ブランチ ⑧
「へぇ……」
大きな目をまん丸に見開いて、恭子は肯定とも呆れとも取れる声を漏らして固まった。
これが『絶句』というものならば、智明は初めて絶句した人を見たかもしれない。
それも仕方ない。中学生が特定の地域を名指しして『独立を成し遂げるつもりだ』などと口にすれば、誰しもが一笑に伏すか馬鹿げた妄想だと取り合わないだろう。
むしろこうした普通の反応を見ることで、川崎や山場、本田鉄郎ら淡路連合の面々が傘下に加わってくれた異常さが有り難く思える。
彼らには利害の一致があった上で将来を約束する条件もあったから、否定や離反もなくまとまったが、恭子のこの反応から口説き落とすのは至難の業に思える。
そう思うと、これから先は恭子のような反応ばかりか、日本はおろか世界中からの否定や攻撃を想定しなければと思う。
ましてや今夕に現職の総理大臣との会談が予定されているのだから、目の前の彼女を口説けなければ、数時間後の智明は切り捨てられてけんもほろろに淡路島に追い返されているだろう。
――そうか、俺は緊張して気負ってるんだな――
今更な自己分析に嘲笑ってしまった。
今この時間、本来なら智明は総理大臣との会談のために前口上の一文でも考えていなければならない状態のはずだ。それをなげうってまで優里のランチに同行し、話の流れで独立運動を成し遂げて収入を得るつもりだなどと大見得を切っている様は、客の居ない場所で踊るビエロだ。
せめて義務的な御愛想の拍手をしてくれる相手の前で踊らねばならない。
「……まあ、まだ少し先の話ですけどね。でもこうして口にする程度には自信はあります」
「男の子はそのくらいでいいんじゃない。現実的な男性って嫌いじゃないけど、夢とか目標がないのは違うと思うし。何かに熱中したり、目指してるのは悪くないよ」
意外にも恭子から独立を肯定する返事が返ってきて、智明は「ありがとうございます」と応える。
ただ、恭子が目線を逸らして話しているところを見るに、どうやら智明の知らない誰かと比較しての言葉だったらしい。
智明のお礼はスルーされ、恭子の目線も外の景色に向いたまま。
「でも独立かぁ……。聞いてる感じ、家政婦か保育士みたいなんだけど、看護師として雇ってくれる話なんだよね?」
「もちろんもちろんです。私が言った『友達』とかは気にせんといて下さい」
恭子の確認に慌てて答える優里。
このやり取りを見て、恭子はあくまで看護師でいたいのだ気付かされる。
優里がお姫様に憧れていたように、智明にもリーダーやヒーローへの憧れがあった。それらよりは現実的な理想として看護師になろうとし、実際に看護師として働いている恭子にとってそれ以外は本意ではないということだ。
これを捻じ曲げて明里新宮に引き込むということは適わないだろう。
「もちろん、看護師として来てもらいたいです。考え方の問題だと思うんですけど、例えば俺らの体を調べてもらったり、赤ちゃんを取り上げてもらったりって時に、初対面の人より見知った人の方が気持ちが楽でしょ。
気が許せるってやつですかね。そういう意味の『友達』っていうのがいいなって思うんです。
あと、これは今思い付いたんですけど、独立とかやってるから怪我とか治療とかを考えてなかったなってのがあって、これから先、間違いなく俺らはお医者さんと看護師さんが必要になってくる。
今『ユズリハの会』は二百人の規模になってるから、間違いなく赤坂さんのような人に来てもらわないとならない。
こんな頼み方で申し訳ないけど、俺らのところへ来てもらえませんか?」
なるべく恭子の目を見て言葉を並べ、かしこまった問いかけをしてそのままジッと見つめる。
智明自身のことだけでなく、優里や仲間の生命に関わることなのだから、不真面目になってはいけないと強く意識する。
「私からもお願いします。恭子さんに来て欲しいです」
「わかったわかった。そんなに真面目に言わないで」
智明の言葉を追う形で優里が頭を下げると、恭子は軽く手を振って顔をしかめた。
「あんたたちが真剣なのは分かったから、そんなに急かさないでよ。職場を変わるって『ハイ、明日からやります』って早さでできないんだから。考える時間もちょうだい」
「それは……そうですね。失礼しました」
恭子の正論に納得し言い返せなかったので、智明は素直に認めて頭を下げた。
自分たちの思い通りにいかなかった――とまで我を通すつもりはないが、体験していない社会の仕組みを諭されてしまえば強引なことはできない。
「あとで連絡先だけ教えてもらって、お返事を待つことにします」
一拍遅れて頭を下げた優里が直るのを待って、優里と恭子に向けて言葉を付け足す。
優里は智明の考えに同意してくれたようで微笑み返してくれ、恭子も「そうしてくれると嬉しい」と応じた。
話の区切りになったのでコーヒーを一口啜る。
ふっと広がったコーヒーの苦味とミルクのまろやかさとガムシロップの尖った甘さに、詰めていた息を逃して肩を落とし脱力して背もたれにもたれた。
喉から胸元を落ちる熱もちょうど温く、苦味と甘みの後の酸味もすっきりと引いて、コーヒーの香ばしい香りとミルクのぼんやりした脂くささが口の中でゆっくり消えていく。
この二週間で智明が一番放心した瞬間かもしれない。
特にこの一週間は自衛隊に包囲された状態で、真を含めたWSSの襲撃を警戒したり、フランソワーズ=モリシャンの背後を探りつつ取り引きを交わしたりと、やらなければならないことが多くあった。
その間もずっと総理大臣に独立の意志をぶつけるという大義が横たわっていたのだ。
いつもと変わらず寝起きしていたとはいえ、たえず重圧となって気負い緊張していたのだろう。
恭子が返事を保留したことで、智明が『急いでしまっている』とも感じたし『保留』というパターンもあるのだと知れた。
「……そういえばさ、遺伝子科学解析室って、知ってる?」
リラックスしたばかりの智明の不意を突くように別の話を振られ、また智明の背筋が伸びた。




