ブランチ ⑨
「なんでしたっけ? スパコンがあるとこでしたっけ」
恭子の示した単語からはその程度の情報しか思い出せなかった。
というよりも、科学や宇宙に興味があり、オカルトや都市伝説・ライトノベルやコミックやゲームに興味がある智明が、その趣味を隠して他人と話を合わせるならこの程度の事しか言えない。
国立遺伝子科学解析室は日本製の最新鋭スーパーコンピュータを擁し、世界有数のDNA解析の精度を誇ると言われているが、その実、研究内容や設立目的が不透明という苦言が呈されている。
そういった疑惑の根拠として『設立以来、目立った成果や論文の提示がない』ことが度々ニュース記事に取り挙げられ、智明もその記事で遺伝子科学解析室を記憶しているくらいだ。
智明らが生まれた頃に設立されたというのも印象に残っている理由だが、恭子はそういう話をしたいのではないだろうというのは分かるから、尚更あやふやな返事になった。
「そうそう。ポートアイランドの端っこのとこ」
智明に応じてからメロンソーダを啜り、恭子が続ける。
「そこで君の血液とか細胞を解析してるんだって」
「ああ、播磨先生の?」
「うんそう。優里ちゃんのも一昨日持っていったよ」
優里の短い問いに恭子は明瞭に答え、優里が「ほら、私が体開いたときに診てくれてた女医さん」と補足をしてくれた。
それで智明は優里が新宮を離れていた数日間のあらましを思い出し、優里との間で話していた『能力の起源を調べねば』という意図を優里が汲んでくれたのだなと理解する。
「それは有り難いな。落ち着いたら結果を聞きに行きたいくらい」
「それは、どうだろ……」
智明の思う方向へ進行していることを正直に喜んだつもりだったが、恭子は困ったように首を傾げて冷めた視線を向けた。
「ああ、国立だから関係者しか入れないのか」
「そうじゃなくて」
恭子が否定した理由としてもっともらしいものを言ってみたが、それも否定された。
恭子は胸元に垂れていた髪の毛を触って整えるようにしながら、智明と優里の顔色を伺うように上目遣いで続ける。
「血液とか細胞の解析って、必ずしも君たちのプラスにるものじゃないんだよ。『分からないものを調べる』って、良い意味だけじゃない」
「……そう、ですよね」
優里が途切れがちに同意し、会話が途切れた。
恭子なりに配慮された説明だったろうが、智明と優里が想像していたネガティブな現実を教えられたのだから、優里にはショックだろうと思う。
智明も、相槌すら打てなかったくらいショックなのだから、優里の気持ちは推し量るまでもない。
それでも調べて知らなければならないことはあるし、すでに智明の希望に近い段階まで現実は進んでいる。ならば、自分たちの思う方向へともっと近寄ってもらうか、自分たちが歩み寄るかの決断しかない。
いつの間にか俯けていた視線をあげ、智明は言う。
「……それは、もう、そうだと思います。言ってしまえば想定内ですよ。俺が研究者や学者なら、きっと同じことをします。でも俺らは生きてますからね、痛いとか嫌だとか、言いますよ」
「さすがにそんなことはないと思うけど」
自嘲気味に笑った智明の語尾に合わせ、恭子も冗談に付き合うように笑った。
「私は看護師だからそこは分かんないよ。お手伝いさせてもらおうと思ったけど、相手にされなかったし」
「でも、遺伝子解析室に持ち込んだ人が誰か知ってますよね。ということは、話をする機会も作れるってことじゃないですか?」
「ちょっとモア――」
機嫌を損ねたように視線をそらした恭子に言い寄ると、優里から非難の声が飛んだ。が、智明は言葉を止めない。
「今は独立の方に神経を向けなきゃいけないけど、それだって自衛隊の人らや総理大臣に話し合いの機会を作ってもらって進めてるんです。
犯罪に近いことはしてしまっていても、俺は侵略者じゃない。
人の枠から外れていても、人として生まれたんだから、人として話すことはできる。
研究や解明をしてもらうためには実験や検証に付き合いますよ。でもそれは実験台じゃない」
「分かってるってば。だから私に言わないでって言ったじゃない」
先程の優里の妊娠を叱った時と比べ音量こそ小さかったが、恭子ははっきりとした怒りを表して嫌悪の視線を智明に向けた。
赤みの強いピンクのリップが引かれた唇が歪んだ様は、智明の失敗の大きさを物語る。
智明の左手に重ねられた優里の右手も謝罪を促しているように思えた。
「……すいません。余計なことを言いました」
「……いいよ。別に」
小さく頭を傾けた智明から視線を外して、恭子も短くため息をついた。
「……さっきの『雇う』って話の続きってことなら、そういう橋渡しも私の役目かなって思うし。優里ちゃんと播磨先生の間で協力するようなやり取りも見てるし。あんたたちのとこで働くってなったら、私が出来ることはするよ」
「ホンマですか?」
「働くことになったらね。今はまだ少し考えたい」
恭子の歩み寄りに喜んだ優里だったが、恭子はすぐに予防線を張った。
すぐに返事も行動も出来ないという考えが貫かれているから、これはもう智明にも優里にも抗えるものではないと感じる。
「分かりました。こちらもまだ落ち着いていない状況だから、考えていただけるだけでも嬉しいです。今日はお話できて良かった」
今日のところは引き下がる姿勢を取ると、恭子は「うん」と短い相槌を返してきた。
「ええの?」
「俺はこのあと予定があるからね。この話は、今はここまでってだけだよ」
恭子を雇い入れる話が確定しなかったことを残念がる優里に、智明は『今は』と強調し今後また改めて誘い入れる意志を込めておく。
残ったコーヒーを飲み干し、伝票を取って立ち上がる。
「あとはリリーに任せるよ」
「なにそれ」
智明は『女子同士のトークでもして息抜きをしておいで』と言ったつもりだったが、優里はそうは取らなかったらしい。智明の途中退席を非難するように唇を尖らせた。
構わずに、智明は会計を済ませに行くと、「どういう流れで付き合うことになったの?」と問う恭子の声が聞こえた。
「赤坂さんの話もしてくれるなら」
「恭子でいいよ。で、どうなの?」
と続いたあたりで智明は聞くのをやめた。
自分たちの恋路が語られることも照れくさかったし、その話をしている優里と恭子の顔を見るのが恥ずかしかった。
智明と優里の現状はしっかりと把握し意識しているつもりだが、恭子に追求されたように職や収入という『柱』はない。むしろ、今日これから打ち立てに行くくらいだ。
わざわざ自分からネガティブな現状と向き合って気持ちを下げる必要もない。
恭子のような女性がどんな恋愛をしているかも聞きたくない。
喫茶店を出た智明は、人目に付かない日陰へ忍んで自宅へと瞬間移動した。




