパシーで続けて、今度こそ優里は席に着いた。
「あ、うん。今晩な?」
「なんで口にするかな。恥ずかしいから心に言うたのに」
更に顔を赤らめる優里だが、上目遣いで智明を見る顔は嬉しそうだ。
「リリーの反応が可愛いからだよ。さあ、食べようか」
「むう。……いただきます」
「いただきます」
一瞬だけ優里は唇を尖らせたが、両手を合わせてからナイフとフォークを取った。
「…………どお?」
手元のハンバーグを切り分けた優里は、同じ様にハンバーグを切り分けて口に運んだ智明の感想を、身を乗り出して待つ。
「ん。ん。……うん! 美味しい!」
「良かったぁ。自分以外の人に食べてもらったことないから、キンチョーするわぁ」
ダイニングチェアーにもたれて笑顔を見せる優里を見て、智明も笑顔になる。
「そうなんだ。俺が、初?」
「そやで。ああ、何回かお母さんに作れって言われて作ったけど、そん時に食べてくれたのはお母さんと助手さんくらいだから、身内やし数に入らんやろ」
「おお、おお。そうじゃなきゃ俺の特別感が薄まっちゃう」
次の一口を取り上げかけて思わず智明の手が止まる。
「あは、そうやね。……ん。じゃあ、男の子に作ったのはモアが初でどない?」
優里は口に入れたハンバーグを飲み下してから答える。
「ええー? そこは彼氏だろー」
「そっかそっか。ほしたら、初キスも初エッチも初手料理も、全部モアが初めてやで」
「……おお、うん。やったぜ」
ほとんど智明が言わせた特別感のはずなのに、言い切った優里よりも智明の方が照れてしまう。
「ププッ。モア、可愛すぎ」
「お、お前のほうが、可愛いよ」
「あっはっはっはっはっ! 恥ずい恥ずい! いやああああ♪」
ナイフとフォークを持ったまま顔を隠し、足をバタつかせて優里は身悶えした。
智明以上に照れてはしゃぐ優里に、智明は穏やかな笑顔を見せて優里が落ち着くのを待つ。
「はあ、はあ、アカンアカン。ご飯中やったね。ごめん」
「いや、大丈夫。やっぱり良かったなって思う」
まだ少し照れ笑いの残る優里は、グラスを傾けて水分を摂る。
「ん。……何が?」
「うん? そんなの、決まってるだろ。リリーが一緒に居てくれて良かったって話だよ。わ、分かるだろ」
また自分で照れ臭いセリフを言った恥ずかしさから、智明は赤面する顔を隠そうとそっぽを向く。
「……大丈夫」
「ふえ?」
「私も、モアと居るから笑ったり照れたりしてるんやで。一緒やで」
視線だけを優里に戻した智明の前で、優里は体を智明に向けて顔を差し向ける。
「リリー……」
優里に体を向け直した智明に合わせ、優里は唇を微笑ませたままそっと目を閉じる。
智明は誘われるまま顔を近付け優しく唇を重ねた。
「ふふん。今度こそハンバーグ食べてしまおう。温かい方が美味しいから」
「ん。そうだな」