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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第二章 明里新宮
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咆哮 ②

 カーステレオから流れる一九八〇年代のロックンロールは、黒田の年齢からすれば百年以上前のクラシックともいえる代物だ。

 だからといって黒田が最新のミュージックシーンに明るいわけではないし、特定のアーティストを崇拝しているわけでもない。

 むしろ古臭いと敬遠しがちな過去の楽曲も、ドーム球場を満杯にする流行の楽曲も、体の芯から共鳴する楽曲には新旧を問わず受け入れるたちだ。

 スピーカーから鼓膜を切り刻むようなエレキギターのリフとツーバススタイルのドラムに合わせてリズムをとっていた黒田だが、三宮から須磨へと向かう国道二号線は進みが悪く、亀のように進む車列に向けて大あくびをした。


「……ちょっとかかりますね」

 アメリカンロックの名曲がかかっていても、相変わらず増井の真面目くさった顔は変わらない。

「高速は使えんし、ポートアイランド出るまでに時間食ったしなぁ。しゃーないな」

 参考人への聴取だと無理矢理理由をつけて持ち場を離れたため、当然ガソリン代も高速代も経費で落とせるわけもなく、下道を走った結果朝のラッシュに捕まってしまった。

 こんなことなら渋滞しても信号がないぶん高速にすべきだったかと後悔するも、何年かおきに高速道路の無償化や値下げ・一律料金化などが取り沙汰されるが、高速道路網が全国に張り巡らされて百余年、約束されていた無償化の実現は難しく、値下げすら望みの芽はない。

 結局、ETCの導入などで人件費を削減したり補修の工法見直しや効率化を行っても、経年劣化する建造物の維持管理にかかる費用は利用料金から得るしかないのだ。


「……どうせなら舞子でたこ焼きでも食べますか?」

「んあ?」

 姿勢も視線も表情すら変えずに道草を食おうと言い出した増井を、黒田はまじまじと見つめてしまった。

 おや?と増井が首を傾げたので、ようやっと黒田は増井が冗談を言ったのだと分かり、助手席をリクライニングさせる。

「たこ焼き食う前に昼メシ食おう。小難しい話に付きおうたから腹減ったわ」

「そうですね。そうしましょう」

 どうやら増井も異常な空間に放り込まれて神経をすり減らしたらしい。

 普段なら寄り道にサボりにと姿を消そうとする黒田を嗜める増井が冗談を言い、加えて昼飯まで容認したのだ。

 彼の性格からすれば尋常事ではない。

「はは。お前と捜査に無関係な店に立ち寄るなんて、明日は雪が降りよるな」

 両手を頭の後ろで組みながら冷やかした黒田に、増井もやり返す。

「黒田さんこそ、結婚なんて言い出すからこっちの調子も狂ってしまいますよ」

「それは言うなよ。一瞬の気の迷いだ」

 黒田は自嘲の笑みを浮かべる。


 黒田も増井も仕事一辺倒にやってきたし、職務に追われて恋愛をする時間もなかったクチだ。

 増井と女性経験や恋愛の話をする機会などなかったから彼の事情は分からないが、黒田は学生時代に平穏な恋愛と女性を経験している。

 警察学校時代を最後にそれらの機会はパッタリと途絶えたが、ただただ機会が訪れなかっただけでなく、男としての欲望が奮い立つほどの女性と出会わなかったのかもしれない。

 仕事柄、様々な人間と顔を合わせる機会があるが、タイプや好みの女性であっても彼女らは大抵容疑者や被害者であったり、参考人や関係者という出会い方なのでまず恋愛対象という前提から外してしまう。

「色気のある女医さんでしたよね。ちょっと分かりますよ」

「あれは意表を突かれたよな。まさか増井もとは思わなんだが」

 普段から余計な私語を漏らさない増井が『色気がある』などと評するのだ。それだけ播磨玲美が男に与える存在感は独特であると再認識するとともに、真面目と実直を絵に書いたような増井も女の色気には興味があることが発覚したりと、黒田には意外なことが連続して起こっている。


 そもそも、播磨玲美は中島病院襲撃事件の被害者であり、西淡湊里爆発疑惑の参考人である。中島病院の一件に関しては黒田が初動捜査で播磨玲美と顔を合わせることはなかったが、湊里の現場で遭遇し仮設署まで任意同行してもらった時から、一定の興味はあった。

 自分と同年代の女性として容姿や雰囲気から魅力のようなものは感じてはいたが、それよりもまだ刑事としての職業病として、鯨井孝一郎とその婚約者の野々村美保と播磨玲美がどう関わっているかという興味で見ていた。


 鯨井と野々村美保が婚約関係だと聞いた時に、おや?と思わせる関係性の薄さがあったせいか、鯨井と播磨玲美の微妙な距離の取り方が際立った部分もあるかもしれない。

 決定打は正しく今朝の合流の時で、寄らず離れずに見えた二人が肩を寄せ肌を触れ合わせて夫婦や恋人同士にはないネットリとした性交を匂わせていた。

 衣服の乱れのなさや頭髪の整い具合や香水やメイクの加減など、鯨井と播磨玲美の距離が不倫カップルのそれであった。

 その瞬間から黒田の目に映る播磨玲美は、香水にメスの匂いを混ぜたような魅力を放ち、表情や仕草や服装までが色気に覆われて見えてしまった。

「仕事中にこの女を抱きたいなんて思ったんは初めてやわ」

「その割には冷静でしたね」

「相手が俺より年上のオッサンだったからなぁ。あのオッサンと自分とを比べたら、女の色香に惑う前に考えなあかんことが出てくるやろ?」

「……確かに」

 これまた珍しく増井がハンドルを握りながら苦笑した。


「あの研究所の先生も特殊でしたもんね」

「ぶっ飛んでたな。まさかこんな近くで遺伝子操作や人工授精みたいなマッドな研究してるとは思わんかった」

 国立遺伝子科学解析室の柏木珠江は、自らの卵子に鯨井の精子を人工授精させ、意図的に遺伝子操作を行った娘たちの遺伝情報を研究している。

 柏木珠江だけでなく鯨井にも丸め込まれる形で彼女らの研究の不謹慎さを追求しなかったが、やはり黒田は彼女らのような考え方や感じ方はできないでいる。

 生殖や受胎や出生に神秘性をまとわせるつもりは全くないが、子を授かるというものを遺伝子や細胞のような科学的な知見よりも、夫と妻が子を成すといった自然でナチュラルなものと考えたいのだ。

 孝子と一美と名付けられた柏木珠江の子供たちは、どのような気持ちで自分たちの出自を聞いたのだろう?

 それを思うと尚更黒田は恋愛結婚の後に自然な感情で子を授かりたいと思った。

「……任せておいて大丈夫でしょうか?」

「何が?」

「高橋智明の件ですよ」

「分かるもんか」

 中島病院襲撃事件も湊里爆発音疑惑も、あらゆる情報や証言から統合すれば高橋智明という少年の異常な状態から起因していると考えて間違いない。

 鯨井の弁によれば、警察が高橋智明の細胞や血液を物証として鑑定しても、前述の事件や騒動は謎のまま捨て置かれると述べていた。

 何年後かに同様の騒動が起こった際に、一から調べ直しても間に合わないとも。

 黒田には、この様な騒動が何年後かに再発するような予感はないが、その時に前例が残されていることと記録なしとの違いだけは納得できた。

 そうでなければ持ち場を放り出して神戸くんだりまで往復する様な時間的ロスは選択しないし、適当な部下に任せて報告だけさせていただろう。

「……だが、判断力と行動力は確かだと思う。一枚噛んでおく意義はあるやろ」

「はあ……」

 一度は突っぱねた黒田だが、医者というものに一応の信頼は持っているし、約束を違えたり信頼を裏切るならば、裏切られてから相応の対処をすればいいだけとも思う。

「いい女をはべらせとるのに、色男ぶらんのが気に入らんけどな」

「ぶってても気に入らないでしょうに」

「ったり前や!」

 愛想笑いを浮かべていた増井も、黒田が本気で鯨井を嫌悪した顔をしたのでいつもの真面目顔に戻った。

「……まあ、それでも捜査資料にヒントを残せるわけだし、解析結果も共有できるからな。良しとせなあかんな」

 増井の愛想がなくなったことで黒田は過分に私情を漏らしてしまったことに気付き、腕組みをしながらもっともらしく軌道修正をかける。

 鯨井の口車に乗せられるつもりはないが、正規のルートで何年も捜査をした挙げ句に迷宮入りで打ち切りなどという結末は、心底やりきれなくなる。

 ましてや中島病院では死者も出ているし、直接ではないが湊里の爆発音でもショック死や関連する交通事故で死傷者が出ているのだ。

 何かしらの結果を出さなければ、被害者の負った傷や失われた命は到底浮かばれるものではない。


 ノロノロと進む渋滞のせいで気持ちの緩みを自覚した黒田は、気持ちを引き締め直し、今日のこの強行軍をどう日誌にまとめるかの思案に入る。

 黒田が考える姿勢に入ってしまえば増井も無駄口を挟むことはなく、亀のように進む渋滞に身を任せるのみとなる。

 カーステレオからは平成に流行ったポップスが流れ始めていた。

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