明里新宮 ②
※
さっきまでそこここで囁いていた土埃はとっくに静まり返っていて、土砂の流入も樹木の倒壊も収まって、音らしい音は震えて噛み合わない自身の歯の当たる音だけだった。
智明は自身が作り出した巨大な破壊後の真ん中で、人を殺めてしまった短慮を悔い、優里との誓いを反故にしてしまった不誠実を嘆いていた。
「リリー、ごめん」
買い出しを終えた優里の連絡に心で謝罪するだけでなく、声にも出して何度も何度も繰り返した。
後悔と懺悔に震える体を自らで抱き、理性を失うきっかけとなった右胸の銃槍の痛みと疼きを罰として記憶する。
『死』とはこの痛みの何倍なのだろう……。
『罰』とはどれだけ受ければ償いになるのだろう……。
地べたに座り込んでしまっている智明の心は、底の見えない奈落へと果てなく沈下し続ける。
「私がそばに居るよ! もう大丈夫だよ!」
どこか遠くから聞こえていた文言が、唐突な抱擁とともに鼓膜に届き、智明の心は少しだけ沈下をやめた。
「モア! 私が居るから! モアとずっと一緒に居るから! 大丈夫やから!」
震えの止まらない智明の体は、声の主によって抱きしめられ、何度も何度も励ましの言葉と受容と許容の言葉をかけ続けてくれた。
幻聴や妄想やテレパシーではないと知覚できるほどのリアリティーだったからか、智明が視線を向けると見慣れた顔がそこにはあり、本物かどうかを確かめるために名を呼んだ。
「リリー?」
「うん」
智明の呼びかけに答えた優里の顔は一瞬で心配顔から微笑みへと変わり、智明の精神的な沈下は一時的に止まる。
「ごめん。呼んでくれたのに、迎えに行けなかったな」
「それは、ええよ。……モア、なんかあったんやろ?」
優里の声は責任追及するような厳しい声ではなく、ありのままの智明を包むような柔らかさがあった。それゆえに智明の懺悔はより深く自身を抉ってしまう。
「ごめん。ごめん。リリー、ごめん」
「もうええって。ちゃんと帰って来れたんやから――」
「違う。俺は、リリーと約束したのに、人を、この能力で人を傷付けた。死なせて、しまった」
「それは…………」
智明の告白に少なからず優里は動揺した。
優里の知る智明は命を軽んじる性格や人格ではないし、真と一緒になってコッソリ法に反する事をしていても、人を殺めたり傷付けることなどできないはずだからだ。
命を奪う前に、奪われる怖さや痛みを想像できるのが智明のはずだから。
「恨みや、怒りや、愉悦とか、殺したいとか、思ってやったん?」
かなりの間が開いてから優里は智明に問いかけた。どうにか智明の行為を弁護し正当化する理由や言い回しを捻り出したのだ。
「そんなのは、ない、と思う。……囲まれて、抑え込まれて、怖くて、カッとなって振りほどいたらこんな感じになっちゃって……」
「うん」
一旦収まっていた震えが先程以上に激しくなって智明を襲う。
「たくさん殺した。は、八人とか、そんくらいをいっぺんに……。俺のせいだ。俺がやった。リリーと約束したのに」
「モア。しっかりして」
おこりの様に全身を震わせる智明を優しく抱き、優里は智明を落ち着かせようと声をかけ続ける。
「こんなのダメだ! こんな力使えない! こんな力いらない!」
乱れ始め、自己否定とともに手足を振り回し始めた智明は、優里の抱擁さえも振りほどこうとする。
「モア!」
「嫌だ! こんなの嫌だ! ふぐっ!」
取り乱す智明を抑え込むことが困難だと判断した優里は、なんとか智明にしがみついて、スキを見て強引に唇を重ねる。
智明は驚いて全身を強張らせたが、なだめるように背中をさする優里の手に合わせ、次第に力を抜いていく。
「……ん。落ち着いた?」
「リリー。ごめん」
「そこまでや。モアが暴れたら私じゃ抑えられへんから、暴れんといてな」
「ああ、うん。リリーにケガさせたりしたら、俺、立ち直れないよ」
「あん、もう」
また沈み込もうとする智明のメンタルを引っ張り上げようと、優里はもう一度智明にキスをする。
「……一回家に戻ろっか。お風呂入って、ご飯食べて、着替えて、気分変えてから話さへん? 野菜とかお肉が傷んじゃいそうやわ」
優里は視線だけで傍らの紙袋を示し、智明に同意を求める。
そこそこ大きめの紙袋が四つ並んでいる状態に驚いたが、逆にそこまで優里が皇居での二人暮しに前向きであることに気付き、智明は優里の提案を素直に受け入れることにした。
「そ、うん。分かった。あ、俺が持つよ」
「そお? ありがと」
先に立ち上がって荷物を手に取ろうとした優里を制して、智明も立ち上がって両手に二つずつ紙袋を提げる。
「じゃあ行くで」
「んえ?」
優里の発した言葉の意味が分からず戸惑う智明に構わず、優里は智明に抱きついてイメージを固めて飛躍する。
一瞬のブラックアウトの後、智明と優里は皇居の三階プライベートスペースの玄関に立っていた。
「モアはお風呂入ってな。その間にお昼ご飯準備しとくから」
「リリー?」
「ハンバーグやで」
「いや、そうじゃなくて」
こともなげに言い放って、靴を脱いでキッチンへ向かおうとする優里を、智明が呼び止める。
「ん? なぁに?」
「なんでそんなことができるんだ?」
「へ? ハンバーグくらい誰でも作れるやんか」
「じゃなくて、今の瞬間移動はリリーがやったんだろ?」
荷物を持ったまま玄関に立ち尽くす智明の追求に、優里は歩き始めで振り返った態勢のままハテナ顔を返してくる。
「よく考えたら洲本からどうやってここまで帰ってきたんだ? それも瞬間移動使ったのか?」
荷物を持ったまま優里を指差す智明へ向かい合うように態勢を整え、口元に手を当ててしっかりと思い出そうとする優里。
「…………ホンマや!」
「あら」
「ようよう考えたら、なんで私そんなことできるんやろ? え、なんで?」
両手を胸のあたりでフラフラ泳がせながら優里は突然慌て始めた。
その姿に智明はズッコケてる場合ではないと感じ、優里を落ち着かせにかかる。
「ストップストップ! その話もあとにしよう! とりあえず落ち着こう! な?」
「う、う、うん。そやね」
優里の動揺は全く収まってはいなかったが、それでも室内へと歩みを進めてくれたので、智明も靴を脱いで後をついていく。
リビングダイニングに入ると優里は智明に荷物をダイニングテーブルに置くように指示し、紙袋の中から智明用の下着とスウェットと入浴関連のアメニティーを抜き出して手渡した。
スウェットとパンツの封を切っている傍らで、優里が他の紙袋から買ってきた物を広げていくのを眺めていて、智明は優里の用意周到さに舌を巻きつつ、感謝を込めたキスをして風呂場へと向かった。
新品の着替えを脱衣籠に置き、土砂のついた服を脱ぎ捨てている途中で、右胸の銃槍に目が止まり、智明は様々な想いに打ちのめされる。
まずは確実に自分の暴力性がために人を殺めてしまったことを考えてしまう。優里の弁護では不可抗力や正当防衛や物の弾みといった慰めを含んでいたが、智明の行動が人命を奪ったことに変わりはない。
次に思うのは、やはり優里との約束を反故にしてしまったことだ。遊ぶ約束に遅れてしまうような軽いものではない。力試しのように警察官を煽り、追い込まれた末に膨大なエネルギーを暴発させ、地形が変わるほどに大地を抉ったのだ。笑って流されるような裏切りでは済まない。
そして最も愚かだと思うのが、拳銃から撃ち出された弾丸を能力で弾き返したり静止させたり出来るだろうと、思い上がっていたことだ。
これには三つの失敗が重なっていると智明は知った。
一つは、拳銃の威力を知りもしないのに防げると過信したこと。日本の警察官が所持している拳銃は38口径の五連装回転式拳銃で、装填される弾丸次第だが比較的中程度の貫通力を持っている拳銃だ。もっと口径の大きな44口径や357マグナムなどであれば、智明も検証動画などで木板やゼラチンを撃ち抜いているのを見ているし、人体を貫通するほどの威力があると知ってはいた。だがそういった知識があるからといって、現実に銃口と向き合った時に防御してくれる盾にはならなかったということだ。
二つ目は、銃弾が打ち込まれるポイントを絞りすぎた上に、手の平周辺の空気を圧縮した程度で防御しようとしたことだ。拳銃を構えた警察官は状況や対象によって狙いどころを訓練されている。武器を持っている相手の場合は肩や腕。逃走しようとする相手には足。日本の警察の場合は余程の危険が迫っていない限り、頭部や胸を狙って射殺するということはない。武器を所持していなかった智明に発砲するなら、足を狙うだろうと思い込んだことにミスがあったのではないか。
そして三つ目に、智明が能力を誇示し警察官たちを刺激しすぎたこと。威圧や恫喝は、能力差や実力差があるほど有効に働く場合が多い。しかしそれは庶民と庶民の関係性の場合であって、警察や軍隊を相手にした場合では彼らの使命感や職務遂行の意志が勝る場合には必ずしも効果的ではないということだ。今回に関しては智明の威圧が過剰であったために、恐怖や緊張から警察官の照準がブレた可能性が大きい。過去の警察官の発砲により射殺に至ってしまった事例では、緊迫した状況下で照準がブレて急所を撃ってしまったものが少なくない。
――この傷は戒めだな――
智明は深呼吸を何度か繰り返し、ようやっと気持ちの整理をつけてバスルームへと入った。




