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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第三章 暗躍する影
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料亭『四つ葉』 ①

 七月十二日に諭鶴羽山を()った藤島貴美(ふじしまきみ)公章(こうしょう)は、諭鶴羽神社の禰宜(ねぎ)に明石まで車で送ってもらい、在来線で新神戸へ。

 新神戸からは新幹線に乗り換えて、品川駅まで走った。


 二〇三〇年以降に実現したリニア中央線は、東京―名古屋―大阪の一路線だけが開業しており、東北・上越・北陸・山陽・四国・九州は延伸が待望されつつも、折り合いのついた路線こそ土地買収や工事着工が進んでいるが、敷設計画は歓迎されても実現に向けてはほとんどが頓挫している状況だ。

 その理由のほとんどは『どこを通すか』が焦点で、通す限りは経済効果や観光需要などの継続的な利益が見込まれなければならず、用地買収も住民や所有者の理解と納得がなければ進みようがない。

 そこに無理を通したのが、大阪―和歌山―淡路新都―四国―岡山を通るリニア新都線計画である。

 かねてより四国新幹線と紀淡海峡連結の計画は別個にあり、地方開発促進派と経済的損失懸念派とが戦っていた両案を淡路島遷都と掛け合わせることで強行したものだ。

 つまり、リニア新都線開業を割り込ませて優先したためその他の敷設案は後回しになったともいえる。だが、優先されたはずのリニア新都線でさえ決議されてから三十余年を経て大阪―和歌山―新都―徳島までの部分的開通で体裁を保ったものであり、徳島―香川―岡山の区間はこれから手がつけられるのだ。

 大阪―神戸―岡山が繋がらなければ、山陽から九州へ伸びていくことはないし、広島・山口・大分と連結できなければ愛媛・高知はさらに後回しになる。

 同じことが甲信越と東北にも懸念されていて、副首都として東京が存在感を保持できなければ、関東以北の開発や活性化が遅れることは間違いない。


 リニアモーターカーが日本中を駆け巡るまでまだまだ新幹線は必要とされており、大阪から東京へ向かう東海道新幹線みらいは、リニア線より乗車時間が長いがそのぶん安価で海や富士山が見られるとあって人気があるし、廃止されたこだまよりも時間をかけず各駅に停車する88(はちはち)系のぞみもゆったり景色を楽しめると需要がある。

 貴美らが乗車したものも88系のぞみで、もちろん景色を楽しむために各駅停車にしたのではなく、乗車賃を安く済ませるためだ。

 公章曰く、先方は交通費や宿泊費の面倒をみると申し出てくれたそうだが、だからといって高額な運賃を選ぶような心根はなく、むしろそうした俗世の欲を捨てた修験者(しゅげんしゃ)であるから施しに甘んじはしても過分なもてなしは断るべきと考えてのことだ。


 しかし品川駅に到着した貴美らを出迎えた使いの者は、二人の身なりを見て困った顔をし、ずり下がった眼鏡を持ち上げ一本電話をかけて最寄りの百貨店へと(いざな)った。

 連れられるまま紳士服フロアと婦人服フロアを数店ハシゴし、百貨店を出る時には丈の合った新しい洋服と、堅い席で着るための正装が入った紙袋を手にしていた。

 もちろんここでも公章は信奉する一派の戒めに則り、高額で派手な衣類の授受を断ったが、使いの者は『主人の命令』『相応の席には相応の身なりを』とこちらも譲らなかった。

 使いの「仕事を果たしていないと、私が主人から怒られてしまいます」が決め手となり、公章も「なるべく地味で安価なものを」と渋々折れた。


 一悶着あって一夜の宿へと連れられたのだが、東京・赤坂の中心にあって広い敷地と手入れされたアプローチを目にしただけで高級と分かる一流ホテルだった。

 使いの者は百貨店での一幕を繰り返すことを嫌ったのか、説明を後回しにして二人をロビーのソファーに座らせ、颯爽とフロントに歩いていってチェックインを済ませてしまった。

 エレベーターで高層階まで上り、控えめだが手の込んだ装飾の廊下を歩いて居室へ。

 ツインベッドの部屋だが、作り付けの家具や調度品や家電の端々に値が張るであろう高級感が見て取れた。まだ日は落ちていないが大都市東京をかなりの高さから眺められる。

 ざっと部屋を案内した使いの者は、「明日の夕刻にお迎えに上がります」と告げ、すぐに引き下がった。

 どうやら公章の申し出が採用されたのか、先方が気を利かせたのか、食べられる食材が限られている修験者のために食事付きの部屋ではないらしい。

 貴美も食事や睡眠を断つ修行の日々に身を置くため、一派の長である公章の意に従い、この夜も食事を断ってベッドの上で禅を組み瞑想して翌日を迎えた。


 明けて十三日。


 夕刻よりやや早い午後四時に昨日の使いの者が部屋を訪れ、依頼主との面談場所へ向かうので、昨日買い与えられた正装に着替えるよう指示した。

 使いの者曰く、「装いを合わせるのは利用する店への礼儀なのです」ともっともらしいことをあえて言ったが、貴美も公章も依頼主の腹の中を疑ったり勘繰ったりしたことはないのだから使いの者の配慮なのだろうと受け取った。

 何かの食事会を装わなければならないほど、依頼主と一派の関係は密やかなものだからだ。

 これは依頼主が雑多な貸ビルや倉庫などといった不自然な場所に立ち寄れない立場だからで、そのことも承知しているから、貴美らもこうして東京まで足を運んだ。

 ただ、召し変える衣装に金を使わせてしまったことは、人として恥じ入るものであり、俗世から距離を置いていても割り切ってはならないことと思ってしまう。


 公章が紺のスラックスに白の半袖ボタンシャツにノーネクタイに着替え茶皮の革靴を履いたころ、貴美は白のワンピースに淡い水色のベストを重ね同じ色のリボンが付いたシューズを履いた。

 膝上まである白のソックスは初めてで違和感があるが、「素足では困ります」という使いの者の指示では仕方がない。最後に髪を一つに束ねて貴美の正装も整った。

「では参りましょう」と使いの者が先に立ち、エレベーターでロビーに降りると、そのまま出口へと向かう。

 ホテルのチェックアウトや宿泊代が気になるのか、公章が落ち着かない身じろぎをしたが、使いの者が待たせていた車へ誘導する以外を口にしなかったので、促されるまま乗車し後部座席に腰を落ち着けた。

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