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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第三章 暗躍する影
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系譜 ③

 びくりっと体を震わせた優里は短く呟いたあと、硬直したまま動かなくなった。


 ――しまった!――


 優里を気遣って言ったつもりの言葉が、優里を遠ざける様な聞こえ方になったと気付いた智明は、すぐに歩み寄って背中側から抱きしめた。


「ごめん。そういう意味じゃないよ」


 謝って真意は別のものであると伝えようとしたが、優里は小さく体を揺らしただけで、智明の言い直しを受け入れたのかどうかは分からなかった。

 だから智明は言い訳がましくても言葉を足さなければと慌てる。


「リリーが不安だったり、寂しかったり、弱気になってたりする理由が、親と離れているからなんだったら『会ってきたらいいんじゃないか』って思っただけなんだ。

 リリーは俺のしたいことを支えてくれるって言ってくれたから、俺もリリーを支えたり役に立ちたいと思ってる。

 いつもの、今まで通りのリリーと一緒に居たい」

「……うん。おーきに」


 優里を包むようにしていた両手に少し強く力を加えると、ようやく優里が応じてくれ、智明はもっと強く抱きしめた。

 なるべく体の密着する面積が多くなるように態勢を変え、鼻先を優里の黒髪に潜り込ませて、耳の後ろと首筋に吸い付く。


「こそばいよ」


 身をよじった優里が俯かせていた頭を上げたが、智明はそのままうなじから顎の方へ唇を這わせ、くすぐったさを堪える笑い声とともに優里の手がそれ以上の侵攻をとどめた。

 束縛している腕を軽く叩かれ、力を緩めると、優里は体の向きを変えて向かい合う形で立ち、目を閉じて智明の脇の下から手を回して待つ。

 優里の左の肩甲骨と首筋にそっと手を回し、二人の距離を近付けて唇を重ねる。

 智明の背中に回された優里の両手は添える程度の力加減。

 少し乾いた唇を濡らしてやるキスをして間を取ると、優里の目が『何か言うことはないか?』と智明を待っていた。


「愛してる」

「うん」


 ようやくいつもの晴れやかな笑顔を咲かせ優里が強く抱きついてキスを返してきた。

 同じ強さで抱き返し、優里の気が済むまでそのままで居た。


 少し前までなら、このまま互いの欲求に従って一つのベッドで体を重ねていただろうが、優里の妊娠の発覚と『ユズリハの会』本格始動の準備に追われ、二人の交わりは控えられている。

 智明は、優里さえ良ければと機会を窺う瞬間もあるが、失言を許されたとはいえ妊娠中の激しい運動は控えるべきとされ、しばらくその機会は巡ってこないだろう。


 恭子との買い物の戦利品を片付けたいからと風呂を勧められ、時間があれば簡単な夜食を作っておくからと距離を開けられれば、智明はそれに従うしかない。


 ――マリッジブルー……。いや、マタニティーブルーってやつかな――


 中学校の保健体育の授業かなにかで聞きかじった言葉を思い出した。

 前者は婚約後に未経験の結婚生活に不安を感じたり姓の変更や環境変化で起こる気鬱で、後者は妊娠中や産後に起こる情緒不安定や赤子と向き合う不安や重責からくる鬱状態のことだと思い出す。


 ――こっちもこっちで責任があるもんな……――


 頭を冷やす意味で水のままのシャワーを脳天に当て、流れ落ちる水流に鼻と口を塞がれる息苦しさから逃れるために、不必要に口を開閉させて呼吸する。


 優里がマタニティーブルーのような不安や情緒の乱れに苛まれているならば、智明が支えなければと思う。しかし智明も淡路島独立を成し遂げねば二百人を超えた『ユズリハの会』を裏切ることになるし、極秘会談を段取りしてくれた自衛官川口や、律儀に伊丹まで赴いてくれた御手洗総理大臣の面子を潰すことになる。


 あるいは想像できうる流れから逸脱し、あっさりと薬物や暗殺によってニュースにもならず葬り去られる恐怖も、ある。


 幸いなことに、一時的に身を隠している分譲マンションは智明の名義になっているし、非常持ち出し用防災バッグに収められていた都市銀行預貯金口座には、非常時を乗り切るには余りある金額が貯め込まれていた。

 工場勤めの父親と専業主婦の母親がどうやってこのような資産を築いたのか、諜報部員として配した山場俊一(やまばしゅんいち)のグループに調査してもらっているが、中島(ちゅうとう)病院の騒動以来、行方をくらませた両親の足取りの情報はない。


「……そっか、俺も人の子ってことだよな」


 当たり前のことだが、この答えに辿り着くには智明はガキだったし、『会いたいと思ったときに親と会えない』という虚無感は意外と自身の主軸や根幹を揺さぶると知る。


 反抗期の類ではない。

 中学校入学あたりからどちらからともなく会話や関わりが減っていったが、それでも母親は家事や用事や小遣いの受け渡しなど変わらずやってくれていたし、父親も飲んだくれて帰宅してクダを巻きつつ寝てしまえば翌朝には仕事へ出かけていた。

 叱られたことや腹を立てたこともあるが、どこかで智明と両親には壁や溝があり、大して褒められた覚えもなければ泣いて感謝するほどの出来事もなかった。


 頭から被っていたシャワーを止め、髪の毛と顔を濡らしていた水滴を雑に拭って呟く。


「けど、居なくなる理由がない」


 シャワーヘッドから滴る雫が間隔を開けて数滴垂れて、リビングへ戻るまでのカウントダウンに聞こえた。

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