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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第二章 多忙な一日
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伊丹駐屯地会議室 15

「政治というものは――」


 パイプ椅子にもたれていた御手洗が腕組みを解いて、少々行儀悪く会議机に肘をついて前のめりになって言葉を継ぐ。


「――正論や真実をただ実直に口にすれば良いとういうものではない。特に、外交を無理なく国益が得られるように推し進めるには、報道されるよりも多くの打ち合わせややり取りが交わされる。

 その全てを大臣がこなすには限界があるから、省庁や官僚が付いて方針を固めていくんだ。

 君一人の想像や判断のとおりとはなかなかいくまい」


 川口の予想通り、御手洗は智明の弱点である『経験と実態』を語って、やはり強い否定と拒絶を表した。


「そうでしょうね。そうだと思います」


 様子を(うかが)い見た川口を慌てさせるように、また智明は御手洗の否定を受け流すような返事をする。

 そしておもむろに両手を伸ばし、会議机に重ねられたままの二つのグラスを取った。

 水とお茶で満たされていたはずのグラスからは一滴たりとも中身をこぼさず、グラスの口同士を重ねたまま智明の胸の前まで持っていき、重ねた積み木を取り分けるように両手に一杯ずつ持ち変える。


「もしそんな異常な、超常的なものが他にもあって、今のところ全部こちらにあるとしたら、どうなりますか?」

「何を…………」


 智明が持って回った言い方をしたので御手洗がまた表情を険しくし、言下に切り捨てようと口を開いたが、途中でぶつ切りになった。

 川口も、智明が何を言いたいのかを探ってしまったが、その答えは簡単に頭の中に浮かんできて、思わず腰を浮かせて智明の方へ一歩踏み出してしまった。

 川口に蹴られたパイプ椅子が揺れて音を立てたが、一瞬御手洗の視線が動いただけで注意は飛んでこなかった。

 しかし、川口を目にした途端に御手洗の(まなこ)が見開かれ、川口と同じ答えに行き着いたのだと知る。


「ナノマシン、かっ!」


 吐き捨てるような御手洗の反応に、智明は満足そうにコクリと顎を引く。


「ご存知だと思いますが、淡路島の四大バイクチームはナノマシンで身体を強化するHD(ハーディー)という最新技術を施してます。

 こっちも超能力と同じくらい世界の注目を集めるものだと思うんです」


 言いながら智明が右手に持ったグラスを会議机に置き、間を開けて左手のグラスも先程のグラスの隣りに置いた。

 あたかも二つのグラスが超能力とナノマシンによるサイボーグ化を示すように。

 得意になって説明した智明と対象的に、御手洗は眉間に皺を刻んで唇を引き結び、その口内では奥歯を噛み締めているような険しい表情だ。


 一週間前の防衛行動後の報告ではHDの一件は伏せていたのだが、『ユズリハの会』に現在確認できているHD化されたサイボーグが集結したとなれば報告しないわけにはいかない。

 どこかでこの話題に触れられるとは予測していたが、智明が独立の理由や強みとして利用するとは川口も思ってはいなかった。

 御手洗もその報告の限りでしか準備していなかったのは反応と表情から伺い知れる。


「報告では聞いていた。研究が進んでいることも聞いている。事実であるならとんでもないことだ」

「そうですね。そう思います。なのであまりこっちをメインにしたくなかったんですけど、超能力だけじゃ認めてもらえないみたいなんで、言ってしまうしかないかな、と」


 智明の余裕ある態度を気にしつつ、それよりも川口は御手洗の漏らした『研究が進んでいる』という部分が気になった。


「……これは脅してるのか? それとも問題提起しているのか?」


 会議机に肘をついたまま両手の平を口元へ持っていき、やや声を潜めて御手洗が問うた。

 智明の独立の道を切り捨てようとした声音とは大違いだ。


「脅してるつもりはないですけど、脅威ではあると思いますよ。僕も最初に聞いたときはビックリしましたからね。でも実際に見てしまうともっと現実的な恐怖を感じましたね。

 全人類の身体能力が底上げされると思えば、とんでもない科学の進歩と言えなくもないですけど、犯罪や戦争の被害は単純に等倍される以上に悲惨で残酷になっていくと想像できますからね。

 トランスヒューマニズムでいえば確かに寿命は延びるかもしれないけど、そんなの核や原子力や核融合と同じで、使い方とか運用次第ですよね。

 悪く言えば、そういう試験やモデルになってしまおうという話なんですけどね」


 智明は長々と答えながら会議机に置いたばかりのグラスをまた取り上げ、今度は水だけを宙に立ち上らせて腰掛けた人間の頭よりやや上の目線の位置でわだかまらせる。

 そこへグラスに残しておいたお茶が一条の線を引いて飛び込み、球体となって流れ続ける水流にお茶も筋となって加わる。

 川口からは洗濯機かミキサーを覗いているような絵面だが、御手洗の方向からでは渦巻く(うしお)のごとく荒々しい水面に見えるだろう。


「……超能力だけやない、か」


 飛躍し強引にまとめ上げた智明の理屈だったが、御手洗は掌の中の口から細い声で呟いた。

 気圧されていることを隠すような仕草は、きっと彼自身のプライドや気性などといった個人的な理由からではなく、恐らくは現職の総理大臣が今この場で国家の行く末を決めなければならないという重責からのものだろう。


 川口も本田鉄郎(ほんだてつお)を含む智明ら『ユズリハの会』とのやり取りで何度も同種の重責に襲われたから分かる。

 幸い、川口には上司がおり、陸上自衛隊幕僚監部や統合幕僚監部から防衛省を通して総理大臣を始めとした内閣へと転嫁することができたが、御手洗の立場ではどうだろう。総理大臣が誰かにその責を転嫁できるだろうか?


 ――幾つかあるはあるが、それは多分、総理の進退をかけねばならないだろう――


 この会議が終わり淡路島の避難指示が解除されて部隊が駐屯地へと帰隊すれば、川口は辞職の手続きに取り掛からねばならず、御手洗の心境を想像して川口の胸が少し痛んだ。

 高橋智明関連の事案が川口らの運命を変えたともいえるが、自らの進退を賭けて作戦を強行したことに後悔はない。野元や連隊に加わった隊員たちも理解してくれるはずだ。

 しかし、その原因となる智明がこうも独立に固執する理由には、少々もやもやとした疑問は残る。

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