オン・ザ・ロック ⑤
黒田はただぼんやりとその様を見届け、浜田の哄笑が収まるのを待つ。
この店で合流した時点でさほど酒の回った様子もなかったので笑い上戸ではないだろうし、浜田が何にツボったのかがわからない。
と、入口側に座っていたサラリーマン風の男性が席を立ち、バーテンと精算のやり取りをして店から出て行った。
「おい。笑いすぎやろ」
「ああ、すまない。酒のせいだ。気にしないでくれ」
黒田が嗜めると浜田はあっさりと詫び、バーテンにも片手を挙げて謝った。
カウンターを片付けていた壮年のバーテンは一つ頷き返しただけで、浜田の態度を気にした様子はない。それでも浜田の笑い声が客の退席を招いたと感じた黒田が、軽く頭を下げて詫びると、バーテンはわずかに口角を上げて二人の前に立った。
「おつぎしましょうか?」
「ああ頼む」
黒田の目線を注文と捉えたのかバーテンがお代わりを薦め、浜田は即座に応じた。黒田も「じゃあ、俺も」と答え、残っていた琥珀の液体を飲みきってバーテンにグラスを差し出した。
「……ロックはな、氷を溶かしながら、継ぎ足して味の変化を楽しむものだ。貧乏くさく飲み干すものじゃぁない」
「そうなんか? 飲み慣れんもんでな」
喉を焼くようだった一口目のキツさは薄れてきたが、黒田は吐く息の熱にやはりアルコールの強い酒なのだなと再意識し、飲みすぎないように心掛ける。
「真面目な男だな。たまには遊ぶことも必要だぞ」
「ほっとけ」
新たに注がれたハーパーに口を付ける浜田に倣い、黒田も毒づいてグラスを口へと運ぶ。
唇に触れた氷塊の冷たさがピリリと刺激したが、舌の上に流れ込んだアルコールがややマイルドに感じた。なるほど、味の変化を楽しむとはこういうことか、と隣席の浜田を見やる。
「で? なんかあんねやろ?」
グラスを置き、背中を丸めた俯き加減の浜田に問い詰めると、浜田はむすっとした顔で黒田の方を向きまたグラスに視線を落とした。
「……憂さ晴らしのバイトに飽きただけだ」
「へぇ……、バイト、ね」
意外にもあっさりと本題に触れたことに驚きながら、黒田は取り上げたチーズを口に入れ、発酵乳の匂いと舌にまとわりつく食感に手間取るふりをして間を取る。
一般公務員を含め地方公務員も、原則アルバイトは禁じられている。しかし家庭の事情や個別の事案により、許可を得て兼業や副業で生計を立てている者は居はする。
ただ、浜田のような準キャリア落第組の警察官がいうところの『アルバイト』というものは、一般公務員や会社員が掛け持ちする業種を想像させない。
黒田は、仮設署の後輩増井から浜田の行動に不審な点があることを聞いており、今日はその真偽を問うつもりでここに来た。
「儲からんかったんか?」
「分かるだろう? 使われるか、捨てられるかだ。金が欲しくて危ない橋を渡るものか」
「飽きたから、親戚に頼るんやろ。話ちごてくるやないか」
「バイトをやりながら刑事を続けるより、食っていけるなら親戚の縁故で閑職をやるほうが気楽ということさ」
そんなものかね、と黒田はカウンターに両肘をつき、出世コースを外れたからとお役所の事務に移ろうという浜田の心情を想像してみた。
確かに、体裁や外聞を気にするあまり向上心なく現状にしがみつく姿を『恥』と考えるならば、警察組織から離れることは精神的な負担も軽くはなるだろう。浜田のように自尊心や周囲の目を気にする男ならば、他者から腫れ物のように気遣われることすら我慢ならないのかもしれない。
「バイト、ねぇ……」
「そこは追求するな。一線は超えていない」
「当たり前や。俺に何をさせるつもりやねん」
何気なく発した言葉に浜田が過剰に反応したので、黒田が予想した疑惑はより大きくなった。が、自他ともに認める正義感の塊である黒田にも、同僚に手錠をかけ嫌疑を問い質すのは気が引ける。
『一線は超えていない』という弁解を信じたい気持ちも、ある。
そんな一瞬の葛藤を見抜いたかのように、浜田が鼻で笑う。
「ふん。まだそこまで落ちぶれちゃぁいない」
「そう願いたいな。……しかし、俺がもしお前にアルバイトを頼むとしたら、どうや?」
ここまで深い話になるならばと切り出すと、浜田はグラスを口に付けたまま硬直し、驚きとも軽蔑ともつかない視線を向けて寄越した。
黒田の提示した『アルバイト』がどのような種類のものであるかを問うているようにも見えたが、黒田はあえて無視してハーパーを一口あおる。
隣りからいやに大きな嚥下する音がした。
「……信用して言っているのか? それとも、私をハメるつもりか?」
ずいぶん間が開いてから浜田が聞き返し、嫌悪や侮辱ではない険しい表情を近付けてきた。
この反応をするということは、黒田の誘いがよほど意外で不審がっているということか。
つまり信用されていない。
黒田の性格を把握していれば、『ハメる』などという卑怯な企みがあるなど想像しないだろう。悪人にこそ逃げ場のない論法や誘導尋問を使うことはあるが、一蓮托生とも言える情報源をハメるようなバカはするはずがない。
「俺を何やと思とんねや。身内は売らん。雇うからには守る。当たり前や」
「……そうか」




