三叉路 ⑤
何もかもが最悪――ないし最低――の状況へと結び付けてしまい、川口は先回りをしようとする思考を止めることにした。
ため息をついてうなだれ、いらぬ詮索を意識の端っこに片付けていく。
「……アワジへ戻ろう。あと二日間は政府の避難指示下の緊張を保たねばならん。君も私も、御手洗総理も、な」
「そう、ですね」
川口の複雑な心境が言葉や表情に出てしまったからか、智明も歯切れの悪い返事を寄越した。
それでも川口の執務室まで戻って瞬間移動することは察しているのか、立ち上がってパイプ椅子を会議机の下にしまった。
――もう、私が気をもむ事じゃない――
会議室を出た川口は、ひどくぞんざいに、責任を投げ捨てた言葉を心の中で呟いた。
『ユズリハの会』と日本政府の対面を為してしまえば、もう自衛隊の一司令官の裁量を挟める事態を過ぎ、防衛出動をものともしなかった政治犯と政府の論戦や交渉へと舞台は移ったのだ。
無論、此度の防衛出動は陸上自衛隊の一連隊だけのものであるから、陸・海・空の統合編成ではないと言われるだろうが、結果は変わらなかったろうと川口は思う。
むしろ二度の出動で両陣営に死者が出なかったことは幸いであるとさえ。
高橋智明を一定量評価して政府に取り次いだのも、無惨な死や不必要な殺傷を避ける精神性を尊重したからだ。
統合編成を組み、失う命の数を厭わない徹底抗戦を行えば、『ユズリハの会』を追い詰めることは出来たろう。長距離誘導弾と航空爆撃と海上狙撃で新造皇居もろとも破壊すれば、あるいは別の結末となったかもしれない。
しかし『そうはならない』と川口は断じる。
――無駄死にや死体の山を作ることが自衛ではない――
この信念は指揮する者が持つべき両極の覚悟の片方で、もう一方では己の命をも投げ出す覚悟であり、こちらに取り憑かれてしまえばいくらでも死傷者を増やすことはできる。が、それは結果としてそうなることは仕方なくとも、不必要に人命を散らせる命令は愚かであろう。
ましてその死に意味や理由を添えてやれないのであれば、何百・何千の自衛隊員たちに指差す先に進めとは言えない。
生き延びてこその自国防衛ではないか。
高橋智明、本田鉄郎、川崎実らを見てより一層『生死』というものを深く考えるようになった。
――超能力とHD。良く言えば新世代の新しい力。悪く言えば世界を狂わせる禍々しい力……――
科学の生み出したものと生まれ持ったであろう神秘が、既存の組織や兵器を凌駕し、一つの意思表示を行ったのが今日という日だ。
川口は、もうこの顛末を眺めることしかできない。
「――川口さん、あれは?」
いつの間にか考えにふけっていた川口を現実に引き戻したのは、背中側からかけられた智明の質問だった。
駐屯地正門すぐの庁舎から中部方面隊庁舎へ入る手前。敷地内通路の横断歩道上から南東方向を見やると、タクシーへ歩み寄る複数人の背広集団に駆け寄る男女の姿があった。
「総理が帰られるところだが……」
変装と着替えを済ませた御手洗と秘書、そして彼らを警護するSPと警務隊の姿は、つい十分程前まで同室にいたのですぐに見当がついた。
だがそこへ駆け寄ったスーツの男と女は幾分様子が違う。
総理の関係者ならば駆け寄る必要はないだろう。
暴漢の類であれば警護の動きがあるはずだ。
そもそも極秘で行われた今日の会議を暴漢が嗅ぎつけられようはずはない。会議場所こそ伊丹駐屯地と決まっていたが、開始時刻が決定したのは午後三時を過ぎてからだ。
と、女が手提げから何かを取り出し総理に差し向けた。
――あれは!?――
距離があって正確には分からないが、掌に収まる程度の小物。
しかし川口が感じ取った危険信号ほどに警護の六名は総理を護る動きを見せない。
今度は男が手荷物を取り出し、両手で顔の前に構えた。
その二人の動作で川口はピンと来た。
「テイクアウトの記者だ!」
言いざまに智明の右袖を掴んで中部方面隊庁舎へ駆け込む。
智明もたたらを踏みつつなんとか歩調を合わせ、川口について庁舎へ入り、真偽を確かめるように正門の方を覗き込んだ。
「……ああ、タカタ……マアヤさんだっけ」
「顔を出すな。総理の迷惑になる」
呑気に女性記者の名前を思い出している智明を叱責し、川口はもう一度智明の袖を引いて歩き出す。
これは重大な見落としだ。
二日前の『ユズリハの会』との会議の場に、黒田という刑事と高田という記者を同席させ、高橋智明を御手洗総理と引き合わせる約束をしたのだから、彼らがその対面のタイミングを押さえようとするのは予想できたはずだ。
『テイクアウト』は一週間前の迫撃砲発射を記事にした雑誌社だ。であるなら今日の会議も何らかの手段やルートで嗅ぎつけ、姿を現す可能性はあった。
御手洗総理の変装や時間をギリギリまで決めなかった事前策に対し、川口がしたことは警務隊を呼び会議室を用意しただけ。
これで『テイクアウト』の記者らに『伊丹駐屯地で高橋智明と御手洗総理が対面した』という確証を与えることは事態を混乱させるだけになる。
――それは避けなければならん――
これ以上、川口の失策で御手洗総理に負担をかけるわけにはいかないのだ。
「……そうか、そうですよね。そこまで考えられなかったです。すいません」
どこまでを理解して謝っているのか分からなかったが、背中からかかった智明の謝罪に足を止め、川口は応じる。
「君が謝ることではない。仕方のないこともある。雑誌記者が来るなんて誰も予想してなかったろう」
智明に気休め程度の慰めを差し向け、「戻ろう」と声をかけて歩を進める。
智明には見せないが、川口の口元は後悔と謝罪の念で強く引き結ばれていた。
――この罪償いはいつかする――
その思いが御手洗への謝罪となろう。
しかし、自衛隊退官が決まっている川口には、何がどうなれば償いに相応しいか、今は見えていない。




