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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第三章 暗躍する影
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黒い手 ④

 脱衣所に入ったクロはパーカーを脱ぎ、続いて膝丈のハーフパンツとタンクトップを脱いでドラム式洗濯機に放り込む。

 ネックレスやブレスレットやピアスや指輪を外し、洗濯機の上に設えてあるフェルト張りの箱に丁寧に置いた。

 それから胸を押さえつけていたサラシ代わりのファスナー付きシャツを脱ぎ、男物のボクサーパンツも脱ぎ去って洗濯機へ放り込み、浴室へ。

 シャワーヘッドを一番高いフックにかけ、水のまま全身に浴びる。


 クロの銀髪赤目は生まれつきのアルピノだ。

 早産で体重が一キロに満たない未熟児で、長い期間を保育機の中で育てられ、その頃から髪の色も目の色も、肌の色さえも色素が薄く、呼吸や拍動こそ正常だったが泣き声は聞く者の鼓膜を不必要に刺激した。

 保育機が必要なくなるまで成長したクロは無事に両親と暮らし始められたのだが、成長するにつれてクロに様々な困難が襲いかかった。

 銀髪赤目、シルクのように艷やかで滑らかな白い肌は、幼稚園や小学校のみならず、近所の人々や通りすがりの見知らぬ人や遠縁の親類から奇異の目で見られた。

 また敏感だったクロは幼いうちから他人の言葉の意味が色となって見え、上辺の色とその裏にある禍々しさを聞き取れてしまっていた。

 その反動はクロの声や視線に表れ、感情的な言葉を発すると物が壊れたり大きな破裂音が鳴ったり、見た先に火が起こったり電気が流れるといったおかしなことが続いた。

 こうなってしまうとクロ自身が誰とも会いたくないと思うようになり、また両親もクロを家から出すことを無理強いしなくなり、その雰囲気をクロも感じ取って、部屋に籠もって何も考えないようになった。

 両親も、三度三食の食事を運び着替えを持って入り洗濯物を引き取るだけしか、接点を持たなくなった。


[やっと見つけたよ]


 ある日、クロの部屋を訪れたのは、クロとは正反対の闇色の髪と褐色の肌の人物。

 開口一番にクロを探していたような文言を告げたが、その人物の両目は瞑られてい、クロを『見つけた』というには些かの不自然さがあった。

 年齢は父よりも上であろう。しかし背格好は男性的だったが、クロには男装した女性にも見えた。


[君はワタシと同じだね]

[ボクと、同じ?]


 答えてから傍らの両親の戸惑いが目に入った。

 父よりもがっしりした体格でありながらどこか女性的な服装の人物と、クロとを不安そうに見比べていた。

[パパ? ママ?]

 問うてみてようやくクロは気付いた。


[ワタシと君にしか聞こえない言葉で話しているよ。君が良ければ、ワタシと暮らさない? ワタシは、少しだけかもしれないけれど、君の苦労を和らげてあげられるかもしれない]


 その瞬間、クロは全てを悟った。

 クロの見ているもの、聞こえているもの、声として発しているもの、身振りや思考が普通の世の中では異質なものであるということに。

 時間や空間、物質や物理法則、重力や温度や光すら、クロは常人とは異なる感じ方をしているのだ、と。


 クロは迷わず家を出ることを決めた。


「……ニュー姉さん」


 作り物のようなつるりとした白い肌と金属質な銀髪を濡らすシャワーの中で呟いた。

 男性でありながら男装した女性的な人物は、自分のことを『ニュー』と名乗り、クロには『お姉さん』と呼ばせた。

 そして『クロ』と名付けてくれた。


 ニューは身長が百八十センチ近くと大柄で筋肉質な男性の肉体だったが、話し方や振る舞いや趣向は女性的で、東北の山奥で一緒に暮らし始めた頃は同じベッドで眠っていたが、はだけることは避けまたクロがはだけた場合は直視を避けていた。

 しかしクロが初潮を迎えると、互いの性別と関係性について打ち明ける場が持たれた。

 ニューは自身をエクスジェンダーであると明かし、中性または男女両性の間で揺らぎ、男性の肉体でありながら女性的に振る舞う方がしっくりくると説いた。

 クロは女性の肉体であったが、幼いうちに閉じこもってしまったために男女という概念が理解できなかった。初潮を迎えたことでニューから女性の肉体と生理について教えられ、妊娠や生殖や男女というものを学んだが、クロは自身を『女』とは思えなかった。

 その理由は至極単純で、ニューの男性的な姿に憧れを持ち、我が子を包むような母性にも感じ入るものがあったからだ。


 それからの数年、クロもニューも苦悶の日々が続いた。


 ニューは時折り外出し、数日から数週間戻らない期間があり、クロは一人ぼっちで過ごすことが増えた。

 ニューは戻ってくるといつも疲れた表情ながらも、クロを一人にしたことを詫びながら、『仕事だから』と言い訳をした。

 しかしこの頃からクロはニューの仕事が何であるかを察していて、実際には洗い清められているはずのニューの体に、誰のものとも知れない血潮や怨念や怨嗟が増えていくことを案じた。


 そんな生活がまた何年か過ぎた頃、ニューがシャワーを浴びているところへ飛び込み、クロは生まれたままの姿を晒しニューの本当の姿を見た。

 闇色の長髪は天を向いて逆立つ針山で、褐色の肌は化粧で誤魔化された見せかけで荒焼きの壺のように乾いていて、閉じられた瞼の奥にはクロと同じ暗く光る赤い眼があった。


[我慢できなかったの?]


 血と傷に塗れたニューは優しく問いかけ、クロは素直に頷いた。

 限界だった。

 家族と離れ、友人もなく、信頼できる存在はニューしかおらず、クロの女性の肉体と所在不明の性的欲求はニューにしかぶつけられなかった。

 またそれはニューからも漏れ出ていて、ニューがクロを包む波長は養子や里子への家族愛ではなく、一人の人間に対する性的衝動を多く含んだ愛情で、互いの恋心を言葉にするまでもなく肌と肌を合わせるだけで同調できた。

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