料亭『四つ葉』 ④
面を上げた貴美はしっかりと氏松と目を合わせ、正座した膝の前に両手をついて再度深く一礼した。
「僭越ながら、申し上げさせていただきます」
再び直った貴美に氏松が首肯し、一呼吸おいてから口を開く。
「本件の中心人物の名は、高橋智明。そして彼の幼馴染みの鬼頭優里。彼らが超常の能力に目覚め、新造皇居を占拠し機動隊を退けたことはご存知の通りで、その後はニュースにもなっておりますように、自衛隊との衝突を経て、未だ占拠を続けている次第。
二度に及んだ衝突を退けた今、彼らの元には百を超える私兵が集い、淡路島独立を進めようとしております」
真のこととHDのことを省いて簡潔に述べたが、優里の名前は省くわけにはいかなかった。
まだニュースや記事になっていないうちから智明を危険視していた氏松の情報収集力ならば、すでに鬼頭優里の関与も把握しているだろうし、智明と優里の関係も調べ上げてもいよう。貴美の役目として、語るべきを語らずに意図的に隠すことは適わない。
真とHDは依頼の外のことという都合はつくが、どうしても優里のことは明かさねばならない。
「自衛隊は二度、動いたんだね」
「はい」
短い確認に、貴美も返事だけで応じた。
依然、控えたままの貴美をそのままにして、氏松は袂から右手を抜いて顎に触れ、黙考する。
その間、公章は背筋こそしゃんと伸びた正座で控えているが、頬を伝う汗が緊張を教える。
約三十秒。沈黙していた座敷を氏松が埋める。
「……超能力とはどういったものだったんだい」
自衛隊の話題から大きく逸れた質問に、貴美は安堵するよりも緊張感が高まった。氏松が質問を重ねるうちは答えなければならない。
「……瞬間移動や念力、電撃や爆発など、大変なものです。使い方次第では大きな危険を想像させます」
「どの程度だね」
「野心に突き動かされれば、日本はおろか、世界を焼き尽くせるやも、と」
ことさらに事態を深刻に伝えるつもりはなかったが、貴美はやや大袈裟に表現した。
しかし智明の潜在能力を過小評価してしまい、安易な武力鎮圧を繰り返させるわけにはいかず、慎重な対応を選択してもらうためにはこの程度の装飾は必要だろう。
事実、智明は真に能力をひけらかした際、念動力で水素爆弾相当の爆発を起こしてみせたと聞いている。その原資は手を濡らしていた雨粒だというのだから、やりよう次第では世界を破滅させることは簡単なはずだ。
――そのような男ではないはずだ――
自分の述べた最悪の想像に震え、打ち消すように智明への信任を強く抱いて堪える。
貴美に打ち明けてくれた智明と優里の目指すものは、少なくとも破壊や破滅を望む言葉ではなかったはずで、信じるに足る面持ちで語られたのだから、そのままを氏松に届けるしかない。
氏松は、むぅと唸って渋面になり、顎に当てていた指先を鼻の下まで押し上げた。
「それほどとはね」
声の調子も語尾も相変わらず軽いものだったが、氏松が貴美の言葉をどのように受け取ったかはその顔を見れば分かる。
貴美は同席していないが、きっと智明と相対した自衛官や政府関係者は氏松と同じように唸って渋面を浮かべたに違いない。
時として異能の者が表舞台に顔を出し派手なパフォーマンスで目を引いてしまうと、権力者や為政者はそれらをどのように扱うべきか判断を迫られるらしい。特に、大きな破壊力や人心を掴み大勢となり政治や経済を脅かすような潮流を生むやもしれぬ能力者は、生かすにも殺すにも容易くなく、取り扱いが難しい。これは伯父法章が遇した危難を幼い貴美は目にしており、公章が依頼者と一派の仲間らとの板挟みになっているのも見てきたから分かることだ。
皆がみな、大人しく使われる側になるわけではない。
「しかし、話せる相手と見た」
「そう思われますか?」
方針を示した氏松に間を開けず聞き返してしまった。
この短いやり取りで氏松が対話や協調を示すに至った思考が読めなかったからだ。
問うた貴美に、氏松は微笑みながら応じた。
「彼らが野心ある危険分子なら、機動隊や自衛隊をもっと徹底的に殲滅したろう。それこそ死体の山を作るほどにね。しかし、彼らはそうはしなかった」
氏松は口元を覆っていた手を下ろして卓上の湯呑みに伸ばす。
「革命家や反政府活動というものは、大きな声を出したがるもんでね、プロパガンダや犯行声明のようなものを発して注目してもらおうとする。
それが聞こえてこないということは、とっくにどっかで話が進んでる怖さもあるけど、世界征服や人類滅亡を目指していないことは明らかだ。
機動隊も自衛隊も、被害や損害や犠牲者は極端に少ないと聞いているしねぇ。
言っちゃ悪いが、まだ新都に引っ籠もってチマチマやるのは効率が悪い。破壊力を持ってるならドカンとやっちまえばいいんだからね。
僕にそんな力が宿ったら、一日で日本をひっくり返してしまってるよ」
どこか自嘲気味に話していた氏松が、憎々しげな顔で野望を口にしてしまったことを気にしたのか、『それは冗談だけどね』と言わんばかりに鼻で笑ってから茶を啜った。
一口、飲み下し、短い息を吐いて続ける。
「――何より貴美さんから、今日にも明日にもという危機感が見えない。これは僕にとってとても信用できる安心だよ」
「恐れ入ります」
なにもかもを見透かされたような気がして、貴美は心からの敬意と謝意を表すために深く頭を垂れた。




