表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第三章 暗躍する影
483/485

系譜 ④

   ※


 シャワーから上がると、リビングテーブルにトーストとコーヒーが出来上がっていて、入れ違いで優里がバスルームへと入っていった。

 この二週間、順序は違えど繰り返されていた日常だ。


 グレーの無地Tシャツと濃紺のスウェット地のハーフパンツ姿でソファーに腰掛けた智明は、シャワーで水をかぶったのにやや体の火照りを感じ、エアコンからの涼風にあたって落ち着かせてからトーストを口にした。

 少しミミが焦げる程度に焼かれたトーストにバターを塗り、表面の香ばしい食感と柔らかい内側の舌触りと乳製品の風味を味わい、子供っぽいがちぎったパンをコーヒーに漬けて甘苦い濡れパンにして食べきった。

 バターを塗ったトーストを漬けたせいでコーヒーに油が浮いて口当たりが悪くなったが、ミルクコーヒーやウインナーコーヒーとも違うコクが足された気がして、この味は嫌いではない。


 腹にものを入れて落ち着き、ソファーでくつろいでいるとすっかり体の火照りも和らいだ。

 優里が赤地のプリントTシャツとグレーのスウェット長ズボンで戻ってきて、「コーヒーのおかわり飲む?」と尋ねてきた。


「うん。お願い」

「はぁい」


 気安い返事とともにキッチンに向かう優里を目で追い、ソファーから体を起こした智明はダイニングセットの向こうに立つ後ろ姿を眺める。

 普段は肩よりも長く背中で踊っている黒髪を、今はターバンぽいタオル地のヘアバンドでまとめていて、シャワー後の火照りで細い首が桃色だ。

 肩幅に開いた脚はインスタントコーヒーを淹れる動作に合わせて右に左に重心が移り、半袖から出ている細い腕も桃色の肘を揺するようにこまめに動く。


 ――暮らすって、当たり前のことにしちゃいけないものなのかもしれない――


 小学生から知っている幼馴染みの肢体は、成人のそれと大きな差はなく、身長もスタイルも仕草も大人の女性であると改めて感じる。


 たった二週間。それでも二週間をずっと同じ空間で過ごしてきて、智明と優里は恋人や夫婦のように昼夜をともにし体を一つに重ねて、その行程を当たり前にしてきた。

 優里の妊娠で性交が控えられても優里の魅力は損なわれるわけはなく、また智明の欲求も意識的に抑制こそすれども興味が絶えたわけではない。

 むしろルーティン化した行為が崩れたことで強まった、とも思う。一糸まとわぬ姿で互いのすべてに触れ合ってきたのに、部屋着の後ろ姿に欲情を覚えるのは智明にとってこの二週間の中で初めてのことだ。


 と、コーヒーを淹れ終えた優里が振り返り、「え、なに?」と身を引いて訝しんだ。


「ん、いや、なんでもないよ」


 咄嗟に誤魔化したが、見惚れていたと素直に言うべきだったと悔やむも、後ろ姿に発奮したとバレるのが格好悪くて愛想笑いで済ませてしまう。


「あ、ホットで良かったやんね?」

「うん。大丈夫。ありがとう」


 リビングテーブルにマグカップを置くために前屈みになった優里に問われ、やはり目線を反らせて当たり障りない返事を返した。

 優里も智明の隣りに腰掛け、数回息を吹きかけてからコーヒーを啜る。

 智明は気まずさを隠すために視線を彷徨わせ、開け放たれたままの自室の方に向いた。


「あ……」


 明里新宮(あけさとしんぐう)から一時の隠れ家として戻った自宅で、智明の部屋だけが現状維持され、3LDKのその他の部屋はもぬけの空だったが、一通の大判の封筒が残されていたことを思い出した。

 無言で席を立ち自室へ歩いていく智明に、ソファーから優里の声がかけられたが、今の智明の頭の中はそれどころではない。

 諜報や情報収集を任せている山場俊一(やまばしゅんいち)に命じた程度には両親の行方知れずは気になっていた。

 というよりも、山場に任せているからこそ考えずに済ませていただけで、智明の体調不良からの能力顕現をキッカケとした事件と騒動に合わせるかのように両親が蒸発した理由を知りたかった。


 中学校入学以降、溝があったとはいえ、三人で暮らしていた記憶はちゃんと家族だった。


 使い慣れた学習デスクの幅広の引き出しを開け、目当ての封筒を取り出して、のり付けされていない口から中身を覗く。

 収められていた書類はサイズこそA4判で揃っていたが、コピー用紙の滑らかな白色と、複製防止の複雑な紋様と彩り豊かな用紙が数種類混在していた。

 智明はその封筒を手にリビングへ戻り、優里に差し出して問う。


「これ、やっぱり変だよな?」

「見てええの?」

「うん。リリーの意見を聞きたい」


 優里は差し出された封筒を戸惑いながら受け取り、収められていた書類を一度に引き出して、一枚一枚に目を通していく。


「……電気代の契約書。

 ……ガスの契約書。あ、水道もある。

 …………住民票に、スマホとネットの契約書と……。

 バイクの車庫証明?

 え? 登記済証明書?

 戸籍全部事項証明書!?

 個人番号個別統合カード明細? 

 ……銀行口座開設通知に、印鑑証明書?

 なんなん? これ?」


 書類のそれぞれの題目を口にしながら繰ってゆき、一巡したところで優里は困惑した表情を向けて問うてきた。


「だよな。わけ分かんないよな……」


 電気・水道・ガス・スマートフォンとインターネットプロバイダ等の契約書はまだ分かる。

 しかしその他の身分証明や、智明の出生や戸籍、銀行口座や印鑑などの証明書が何を意味するのかがすんなりとは理解できない。


 登記済証明書とは、土地や不動産・分譲マンションや戸建住宅の所持者を証明するもので、俗に言う土地・建物の『権利書』に当たるものだ。

 戸籍全部事項証明書とは、いわゆる戸籍謄本(こせきとうほん)が電算記録された状態のもので、本人と両親や兄弟姉妹や子息の出生や死亡・本籍や現住所や婚姻など、戸籍や続柄(つづきがら)の一覧である。

 個人番号個別統合カードとは、住民基本台帳を基礎とした個人番号カード(通称:マイナンバーカード)制度の後継で、官公庁の管理システム刷新に合わせて改正と改称が二度行われ、PIDカード(通称:ピッドカード)と呼ばれている個人情報の塊だ。

 戸籍全部事項・銀行口座・郵便貯金口座・株式投資口座・運転免許証・国民健康保険及び福祉保険や介護保険の保険証・国民年金・就労履歴・所得や納税の履歴・国家資格や国が承認する民間の資格・在籍した公私の学校の履歴など、様々な情報を統合記録し一枚のカードに集約したものだ。

 また、インターネット上で各種の公的な手続きの簡略化に活用され、個別認証で証明書や免許・資格保有の写しを交付してもらえる制度でもある。


 これらが一つの封筒にまとめてあるということは、ある意味、智明と家族のすべての情報がこの封筒の中に集積されており、社会的・公的な意味で悪用されれば一文無しどころか住む家も失う危険な封筒といえる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ