系譜 ②
優里の全てを受け止めようと踏ん張り、強く抱きつく力んだ背中を両手で包む。
正直、いつも明るく素直な感情を表している優里が、コンプレックスのようなものを持ち、恭子に憧れを抱いているというのは智明にとって驚きしかない。
優里は十分に明るく振る舞っているし表情も豊かだ。喜怒哀楽もはっきりしているが他人に気を使わせるようなはた迷惑なものではないし、むしろ相手の立場になって最適な声掛けや交流を行っているからこそ、敵視や反感のようなものもたれず、明里新宮にもクイーンとして認められている。
もちろん大人びた容姿やスタイルも強い説得力になっているはずだ。
智明の目から見て、優里と恭子の差など実年齢の違いくらいしか思い付かない。
「リリー……」
愛称を呼んだが、その後どう続けていいか分からず、智明の言葉は止まる。
安易な褒め言葉や慰めの言葉は優里を肯定してはいても、コンプレックスを埋めたり憧れに近付ける根拠にはならないだろう。
智明にはそんな気の利いた台詞は思い付かないし、優里も表面的な優しさで誤魔化されたくはないだろう。
思えば優里がこんなふうに自分のことを口にするのは初めてかもしれない。冗談まじりの雑談や会話が弾んだ時とは違う、優里らしくない口数の多さを感じる。
「なんか、あった?」
「……なんもない。……けど」
智明の左耳の後ろで囁かれた否定は、しかしもう一度反転した。
優里の次の言葉を待つ。が、優里は迷いや躊躇いで尻込みするように抱擁の力を緩め、なかなか言い出せないでいる。
――言えないこともある、よな――
世の中には気遣いや遠慮とはかけ離れた事情や都合で口にしてはならないこと、言ってはいけないことがある。智明は川崎や山場らと関わったことで、自身の発言を注意され、立場に則した態度と発言をするように求められ思い知った。
世間からすれば暴走族や不良グループや、反社会的な無法者のようにそしられることもある淡路連合だが、そこには企業や組織・年齢や経歴・立場と仲間といった縦構造と横の繋がりが強くある。
金銭や利害で結ばれていないこの繋がりは、同僚や仲間や友人という関係よりも濃く、家族や兄弟という密度とも思える。
そのように濃く密な彼らでも、いやそういう近さである彼らだからこそ『言えないこと』もある。
今の智明と優里の関係性は、淡路連合の濃度や密度とは別種だが、距離と繋がりは同じくらい近くて深いと、智明は自負している。
だからこそ『言えないこともある』と割り切れるし、割り切って無理強いせずこの話題を流してしまおうと考える。
「……疲れたろう。お風呂入って早めに寝よう」
「……ん、平気。片付けてからいつも通りにしたい」
艷やかな黒髪で智明の頬をくすぐるように首を振り、決意を固めたように強く抱擁して優里は体を離した。
テーブルに載った商品たちを確かめる表情はいつもの優里のもので、智明はひとまず安心しておく。
つっと伸ばした優里の右手が、テーブルの上のメイク道具に触れた。
「……今日はずっと家の近くにおったのに、家とか親とか、一回も思い出さへんかってん」
ささやくように打ち明けられた優里の心情に、智明はあっとなる。
恭子と三人でブランチをした喫茶店『アリス』は、優里の実家がある西路の目前。川を渡り、坂を下って小路を二本越えれば一区画を立派な土壁と塀瓦に囲まれた邸宅がある。
直線距離にして百メートル。歩いて五分そこそこ。
小学生時代から真を含めた三人セットでスイーツやジュースを楽しみに寄っていた喫茶店だ。代議士の父親と料理研究家の母親の迷惑にならないよう、優里の実家に集まっても邸内で遊ぶことは少なく、近くの神社や『アリス』に移動することが多かった。
そんな近さに赴いていながら、優里が家族に意識が向かなかったというのは、智明には驚きしかない。
「そう、なんだ」
「うん。……やけど、恭子さんと別れて帰って来る途中で、『家の近くにおったのに』って、なんか変な気持ちになってしもて……」
テーブルに両手を付き、俯いてしまった優里の顔には長い髪の毛が垂れ下がってしまい、表情を隠している。
しかしわずかに震える声から、自身を責める後悔や寂しさのようなものが感じ取れた。
この二週間、智明は優里とたくさん会話し、相談やこれからのことを話してきたつもりだ。その中に優里の家庭環境への不満や軋轢、息苦しさが打ち明けられていたし、それらがあったから智明の逃避行に帯同したとも聞いた。
だが二人の関係と取り巻く環境は大きく変化し、これからはもっと大きな変化が予測される。
それこそ智明は今日、現職の総理大臣と極秘に会い、淡路島独立を請うてきた。
数日ないし数ヶ月もすればその返答がもたらされ、要求が通れば智明と優里は淡路島のキングとクイーンと成り、退けられれば自衛隊の統合作戦で本格的な戦火を交えることになるだろうし、貴美や黒尽くめのような刺客が送り込まれる可能性もある。
もっと簡単に巧妙な説得や交渉で理詰めされ、法による罰を受けざる得ない追い込まれ方もある。
外面的なこれらの変化とは別に、優里のお腹の中にはまだ子宮内膜に着床し分割が始まったばかりの新しい命が宿っている。
この新しい命も、受精し胚となって細胞分裂が始まると同時に、力の暴走が起こりかけ、智明が真の体内から抜き出したナノマシンを打ち込むことで抑え込んだが、いつ何かの拍子に再び力を暴走させかねない不安がある。
目的なく、際限なく、制御されない力の放出が危険なことは、智明も優里も体験として持っているため、言葉にはしなくとも無事に出産まで漕ぎ着けるか分からない。
このような状態と環境で、親や家族といった支えがないことも、優里の気持ちを不安定にしているのかもしれない――と智明は気付く。
「リリー。……もしアレなら、一回、家に帰るか?」
「それは……」




