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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第二章 明里新宮
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咆哮 ⑤

   ※


 舞い上がる湯気を押しのけるようにシャワーヘッドが揺れ動き、水流が床面を叩く音をバックに奇麗なソプラノの歌声が響く。

 腰の下まで伸ばされた栗色の髪は背中や胸や顔に張り付くが、シャワーに流されて背中の定位置へと落ち着く。

 一節歌い終わったところで蛇口が閉じられ、シャワーヘッドを壁に掛けてバスルームの扉が開かれる。

 豊かな乳房を揺らしながら体に張り付いた水滴を拭き取り、バスタオルを巻いてヘアブローを始める。

 洗面台の鏡に映る自身の顔をチェックしながら、鈴木沙耶香はまた鼻歌を始める。


 旧洲本市本町にある鈴木沙耶香(すずきさやか)の自宅は賃貸マンションだが、父親が経営する不動産投資会社の所有物件であるため、実質無料で居住している。

 その父も本業は洲本市の市議会議員であり、代々受け継いできた不動産と会社をバックボーンにして市政に出馬し、遷都が成った暁には都議会ないし区議会の席を視野に入れている。

 沙耶香にすれば父親の収入源や志や野望などはどうでも良くて、実家から離れて広いマンションで一人暮らしをし、大好きなバイクを操って仲間たちと走り、愛する男と抱き合って将来を夢見るだけで充分な幸福を感じられる。

この生活を続けられるなら、父親がどんな仕事をしていようとも干渉する気はなく、また父親の邪魔をしない限り干渉されたくもない。


「あ! もうそんな時間?」

 H・B(ハーヴェー)化した脳内に着信を告げるサインが響いたので、鼻歌もブローもやめて電話に出る。

朝風呂が習慣になったのは毎週末に訪れる恋人のためなのだが、今日は遅めに起床したとはいえ、彼との約束の時間には少し早い。

〈もしもし? いつもより早くない?〉

〈そうか? 早く会いたかったから早く着いたのかもな。駐車場のゲート開けてよ〉

〈りょーかい〉

 いつも通りの通話を終えると、沙耶香はバスタオルをドラム式洗濯機に放り込み、飾り気のない黒無地の下着だけを履いて白地のプリントシャツはヒジに引っ掛けただけで洗面室を出た。

 十七歳の少女が住むには明らかに広い室内をノーブラで横切り、インターホンの操作パネルで解錠の操作をする。


 汎用のアプリを使えば玄関の鍵からインターホンの画像チェックや駐車場の開け閉めまでH・Bで済ませてしまえるのだが、遷都の準備が進み人が増えて来ると犯罪もその件数を増やす傾向にあるため、防犯体制の厳しいマンションほどアナログな手動操作が増えている。

 インターホンの小さなモニターに駐車場へと侵入するバイクが映し出されると、沙耶香はTシャツを被って袖を通しながらキッチンへと向かう。

 間もなくエレベーターで上がってくる恋人のために、彼のお気に入りのカルピスを用意するためだ。

 トレイにグラスを二つ並べてロックアイスを三つずつ落とし込み、一方にアイスコーヒーを注ぎもう一方にカルピスの原液を注ぐ。大抵のことは受け止めて流してくれる彼だが、カルピスの濃さには厳しく、薄すぎても濃すぎてもその日は機嫌が悪くなる。

 ミネラルウォーターを注ぎながらマドラーで混ぜていると、インターホンが鳴って玄関が開かれた。


「オッス。今日は本気で早かったみたいだな」

 バイクを駐車してから沙耶香の部屋に来るまでに時計を見たのだろう。本田鉄郎(ほんだてつお)は開口一番にそう言った。

「大丈夫。反対に私が油断してたから、いい薬になったわ」

 キッチンへ入ってきたテツオを笑顔で迎えながら、カルピスを混ぜ終えたマドラーを流しに放り込んで、沙耶香はテツオに寄り添う。

「そこまでキツイ待ち合わせじゃないだろ?」

「二人の時間を減らしたくないのよ」

「気を使わせちゃうな。スマン」

 詫びの言葉をかけながら、テツオは沙耶香の顎に指をかけ、そっと口付ける。

「……また徹夜明け?」

「ああ。チームが大きくなるほどやることが増えてな」

 抱擁を解いてソファーをすすめる沙耶香に従い、テツオは素直にソファーまで移って腰を落ち着ける。

 沙耶香が運んできたカルピスを一口飲み下し、また短くキスをする。

 どうやら今日もカルピスの調合に成功したようだ。

「ウチみたいに小チームを束ねる形にして、リーダーとだけ話せば楽なのに」

 沙耶香が取りまとめる洲本走連は地元の小規模チームの集合体なのに対し、テツオがまとめているWSSウエストサイドストーリーズはテツオと数人の幹部以外は序列のない大所帯だ。

「それも考えたけどな。ウチは俺が言うのもなんだけど、俺のカリスマ性でまとまってるとこがあるからな。班とか下部チームを作ったら簡単に分断されちまう」

「それもそうだったね。私は逆に担ぎ上げられた側だから、何もしなくてもチームは動いてくれるから」

「本当はそれが一番いいんだと思うよ。どこにも無理がない」


 淡路島を四分割している大人数のバイクチームのうち、洲本走連とWSSは似たような成り立ちを経ている。

 鈴木沙耶香はもとは一人でバイクを楽しみ、技術を磨こうとしていただけだったが、夜な夜な山道を駆け抜ける彼女の姿が目撃され、噂が広まるにつれ洲本近辺の小チームから勧誘を受けたり勝負を挑まれるといったことが増えた。

最初は断り取り合うこともしなかった沙耶香だが、熱心な説得に根負けしてツーリングに同道するだけならばと許容したところ、たちどころにあちらもこちらもと参加者が増え、同地域のよしみもあって連合チームという大世帯になってしまった。

 本田鉄郎に至っては、幼い頃に格闘技系の私塾やボーイスカウトなどで顔を合わせていた瀬名たち昔馴染みとバイクを乗り回し始めたところ、すぐに地元のチームから目をつけられ、かわしたりいなしたりと誤魔化していたもののついには勝負へと発展してしまい、負けたほうが傘下に入る条件でテツオたちが勝利した。その一件から毎週のように様々なチームから勝負をふっかけられ、スピード勝負もテクニック勝負も燃費勝負も拳のケンカにも勝利し続け、気付けば南あわじ市一帯にまで縄張りが広がってしまった。

 どちらのチームも人数や縄張りを拡大させる意図もなく巨大になってしまったのだ。


「でもクイーンなんて呼ばれるの、そろそろ恥ずかしいんだけどね」

「サヤカはクイーンでいいんだよ。速いし上手いんだから」

「それこそテッチャンがキングをやってよぅ。速いし上手いし強いんだから」

「……北の連中次第だな」

 ソファーの背もたれに右腕を乗っけながら答えるテツオに、沙耶香は甘えて体を寄り添わせる。

「こんな縄張り争いみたいなこと、早く終わればいいのに」

「……うん」

 テツオの歯切れの悪い返事に、沙耶香は体を起こして真っ直ぐにテツオの表情を伺う。

「何かあるの?」

 だが沙耶香の問いかけには答えずに、テツオはカルピスを口に運んでソファーに座り直す。

「……もう少し後で話そうと思ってたんだけど」

 テツオが持って回った言い方をするのは珍しいので、沙耶香は真面目な話だと推測して姿勢を正す。

「もしかすると意外な形で一気にひっくり返せるかもしれない」

「勢力図の話? それともテッチャンの野望の話?」

 沙耶香の予想を聞いてテツオの顔はニヤリと緩む。

「両方だな。勢力図がひっくり返る時は野望の実現に向けて筋道がついている時だし、野望が計画として動き出すには勢力図が俺一色になってないと意味がない」

「それが一気にひっくり返るの? そんなことってあり得るかな?」

 内緒話の様にテツオに身を寄せ膝に手をかけた沙耶香だが、表情は不安よりも期待を孕んだ楽しそうなものになっている。

「少々のことじゃ世の中とか人の立場ってのは変わらないけどな。世の中そのものがひっくり返ったら、チャンスとかスキが増える気がするんだよな」

「何か兆しを見つけてるってことね」

 テツオの膝に置いた手を滑らせてテツオの右腕を抱くようにし、沙耶香はノーブラの胸を押し付けて抱きつく。

「慌てるなよ。サヤカには全部話てるだろ。でもその前に――」

「朝ごはん? それとも、私?」

「お、おお。もちろん、サヤカからだ」

 明らかに抑えきれなかった欲求を開放するように沙耶香はテツオに抱きつき、何度も何度もキスを繰り返す。

 沙耶香の勢いに押されながらも、テツオは慌てたり怒ったりせずに沙耶香の思い通りに受け止め合わせていく。

「……ん。…………ああ」

 頃合いを見て沙耶香をソファーに横たえると、沙耶香は目を閉じ唇を緩く開いて可愛らしい吐息をこぼす。


 テツオが沙耶香と出会って二年と少しだが、沙耶香からセックスを求めるようになっても、行為が始まってからの沙耶香の初々しさや少女らしい恥じらいは変わらない。

 そんな沙耶香だからこそテツオは野望の筋道を組み換え、沙耶香ありきの計画を進めていくことにした。

 ――サヤカはもう手駒や踏み台じゃない。俺がキングになるための本物のクイーンだからな――

 テツオの荒々しい刺激に呼応して喘ぐ沙耶香を見下ろしながら、野望とは違う感情が大きくなっていくことを感じつつ、沙耶香が満足するまで何度も抱いた。

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