田尻と紀夫 ④
「じゃあ、その、お前の言う『デカい事』って、何だよ?」
予想はついた。けれど、紀夫がどう捉えて取り組んでいこうとしているかは確かめたかった。
田尻と同じものならば相談したいこともあるし、田尻とは別のことを重要視しているならばその理由を知っておきたい。
これまで一緒に走ってきた紀夫が、必ずしも田尻と同じことを考え、田尻と同じ苦悩を感じているとは限らない。恋愛観や人生観や生き方や考え方は自他で異なる。
今しがた女性関係に関して捉え方の違いを示されたばかりだ。
紀夫は言葉を探すように少し唸ってから答える。
「……とりあえず、トモアキの下に付くってことは、命かかった大事だからなぁ。テキトーとかハンパじゃ、ヤベーよなって思ってる」
「……そうだよな。そこ、考えないとだよな」
応えながら田尻は身震いし、指に挟んでいたタバコから灰が落ちて、一瞬だけ橙の灯りが二人の間で映えた。
ほんの二日前。田尻と紀夫は真とともに智明と戦った。
WSSと洲本走連のHD化混成部隊は新皇居に正面から迫り、智明が占拠する新皇居からはHD化した淡路暴走団と空留橘頭の私兵が迎え出た。
テツオとトモアキの口上が交わされ、開戦の合図とともに新皇居敷地内で二百人強が入り乱れる乱戦となったが、田尻と紀夫は智明打倒を貫く真のサポートに付き、エアジャイロで空中を漂いながらエアバレットの空気砲で援護を行った。
情けない話だが、田尻と紀夫の飛行技術は真に及んでおらず、ダム湖の上空で空中戦を繰り広げる真と智明に割り込むことは出来なかった。
幸い、真にはテツオが用意していたフロンガスと液体窒素が授けられており善戦していたが、智明はそれらが小細工でしかないと嘲笑うように大日川ダムの広大なダム湖を爆発させ、戦況を一変させた。
液体窒素を浴びて身体機能が落ちた真を庇うように飛びついた田尻と、膨れ上がる爆炎に飲まれかけた二人を救出してくれた紀夫は、この数秒の行動が三人の生命を繋いだことに後になって恐怖した。
焼けただれた真の身体と煤けた田尻の防具。高熱で変形してしまったエアジャイロなど、自分たちの身に降り掛かった炎熱は強大な殺意と破壊だった。
真の証言では、智明は雨粒から水素爆弾と同じ反応の爆発を起こしたと聞いていたが、田尻らが巻き込まれたそれは水爆よりも弱められたものであろうと想像する。
でなければ三人とも灰も残らず消滅していただろう。
この恐怖と絶望を、仲間たちはまだ知らない。
紀夫が真面目な声で続ける。
「もしかしたら、テツオさんもそこまで腹くくってないかも」
意外な言葉に「マジで?」と返してしまったが、『そうかもしれない』と納得もした。
WSSは外面こそ真っ当なツーリングを楽しむバイクチームだが、いつの頃からか他チームとの縄張り争いや対立関係から殴り合いや公道レースで吸収合併を繰り返し、旧南あわじ市全域の十代~二十代の若者に畏怖を感じさせる集団となっていた。
田尻と紀夫はまだ加入して一年そこそこと歴が浅く、抗争やレースで最も荒れていた時期を知らないが、学校や部活とは異質な縦社会は加入直後に厳しく仕込まれた。
バイクのテクニックやカスタムやメンテナンスだけでなく、一対一の格闘術や集団と集団の乱戦や、警察専用ネットに潜入し取り締まりや包囲から逃げる手段と散開して再集結する暗号など、アウトローな世界はスリルがあって刺激的だった。
そのチームのリーダーであり、喧嘩でもバイクテクニックでもレースでも飛び抜けて秀でているのが本田鉄郎で、キングを自称する『生ける伝説』だった。
テツオは、今回の衝突について智明の私兵となった淡路暴走団と空留橘頭のHD化を予測しており、自衛隊の先行部隊を務めることで双方に大きな被害が出ることを想定していた。
少なくとも一人一挺の小銃ないし拳銃が配られていたからだ。
実際には衝突に銃火器は用いられず、これまでの抗争と同じように拳や体術や慣れ親しんだ小道具で戦い、智明と真の決着がチームとしての勝敗になり、WSSと洲本走連は智明の傘下に加わることとなった。
この顛末を、『テツオが命のやり取りから逃げた』と捉えられなくはない。
事実、田尻と紀夫と真ほどの大怪我をしたメンバーは居なかった。
「テツオさんなら、これも計画とか計算のうちで、俺らの想像もしてないものを見てるかもしれねー」
「川崎と山場の下なのに?」
紀夫の仮定はあり得ることと思いはするが、残念ながらテツオの名前は幹部に入れられていてもその席順は智明・川崎・山場の次で、山場の代行である奥野や川崎の右腕である中村などと智明の幼馴染みであるクイーンが幹部会を作っており、その下ということになる。
これはテツオに野心や腹づもりがあったとしても、何かしらの権力や地位を得るのは困難だと思える。
また紀夫が態勢を変えたのか、衣擦れの音と砂を掘るような音がして、星明かりの暗がりで人影が動いた。
相変わらず松ヤニの鼻につく匂いが漂っている。
「テツオさんや瀬名さんが何を目指してるかなんて、俺らじゃ分かんねーよ」
投げやりな言い方で話を打ち切るように言い放ち、紀夫はポケットをまさぐって次のタバコを咥えたようだが、どうやら松ヤニの刺激臭に気付いてシャツの汚れに意識が向いたようだ。
タバコを咥えたまま「サイアク」と呟き、重ね着していた半袖ボタンシャツを脱ぐ音がする。
田尻はこの時期のマツにもたれかかっていた紀夫の間抜けさに呆れながら、紀夫の示した危惧からもう少し踏み込んだ不満を言っておくことにした。
「他の連中が危ねーことしてるって、気付いてるかどうかなんだよな」




